「高野方式」の源流 | 空気を読まずに生きる

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弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

季刊刑事弁護第7号118頁(現代人文社・1996年)に萩原猛弁護士が書いた「夫婦喧嘩に弁護士135名」という記事がある。

 

ここで報告されている事件は、次のような事件である。

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妻が家出をして以来、1人で5人の子どもを育てていたKさんのところに、ある日突然おしかけてきた妻とその不貞相手を目される男が、子どもたちを連れ去ろうとしたという出来事があった。

その過程でKさんは妻を殴ったという暴行の嫌疑をかけられ、取り調べを受けることとなった。その中で警察官から「10回殴った」という記憶に反する供述調書への署名をさせられたKさんは、「ミランダの会」の会員であったT弁護士に弁護を依頼し、T弁護士は弁護人立会いでの取り調べを求めた。ところが、浦和地検(当時)はそれを拒否し、ある日突然浦和地検はKさんを暴行Kの被疑事実で逮捕した。そしてKさんの5人の幼児は養護施設に預けられることとなった。

 

弁護団は、この逮捕、勾留に対して、再三にわたり準抗告、勾留取消請求、特別抗告を行い、さらには再三にわたる保釈請求をしたがすべて却下された。

そして逮捕から約5か月後にKさんは保釈されることとなったが、その時の保釈条件が・・・

 

①被告人は、弁護団が用意した(T弁護士が賃貸借契約を締結した)浦和市内のアパートを制限住居とする

②月曜日から金曜日まで午前9時から午後6時まではT弁護士の事務所で事務職員として稼働し、その間はT弁護士の監督に服する

③月曜日から金曜日までの午後6時以降ならびに土曜日、日曜日および休日は、弁護人らの監督の下に制限住居で居住し、浦和市内を出るときは、少なくとも同弁護人らのうち1名の者がこれに付き添う。

というものであった。

 

ボランティア弁護人が、交代で被告人Kとともに前記アパート(愛称「代用監獄」)に寝泊まりしている。週末Kが養護施設に預けられている子どもたちに会うために新潟に赴く際には、必ずボランティア弁護士が同行している。

 

萩原猛弁護士は、

「第四次の保釈請求が却下された時、この上なく深い絶望の淵に突き落とされた気分であった。「人質司法」と評されて久しい日本の刑事司法は、ついにここまで来てしまったのか。それならば、最早「禁じ手」を使うしかないとして、前記保釈条件を提示したうえでの第五次保釈請求となったのである。裁判所は、この条件を受け入れた。まさに「カリカチュア」である。一体「罪証隠滅の虞れ」「関係者に働きかける虞れ」とは何なのだ。しかし、裁判所は、これが「カリカチュア」であることにすら、まったく気づいていないようである。」

と述べている。

 

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ここに登場するT弁護士こそが高野隆弁護士。

今回のゴーンさんの保釈。その背後には、高野弁護士だけではなく、萩原猛弁護士ら「ミランダの会」のメンバーの「人質司法」、「黙秘権行使」、「取調べへの弁護人立会い」などへの壮絶な戦いの中で編み出された「カリカチュア」が源流にある。

今回この記事を書くにあたり、ひさしぶりにGENJINブックレット「『ミランダの会』と弁護活動」(現代人文社・1997年)を読んだが、この20年の間の刑事弁護をとりまく環境の変化にあらためて驚かされる。かつては黙秘権の行使や供述調書への署名押印をアドバイスしたら、検事正から「違法な弁護活動」だと言われていたのが、いまや当たり前のように黙秘権行使をアドバイスできるようになった。

一方で、20年前も今も変わらず出てくるキーワード「人質司法」。

1996年に埼玉で夫婦ゲンカの末暴行事件で使われた「禁じ手」が、2019年に世界的な事業家に対する保釈請求で効果を発揮したということ。まさにカリカチュアである。

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私はこのゴーンさんの保釈が刑事司法にもたらす影響は非常に大きいと感じている。

これを「ゴーン事件」の特別な判断にしてはならない。そのためにわれわれ刑事弁護人ががんばらなければならない。

それは決して「高野方式」を真似ることではない。「高野方式」はカリカチュアである。

このような方法をとらなくても、無罪主張をする被告人が当然のように保釈されるように実務を変えていかなければならない。

「高野方式」はもう終わりにしよう。