最近友達にあって色々話したのですが

 

「期待に応えないことっていうのもけっこう大事かも知れない」

 

という話になりました。

 

これはどういう文脈で出たかと言うと、たとえば自分の能力とか才能のような、自分のスペシャリティで生きていこうとした時、どうあったとしても

 

「あの人はすごい」

 

とか、そういう期待に応え続けなければいけなくなります。そういう勝負の世界の上に乗らなければいけない。それは「プロ」と呼ばれる世界ではいちいち確認する必要がないぐらいの基本事項になっているものと一応、されているところがある。

 

でも、長くその「期待に応えなければいけない」という気持ちを背負っていくと、いつの間にか「詰んでくる」という事態って起きてしまうことがあるのです。

 

僕は、他人の期待に応え続けていってしまっていると

 

「音楽のアルバムで言うと人気順位10位ぐらいの名曲が失われやすい」

 

という感覚があります。

 

今はもう音楽をCDでなかなか買う時代ではなくなっているかも知れないから、たとえとして適切かどうかはわからないのですが、有名アーティストのアルバムって、「誰もが知っている一曲」と、「各個人に響く名曲」がありますよね。

 

他人の期待に応えるって、どうしても「気合いの入った1位の曲」をやり続けなければいけないのです。

 

だってそれが成功率が一番高いわけだし、そして自分自身もその1位に変わるヒット曲を作らなければいけないと大変力を入れなければいけないことになる。

 

でも、1位だけを続けていくと何が恐ろしいかって、本人が飽きてくるんですよね。才能って、本人が飽きてくると詰んできたり、枯れてきたりしてしまう。

 

だから、そうなる前に「他人からの期待」から少し降りて、「自分が楽しい」と思う時間を回復させていかなければいけない。

 

音楽のアルバムの良さって、脇道に逸れたところに咲いている花のような名曲を発見できるところにあります。

 

他人に期待する。そして他人から期待される。

 

それは嬉しいことだけど、全員の期待に応えるってすごい労力がかかります。逆に、他人に期待する方って、やり方は色々あるけど、そんなに労力はかからないことが多いのです。みんなは別に一蓮托生になってその人の創作を助けられるわけではないから。

 

「他人の期待には応えない」

 

何かが詰まってしまったと感じた時って、そうつぶやくだけで何か自分の中からまたガラクタのおもちゃを探し出す勇気が湧いてきます。

 

期待を背負い過ぎてしまうと「面白いからやってる」のガラクタで遊ぶ原点が見失われていってしまうから。