珍説14・長春包囲戦で中国軍は南京事件以上の犠牲者を出した | 誰かの妄想

珍説14・長春包囲戦で中国軍は南京事件以上の犠牲者を出した

長春包囲戦というのは、第二次大戦後の中国国内の国共内戦での戦闘のひとつです。
満州国時代には新京と呼ばれ満州国首都であった都市で、毛沢東の共産党軍が反撃を開始した1948年時点では戦後進駐してきた蒋介石の国民党軍に支配されていました。1948年5月中共軍は長春を包囲し、飛行場も占領。国民党軍約10万人が長春市民ともども包囲され、中共軍は強襲を避け兵糧攻めを行います。10月半ば、国民党軍は降伏し長春は陥落しますが、このとき多くの長春市民が餓死するなど悲惨な状況にあったことが知られました。国民党も共産党も共に責任は相手にあると主張しています。犠牲者数は一説によると20万人とも言われます。


【珍説】
《長春包囲戦》
 ・9月半ば過ぎから餓死者が急増しはじめた、と、長春市長が記録を残している。最後の食料だった木の葉が散りはじめたからだ。5ヶ月にわたる包囲戦が終わる頃には、50万あった長春市の人口は17万人に減ってしまった。1937年の南京大虐殺の死者数を最も多く推定したとして、それよりさらに多くの死者を出したことになる。(上527頁)

マオ―誰も知らなかった毛沢東 上/ユン チアン 土屋京子訳 講談社


【事実】
9月半ばから餓死者が増えたのは確かですが、原因としては篭城する国民党軍が食糧を兵士に優先配分したためでもあります。
さて、犠牲者数ですが、「マオ」の記述によれば、元々50万人であった人口が17万人に減ったことから33万人が犠牲になったとみなして、南京事件犠牲者数の最も多い推定30万人よりも多い、と主張しているようです。
しかし、これには初歩的な誤りが多数あります。


まず、南京事件の犠牲者数の最も多い推定としてよく知られているのは、1947年の南京軍事法廷判決での推定でしょう。一般的に犠牲者数30万人といわれますが、その内訳は、集団虐殺犠牲者19万人、個別虐殺犠牲者15万人の合計34万人以上、です。きりよく30万人と呼ぶことが多いのですが、「最も多く推定した」数字としてはこの34万人を使う方が適切です。
そして、南京事件犠牲者数を34万人とすると、「マオ」説の長春包囲戦犠牲者数33万人よりも多くなってしまいます。


もうひとつの初歩的誤りは、50万人から17万人への減少を全て餓死などの死者とみなしている点です。

長春包囲戦の流れを見てみましょう。
長春包囲戦の当初は空中補給が行われていましたが5月末には包囲網が狭まり飛行場が使えなくなります。このため、国民党軍の鄭洞国は6月に入ると食糧不足に備えて、市民に3ヶ月分の食糧以外は全て国民党軍に渡すよう命じます。これに反発して暴動を起こした市民もいましたが国民党軍によって弾圧されています。長春から逃亡した市民も少なからぬいたらしく、国民党軍は市民が長春から出ることを禁じました。
これが7月下旬になると状況が変わります。蒋介石から鄭洞国に市民を長春から逃がすよう命令が来て、8月1日から大量の市民が長春を離れています。この蒋介石の措置は人道的措置というより、「駆民養軍」という軍のための食糧節約策によるものです。
さて、この大量の難民ですが、包囲している中共軍側は当初、包囲網を通過させるにあたって国民党軍などが混じっていないか詳しく調べていました。しかし難民の数が多くて捌ききれず、多くの難民が中間地域に留めおかれることになります。元々飢餓に苦しんで脱出してきた難民は、そこで多くの餓死者を出し、これに驚いた中共軍包囲部隊は8月中旬、難民の包囲網通過を一律に認めて、難民の救済を開始します。このとき中共軍難民処理委員会が収容した難民は15万人と言われています。
8月後半に入って、中共軍はさらに包囲網を縮めます。
そして、9月には長春市内に餓死者があふれるようになり、人肉を売る者まで現れます。
10月に入ると鄭洞国は包囲突破を試みますが失敗し、さらに10月中旬、錦州が中共軍により陥落し、国民党軍による長春篭城軍救出は絶望的になります。そして鄭洞国ら国民党軍は中共軍に降伏し、長春は陥落します。


さて「マオ」では包囲前の人口を50万人と見積もっているので包囲後17万人から餓死者33万人としているのでしょうが、8月に脱出し中共に救済された難民15万人が計算に入っていません。これを考慮すると、餓死者は最大で18万人程度でしょうか(ただしこのような計算にあまり意味はない)。だとすると「南京大虐殺の死者数を最も多く推定したと」する人数よりは少ないと言えますね。


実際に餓死した市民の数は正確にはわかりませんが、12万人とも15万人とも言われ、日本メディアによると20万~30万人とも言われています。ちなみに長春には包囲前に約3000人の日本人がいましたが、多くは餓死したらしいです。さらに1975年には犠牲者65万人説も現れてます。包囲前の長春人口は120万人との説もあります。
正確な犠牲者数がわからないのは南京事件と同じですが、そもそも多数の犠牲者が出ている事件について犠牲者数を比較することにどれほどの意味があるのでしょうか?



なお、長春包囲戦による飢餓は、20世紀最大の戦災のひとつとされ、国民党を非難する声も共産党を非難する声もあります。
-国民党軍は、軍のために食糧を温存し市民に配分しなかった。実際国民党兵士には餓死者はほとんどいない。
-共産党軍は、戦わずに長春を攻略することを優先し、包囲下の市民を考慮しなかった。

南京事件と違って、正確な犠牲者数がわからないから「捏造」だとかいう馬鹿げた話は聞かれません。


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卡子【チャーズ】の検証/遠藤 誉
http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/china12.html