従軍慰安婦問題・論点のすり替えは産経がやっているように見えるのだが。 | 誰かの妄想

従軍慰安婦問題・論点のすり替えは産経がやっているように見えるのだが。

従軍慰安婦問題、特に河野談話 見直しについて、ハムニダさんのところ でコメントしたのをきっかけに調べてみた。

基本的な争点は、強制性の有無と「広義の強制性」と「狭義の強制性」だそうだが、そもそも河野談話について言えば、記載されている内容は「広義の強制性」であるように読める。そこで「広義の強制性」と「狭義の強制性」と言う議論がどこから出たのかを中心に追ってみた。


「河野談話はいわゆる「従軍慰安婦の強制連行」を認めていた。だが、それを裏付ける証拠は日本側が集めた公式文書になく、談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦からの聞き取り調査のみに基づいて「強制連行」を事実と認めたことが、後に石原氏の証言で明らかになった。その後、一部マスコミが「広義の強制性」に論点をすり替えたこともよく知られている。」(産経社説2006/10/30)


まず、河野談話 は「従軍慰安婦の強制連行」を認めているのだろうか?
河野談話の該当する個所は以下である。

「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」


見てすぐわかるのだが、「強制連行」という文言はない。また河野談話以降の国会で「従軍慰安婦の強制連行」という表現は少なくとも平成8年1996年12月11日参議院予算委員会まで出てこない(一回のみ三野優美議員が「従軍慰安婦という言葉、これはどうも使いづらいわけであります。正確に言えば、強制連行による性的奴隷というか、強制というか、適当を言葉がないわけでありますが、」1998/10/11衆議院予算委員会、という表現をしている)。


1996年12月11日の参議院予算委員会であの板垣正議員がこう発言したのが国会での「従軍慰安婦の強制連行」という文言の最初だろうと思う。

「平成五年八月三日の河野官房長官談話を裏づける強制連行の資料などというのはない。広い意味における関与、衛生管理とか輸送とか施設の管理、そういうものはあり得たでしょう。しかし、強制連行をやったという、そういうイメージを与える河野官房長官の見解というものが政府の一つのよりどころになっているというのは紛れもない事実ですよ。」


(言うまでもないが、河野談話を裏付ける資料が「強制連行の資料」である必要性はない。


それまでは、「強制連行」と「従軍慰安婦」はそれぞれ別の問題として扱っている。河野談話も含めて「従軍慰安婦の強制連行」という主張は行っていない。

河野談話で言われているのは、
1.軍の要請を受けた業者が主として慰安婦の募集にあたった
2.慰安婦の募集にあたっては本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあった
3.官憲が直接これに荷担したことがあった
4.慰安所での生活は強制的な状況で痛ましいものだった
くらいであり、日本語表現上「3」の「これ」が「慰安婦の募集」を指すのか「意思に反して集めたこと」を指すのかが不明瞭だが、少なくとも「強制連行」という主張はしていない。


要するに河野談話は、慰安婦は本人の意思に反して集められ強制的な状況で痛ましい生活を送ったことを認めているのであって、「従軍慰安婦の強制連行」を認めているのではない。
意味は同じと言えば、確かに大きな違いはないのだが、国会などの場では文言が重要になる。
要するに「従軍慰安婦の強制連行はないが、慰安婦を本人の意思に反して集めて上、強制的な状況においた」
となるわけだ。

また、官憲の関与についても、「官憲が直接慰安婦の募集にあたったことがある」という主張であってこれ(官憲による募集)が強制であったことを河野談話が明確に示しているわけではない。


実際、こういうやり取りがあった。
平成9年1997年1月30日参議院予算委員会で、あの片山虎之助議員がこう発言している。

「そこで、文部大臣が今言われた平成五年八月四日の外政審議室の調査、それに基づく官房長官の談話がこれまた不正確なんですよ、不正確。軍が関与していると。関与はしていますよ。関与にもいい関与、悪い関与、積極的な関与、消極的な関与があるんだから。それは兵士を守るために消極的にはいい関与をしたんですよ。だから、それは私は否定しません、否定しない。それじゃ、強制連行や強制募集、そういうことの事実が確認できたかどうかなんです。ところが、あの調査報告も官房長官談話もかなりあいまいなんです。」

河野談話には、そもそも「強制連行」「強制募集」を示す文言はない。そのため、政府委員はこう答える。

「○政府委員(平林博君) お答えを申し上げます。
 政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。
 ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。


ここで片山虎之助くんは得意になって次の発言をする。

「○片山虎之助君 今の審議室長の話は、資料と証言を集めた、資料には強制性を示すようなものはなかったと。ということは、(「そんなことはない」と呼ぶ者あり)いや、今答弁したんだから。
 そこで、それじゃ証言ということになる。その証言はどういう人から集めましたか。」


軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述がなかったというのが、資料に強制性を示すものはない、にすり替わっている。政府委員もさすがにこれは見過ごせないわけでこう答えている。


「○政府委員(平林博君) その前に、強制性の問題でございますが、今御答弁申し上げましたのは、強制募集を直接示すような記述は見出せなかったと。ただ、もう少し敷衍して申し上げれば、いわゆる従軍慰安婦の方々の日常の生活等におきましては強制性が見られるということで先はどのような官房長官の談話になったということでございます。」


このやり取りが「従軍慰安婦の強制募集・強制連行」の最初ではないかと思うのだが(民間ではどうかわかないが)、もともと河野談話に書いてもいない「従軍慰安婦の強制募集・強制連行」に対して「そんな証拠はない!」と追求する方法が印象操作に有効であることをこのやり取りが示したと言えると思う。


このやり取り(1997/1/30)があった1ヵ月後、産経新聞がこんなインタビュー記事を出している(1997/3/9)。河野談話当時、官房副長官だった石原信雄に対するインタビューである。念のために書いておくが、インタビューは国会での証言とは異なり、実際口頭で行った問答がそのまま記事になるわけではなく、質問や回答は文脈に応じて要約・抜粋されるものである。もちろん要約・抜粋が恣意的に行って印象操作を行うことも可能である(回答を誘導するような質問をして、後で誘導質問を削除するなど)。

その上で、インタビュー記事を追ってみよう。なお、★以降は筆者の解釈・注釈である。

(インタビュー記事はhttp://www.tamanegiya.com/konoyouhei.html より参照した)

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河野氏は調査の結果、強制連行の事実があったと述べているがーー
「随分探したが、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも、強制にあたるものはなかった」

★調査は慰安婦に関することで、「慰安婦の強制連行」については河野談話では述べていない。また「強制にあたるもの」という表現だが、質問内容が「強制連行」であるため、ここでは「強制連行にあたるもの」という解釈も可能(実際の問答のやり取りが不明なので断言は出来ないが)。


一部には、政府がまだ資料を隠しているのではという疑問もあるーーー
「私は当時、各省庁に資料提供を求め、(警察関係、米国立公文書館など)どこにでもいって(証拠を)探してこいと指示していた。薬害エイズ問題で厚生省が資料を隠していたから慰安婦問題でも、というのはとんでもない話。あるものすべてを出し、確認した。政府の名誉のために言っておきたい」


ではなぜ強制性を認めたのかーーーー
「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談
話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意志に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当官から報告を受けた。十六人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの下、連れ去られたという例もあった。談話の文言は、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官(いずれも当時)らと相談して決めた」


「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。」質問に対してこの一文が不自然。文脈上、かなり重要な発言になるはずなのに、何を示す文書・証言者かが不明瞭になっている。無論、質問から推定すれば「強制性」を示す文書・証言となるのだが、国会答弁の「日常の生活等におきましては強制性が見られる」に対する反論をするのなら、強制性の有無は独立した問答とすべきで、なおかつ「募集」が強制なのか「日常の生活等」が強制なのかを明確にすべきであった。しかし記事ではこれが曖昧なままである。

筆者の推測では、石原氏の元の発言は「官憲が直接関与した募集の強制を示す文書・証言は見つからない」という内容ではなかったかと思う。この内容と韓国側の要請云々の件が、インタビューの記事化の時点で編集され繋げられたのではないだろうか?
もちろん、これは推測に過ぎず当該インタビューの未編集の速記・録音・録画などで記事の編集が適切であることが確認できれば上記見解は撤回する。


聞き取り調査の内容は公表されていないが、証言の信憑性はーーー
「当時、外政審議室には毎日のように、元慰安婦や支援者らが押しかけ、泣きさけぶようなありさまだっ
た。冷静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と韓国側と話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つというので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており当事者の供述には強制性に当たるものがあると認識している。調査内容は公表しないことを前提にヒアリングしており公表はできない」


★これに関しても、前半部分が質問とかみ合っていない。証言の信憑性に対する石原氏の回答は「当事者の供述には強制性に当たるものがあると認識している」であって、本来ならこれだけでも構わないはずなのだが、前半部分を追加することによって証言には信憑性がないかのような印象を受ける。質問内容とかみ合わない前半部分をわざわざ追加した理由はこのためではないか?


韓国側の要請は強かったのかーーーー
「元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが外務省や在韓大使館を通じて分かっていた。ただ、彼女たちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確認したと言うこと。元慰安婦へのヒアリングを行うかどうか、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国へ行かせると決断した。行くと決めた時点で、(強制性を認めるという)結論は、ある程度想定されていた」


★2年程度の調査期間のうち、元慰安婦に対する聞き取りはかなり最後に行われてる。その時点で結論がある程度想定されていたのは当然の話だが、「韓国側の要請が強かったのか」という質問の回答にこれが入っているのが不自然ではある。まるで韓国側の要請で結論が決まったかのような印象を受けるが、よく読むと明言されているわけではない。


それが河野談話の裏付けとなったのかーーーー
「日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話には『(慰安婦の募集、移送、管理などが)総じて本人たちの意志に反して行われた』とあるのは、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況から判断して、強制に当たるものはあると謝罪した。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館などの意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得てのことだ」


★これも「日本側には証拠はないが」という部分が浮いている。このすぐ後で「両方の話を総体としてみれば」(強制に当たるものはある)と続いている以上、ここでいう「証拠」とは「慰安婦の強制連行」の証拠か、あるいは「官憲が直接関与した募集の強制を示す文書・証言」を指すと推定できる(「両方の話」とは「韓国の当事者」と日本の当事者の話を指すと考えられるため)。「強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。」以降は、質問に対する回答としては不自然なので、実際のインタビューでは、この回答を誘導する質問があったと思われるのだが、それは記事で削除されているようだ。この編集の結果、河野談話はまるで政治的判断であったかのような印象を与える記事となったのではないか?


談話の中身を事前に韓国に通告したのかーーー
「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に通告した。草案段階でも、外政審議室は強制性を認めるな
どの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う。」


★趣旨の事前通告は外交上の常識だと思うんだけどどうだろう?後半に関しては石原氏が直接関与しているわけではないのであまり意味はない。どうにも印象操作くさい。


韓国側が国家補償は要求しない代わり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もあるーーー
「それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。今の時点で議論すれば
、日本政府の立場は戦後補償は済んでいるとなる」


取引はない、と断言しているのに、「今の時点で議論すれば、日本政府の立場は戦後補償は済んでいるとなる」とわざわざ入れているのも印象操作くさい。


元慰安婦の証言だけでは不十分なのではーーー
「証言だけで(強制性を認めるという)結論に持っていったことへの議論があることは知っているし批判
は覚悟している。決断したのだから、弁解はしない」


★石原氏は、「証言だけで結論を出したことへの”議論”」は知っている、と言っているだけで認めているわけではないのでは(実際に同年1月の国会で片山虎之助議員がそういう議論をしているので、石原氏もその議論は知っていただろう)?内容が内容だけに批判があるのも当然で、それは「覚悟して」いたであろう。しかし、談話内容に問題がないと判断し、公表すると「決断した」以上、「弁解しない」のも当然。もし、こういう文脈で生じた表現であったとすると、上記の記事は印象操作に他ならない。

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総論として、「河野談話が韓国の圧力に屈して元慰安婦の証言だけで強制連行・強制性を認めた」という印象を与える記事であるが、石原氏の発言内に直接明言されているわけではない(言うまでもないが、「慰安婦の強制連行」はそもそも河野談話には述べられていない)。
繰り返しになるが、インタビューは記事にする時点で編集されるため、国会答弁に比べると信憑性にかける点は否めない。(この辺、石原信雄氏の著書「首相官邸の決断 」などで言及されているのだろうか?確認してみたい)


そこでもう一度、国会答弁に戻る。次は、上記の産経インタビュー記事が出た(1997/3/9)3日後、1997年3月12日の参議院予算委員会である。


平成9年1997年3月12日参議院予算委員会
「○小山孝雄君 お配りしております資料をごらんいただきたいと思いますが、この「朝鮮人強制連行」という見出しが入って、写真が入って、その下の段の真ん中辺に「警察官や役人が土足で家に上がり、寝ている男を家から連れ出すこともありました。抵抗する者は木刀でなぐりつけ、泣きさけびながらトラックに追いすがる妻子を上からけりつけたともいわれます。」と、わずかこのページの中でこれだけのことが書かれております。
 外政審議室にお尋ねいたしますが、つぶさに政府資料等々、平成四年、五年当時、お調べいただいたようでございますが、こういうことが日常茶飯行われていたんでしょうか。」


これもおかしな質問であって、もともと「従軍慰安婦」と「強制連行」は別個の話であり、1992年から1993年にかけて外政審議室が調べたのは「従軍慰安婦」に関してである。「朝鮮人強制連行」の質問が外政審議室にされること自体おかしいのだ。
政府委員は以下のように答えている。


「○政府委員(平林博君) 内閣外政審議室長の平林でございます。
 今の強制連行につきましてでございますが、私の方で調査いたしましたのはいわゆる従軍慰安婦の関係でございますが、従軍慰安婦に関する限りは強制連行を直接示すような政府資料というものは発見されませんでした。その他、先生の今御指摘の問題、朝鮮人の強制労働等につきましては我々が行った調査の対象外でございますので、答弁は関係省庁にゆだねたいと思います。」


この1997/3/12の答弁を、鬼の首でも取ったかのように河野談話否定の根拠にしているサイトを見かけるが、ここまで読んだ読者はわかると思うが、そもそも河野談話は「従軍慰安婦の強制連行」という主張をしていない、だから1997/3/12の答弁は何の根拠にもならない。

そして元慰安婦の証言のみに基づいて河野談話を発表したという批判に対しては、1997/3/17参議院外務委員会での国会答弁で以下のように述べている。


「○政府委員(加藤良三君) 証言の裏ということなんでございますが、証言集それから現実の証言ということを申し上げましたけれども、聞き取り調査を行った中には元慰安婦以外の関係者からの聞き取りというものも入っているわけでございます。したがって、言葉の問題で、証言の裏とかなんとかということが、直接的な因果関係をどういうふうに処理されたかということとは別に、証言集、証言聴取ということに当たっては、先ほど委員が指摘された十六人の人による証言のみということではなくて、その他の関係者、韓国人でない関係者も含めて広く当たったということと理解しております。」


要約すると、
・元慰安婦以外の関係者に対しても聞き取り調査を行った
・証言集及び現実の証言を広く当たった結果として談話を作成した
こんな感じだろうか。


以上を踏まえて、もう一度河野談話を見てみる。
「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」

ちなみに、慰安婦が存在したこと、慰安婦募集を軍が業者に要請したこと、軍が慰安所管理に関与したことは日本の公文書から確認あるいは強く類推できる(証言にいたっては枚挙にいとまない)。本人達の意思に反した募集があったこと、慰安所生活が強制的なものであったこと、官憲が募集に関与したことがあったことも各証言から確認できる。
(ついでに言うなら、昭和初期の不況で東北で娘の身売りが頻発した際、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反した事例が一切なかったと主張する論者はいないだろう。ならば、戦時中の慰安婦についても同じことがあっただろうと単純に推定できるはずなのだが。)
以上を考慮すると、河野談話はもともとかなり慎重な表現であって、韓国側から要請(があったとして)に唯々諾々と従ったものではないことがわかるだろう。


では、産経はどうだろうか?もう一度見てみよう。

河野談話はいわゆる「従軍慰安婦の強制連行」を認めていた。だが、それを裏付ける証拠は日本側が集めた公式文書になく、談話発表の直前にソウルで行った元慰安婦からの聞き取り調査のみに基づいて「強制連行」を事実と認めたことが、後に石原氏の証言で明らかになった。その後、一部マスコミが「広義の強制性」に論点をすり替えたこともよく知られている。」(産経社説2006/10/30)

まず、河野談話は「従軍慰安婦の強制連行」は認めていない。これが全て間違いである。だから、「従軍慰安婦の強制連行」を「裏付ける証拠は日本側が集めた公式文書になく」ても、何もおかしくない。

従軍慰安婦が問題であるのは、本人の意思に反して集められたこと、慰安所での生活が強制的な痛ましいものであったこと、この2点による、と河野談話は述べているのである。


要するに、「従軍慰安婦の強制連行」という産経が問題にしている論点そのものが虚構なのだ。


「その後、一部マスコミが「広義の強制性」に論点をすり替えた」についても、(おそらく朝日新聞を指しているのだろうが)果たしてそうだろうか?


産経新聞は上記1997/3/9のインタビュー記事で「河野氏は調査の結果、強制連行の事実があったと述べているが」河野談話に記載のない「従軍慰安婦の強制連行」をまるで書いてあるかのように断定している。

これこそ”すり替え”ではないか?


「広義の強制性」「狭義の強制性」については文言の定義も不明瞭であるが、ネトウヨが崇拝してやまない阿比留瑠比氏はブログ でこういっている。
「…この狭義の強制性とは、いわゆる強制連行を指しています。


「狭義の強制性」=「強制連行」(これらを内包する強制一般を「広義の強制性」)ならば、河野談話にあるのは「狭義の強制性」ではない。河野談話の「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」と言う記載を見れば、明らかに「広義の強制性」を指していることがわかる。


つまり、河野談話は最初から「広義の強制性」について記載しているのであって、「狭義の強制性」には言及していないのだ。


にもかかわらず、河野談話に見直しが必要だと主張する産経(■【主張】河野談話 再調査と見直しが必要だ 2006/10/30 )や下村議員には、強い違和感を感じる。

一体、すりかえたのは誰なのか?


私には、産経とそれに乗じたネトウヨたち、としか思えない。