沖縄では、年間1000件近くの米軍がらみのさまざまな事件が起きています。1日にすると約3件です。(犯罪とまではいえないものも含めてですが)1日に米軍関連での事件が3件も起き続けているのに、再発防止をいいながらも、なくならないことの異常さ。基地を押しつけ続けるということはこういうことなのです。基地こそが安全を損なうもの、これが沖縄です。

今回の、女性殺人事件は、そうした日常の中での事件だということを知らねばなりません。

 

米軍の犯罪といえば、嬉野京子さんの撮った1枚の写真を思い出します。

 

以下にその写真のことについて語った嬉野京子さんの話を紹介します。

 

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1965年に私が沖縄に行ったのは、沖縄で米軍がやっていることを知らせるためでした。 25歳の時です。米軍占領下の沖縄のことは、本土では全くわかりませんでした。米軍が統制していたからです。

沖縄が日本でないことをまず思い知らされたのは、飛行機の中でした。沖縄本島が眼下に見えはじめると、スチュワーデスが「カメラをしまって下さい」。撮影が禁止されました。一人でも写真を撮るものがいると、フライト自体が許されないのです。

4月中旬、私は祖国復帰行進団といっしょに、本島最北端の辺戸岬に向かって歩いていました。中部の嘉手納基地にさしかかった時、行進団の人に、「持っているだけで逮捕されるし、行進団にも弾圧がかかるから」と、カメラを預けるように言われました。

4月20日、宜野座村に入りました。小学校で休憩に入ったとたん、「子どもがひき殺された!」。なんと行進団の目の前で、小さな女の子が米軍のトラックにひき殺されたのです。手に通園用のバッグを持ったまま。死んだ女の子の側に突っ立っているだけのアメリカ兵。しかし驚いたのは、駆けつけた日本の警察でした。米兵を逮捕するでもなく、軍用車がスムーズに走れるように交通整理をはじめたのです。

これを目の前にして何もしないわけにはいきません。「撮らせてほしい」と懇願しました。「生きて帰れないよ」と言われましたが、引きさがれませんでした。「わかった、見つからないようにぼくの肩越しに撮ってくれ」、一人の男性が肩を貸してくれ、たった一度押したシャッターがこの写真です。



少女轢殺


フィルムは行進団の手に渡り、数日後には地下ルートで東京に届き、「赤旗」に掲載されました。その新聞を見た時は怖かったですねえ、自分に何かおこりそうで。でもすごい衝撃でした、これが沖縄なんだと。

1967年、再度渡航しました。人民党(復帰前、瀬長亀次郎を党首とする沖縄で最も先進的な政党)の機関紙編集部に、協力をお願いしました。

アメリカは1953年に土地収用令を出し、沖縄全土で農民の土地を次々取りあげました。伊江島の人たちは戦後2年間、島を離れて本島や他の島に収容されていました。帰島した時、肥沃な農地はすべて米軍基地となっていました。やっと耕作を始めると今度は、朝鮮戦争に伴う新たな土地収用が進められ、米軍はブルドーザーで家を押しつぶし、作物を焼き払いました。島の63%が米軍基地になりました。

土地を奪われた農民たちは、阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さんを中心として、抵抗の砦「団結道場」を建てました。その起工式の準備を撮影に出かけたところ、嘉手納基地から来た米軍の憲兵が、私の目の前で島の人たちを逮捕していくのです。4人の憲兵が1人の農民に掴みかかり、まるで荷物のようにトラックに放り投げて。

夢中でシャッターを押していると、パッとカメラを取り上げられ、フィルムを抜かれました。3台カメラを持っていましたが、2台は取り上げられ、最後の1台をかばって私はしゃがみこみました。私の突然の行動に驚いた憲兵たちは、私を囲んで突っ立っていました。

その時、憲兵の足の間から、一人のおじいさんがひょこひょこ、こちらに向かって来るのが見えました。島の人たちが「何事か」と集まってきたのです。私は抱えていたカメラをそっとおじいさんに手渡しました。一瞬でした。おじいさんは、さっとカメラを隠して遠ざかってくれました。

農民の逮捕に抗議する集会が基地のゲート前であり、私も駆けつけました。カメラは、島の人が農具を入れる麻袋に入れて運んでくれました。しかし、集まった農民をかき分け、11人の憲兵隊が、まっすぐ私に向かってきました。基地に連行されました。

憲兵大佐の質問は、「あなたは伊江島の人ではないですね」。次に「あなたは沖縄の人ではないですね」。そして「あなたは嬉野京子さんですね」。

これはだめだ。生きて帰れない。もう怖くて、怖くて。どうしよう。生き延びるために必死で考えました。頭が痛くなるほど考え「尋問に答える義務はない」と言ったのです。そのとたん、憲兵大佐の態度がガラッと変わり、「沖縄にいる限り、生殺与奪の権利は我々が持ってるんだ」と、スチール製の机の引き出しをバーンを蹴とばし、私は釈放されました。

人民党からは島を離れるようにとの指示が出ました。これ以上島にいると危険だし、党首の瀬長さんにも迷惑がかかるかも知れない。指示に従うことにしました。しかしフェリーは米軍に押さえられ、憲兵は港に張り付いています。何とか漁船をチャータ-してもらい、船底に隠れ、本島に逃げ帰りました。

電話は盗聴されるので使えず、人民党からの指示を待つだけ。たまたま届いた夕刊を見たところ、なんと私が指名手配された、という米軍発表がでかでかと。理由は、米兵に暴力を働いた、というのです。伊江島では山狩りが始まりました。辺鄙な場所の、ドヤ街のような地域の家に隠れました。とにかく沖縄から出なければ。弁護士を依頼し、各政党、団体を回り、「助けて」と訴えました。

何とか取ってもらった他人名義のチケットを持って、空港に向かった私の後ろには、各政党の三役クラス、全軍労や民主団体のそうそうたる面々がつきました。出国の係官はその人たちを見て、黙って私を通してくれました。もし私を逃がしたことがばれても、その人たちが守ってくれる、との信頼があったのです。

沖縄は本土に復帰しました。しかし米軍基地はそのままです。いえ、それ以上です。そして米軍基地を75%も抱えさせられた沖縄の人々は、一度も憲法9条の恩恵にあずかっていません。そして米軍の魔の手はじわじわと本土をも侵食しています。

みなさんは沖縄に行って、自分の目で、ぜひそれを確認してほしいのです。そして憲法を守るということは、本当はどういうことなのか、それを考えてほしいのです。

 

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戦慄が走る写真です。その体験です。

沖縄の人々は、このような事態の中で、日々を過ごしてきたのです。

 

5月22日「朝日新聞」より、以下の指摘があります。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇米軍関係者による刑法犯事件、およそ半数が沖縄

警察庁や沖縄県によると、全国の警察が検挙した米軍関係者(軍人と軍属、その家族)による刑法犯事件は1990年代前半、300件近い年もあった。96年に90件まで減少したが、03年に194件と増加。その後は100件前後で推移している。国内の米軍専用施設の75%近くが集中する沖縄が、そのうちのおよそ半数を占めている
。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

女性に対する犯罪のデータを見つけました。(1995年までですが、これがその後なくなっていないことは、今回の事件でも明らかです)

沖縄の女性グループ「基地軍隊を許さない行動する女たち」がまとめた【米兵による戦後沖縄の女性に対する犯罪】

年代
月 日
事  項
処罰の方法
出典
19453.26沖縄戦で米軍が初めて座間味村に上陸。数カ月後、米兵による強姦事件が発生。拉致してボートで連れ出し、裏海岸で強姦した後、放置。不明8
 4月米軍上陸後、強姦が多発し、各地域で住民による自警団が結成される。 8
 8.20祖母と食料探しのため海岸に出た32歳の女性、米兵につかまり強姦される。翌年4月、混血の男児を出産。(玉城村)不明10
 8.21友人2人と、子どもをおぶって薪取りに出かけた31歳の女性、米兵3人に拉致され消息を絶つ。(座間味村)不明2
 9.8子どもをおぶってヨモギを摘んでいた39歳の女性、4人乗りの米兵のジープに拉致され、カーブで道ばたに放り出される。背中の子どもは死亡。(羽地市)不明2
 9.24男性2人と石川の収容所に親戚を訪ねていく途中の19歳の女性、子どもをおぶったまま3人の米兵に拉致される。男性2人は米兵に銃を向けたれ、抵抗不可能。母子は2年後に白骨死体で見つかった。(石川市)不明2
 10.2446歳の女性、道路で米兵2人に襲われそうになり、がけ下に飛び降りて大腿骨折。その後、追ってきた2人に強姦される。(本部町)不明10
 10.25家具を失って岩の下で居住していた35歳の女性、夜トイレからの帰りに米兵2人に強姦される。翌年8月、男児を出産。(知念村)不明 
この年 宜野座米軍野戦病院に収容された重傷の女性を、MPが強姦するのを沖縄人労働者が目撃。不明4
19461.21草刈り作業中の23歳の女性、米兵に森の中に連れ込まれ、ナイフでほおを切られたあと強姦される。その後、妊娠、出産する。(兼城村)不明10
 1.草刈り作業をしていた19歳の女性、米兵にすすき林の中に連れ込まれ、強姦される。混血の女児を出産。(糸満町)不明10
  この月から、沖縄の女性たちに混血児が生まれる。(沖縄本島上陸から10カ月) 5
 3.10農作業中の30歳の女性、米兵3人に拉致、強姦される。12月に男児を出産。彼女の姉も、前年、出産直後、寝ていたところを米兵に拉致されそうになったが、住民の騒ぎで未遂に終わった。(具志川村)不明

2

10

 7.26川に洗濯に出かけた34歳の女性、行方不明になる。8月1日に死体で発見されるが、口にぼろ切れが詰め込まれていたことと、住民の立入禁止地区で発見されたことから、米兵による強姦、殺害と推定された。(北谷村)不明10
 8.30芋の積み込み作業をしていた24歳の女性、米兵に捕まって強姦されそうになったところを抵抗。ナイフで切りつけられ重傷を負う。数人の男性の騒ぎで米兵は逃げてしまう。(具志川村)不明10
 10.農作業中の39歳の女性、米兵3人に山中に連れ込まれて強姦される。(具志川村)不明 
46~47 本土や海外からの引揚者が収容されていたキャンプのテント村では、米兵が進入して女性を強姦した。乱暴された後、自殺する娘も多かった。母、娘とも強姦されたケースもある。 9
473.大勢の人たちと農作業をしていた女性、逃げ遅れて3人の米兵に拉致、強姦される。後に赤毛の男児を出産。(具志川村)不明2
 5.834歳の女性給仕、所用で出かけて戻る途中、米兵に拉致され、浜辺で強姦される。農作業中の人たちに助けを求めたが助けられなかった。
(大宜味村)
不明10
 8.20外出から帰ってきた24歳の女性、屋敷に潜んでいたフィリピン兵に強姦されそうになり、抵抗したところをナイフで刺殺される。(コザ市)不明10
 9.928歳の女性、自宅にピストルを持った米兵が侵入したため、一旦逃げるが、生後6カ月の子どものことが気になり、戻ってきたところを畑に引きずり込まれて強姦され、ピストルで殴打されて死亡。(コザ市)逮捕されるがその後、不明 
 10.畑を開墾中の42歳の女性、フィリピン兵らに強姦される。(具志川村)不明10
19487.中部農林高校の寄宿舎が台風で破壊されたため、民家に下宿していた女子高生、家主の知り合いの米兵に強姦される。助けようとした家主はナイフで切りつけられる。(具志川村)不明10
 8.フィリピン兵の集団に女性が拉致される。救出に行った地元の男性2人のうち、一人は殺され、一人は負傷。不明9
  このころ、米兵が基地のまわりの民家に昼夜なく現れ、片言の日本語で女性の名を呼びながら、うろつく。(沖縄本島中部)不明6
 9.14生後9カ月の赤ちゃんが米兵によって強姦される。不明3
19499月

混血児人口450人
(那覇94人、前原50人、コザ73人など)

米国の「タイム」誌(1949.11.28)は、沖縄に駐留する米兵が「米軍の才能のないものや、のけ者のていのよいはきだめになっていた。9月までの6カ月間に米兵は18件の犯罪を犯罪を犯した」と論述する。(抜粋)

 

7

1

 12米軍部隊のメイドとして、働いていた17歳の女性、兵隊宿舎の中で米兵に強姦される。翌年、混血の女児を出産。(具志川村)不明2
  1945年の上陸から、この年までの米軍人による沖縄住民に対する強姦、及び致死傷76件(うち強姦致死4人、拉致をおそれて車または崖からの転落死7人)-表沙汰になったもの 5
19502.17夜11時頃、那覇市内で芝居見物帰りの2人の女性が米兵にカービン銃で脅迫されて連れ去られ、一人の女性は6人の米兵に、またもう一人は8人の米兵に強姦される。不明1
 7.5民家にフィリピン兵が侵入してピストルを乱射。主婦が捕まって強姦される。(具志川村)不明10
  この年の朝鮮戦争勃発で沖縄における米軍基地建設はピークに達し、沖縄は朝鮮への発進基地となって米兵があふれる。 6
19515.戦後6年間の強姦事件は278件 1
19523.25那覇市内の民家に米兵がCIDと偽って入り込み、21歳の女性を強姦。さらに1時間後に引き返してきて逃げ回る女性を殴りつけ、再び強姦する。米兵はエンジニア部隊所属。不明1
19559.3永山由美子ちゃん(6歳)が、嘉手納高射砲隊所属の米兵に拉致され、強姦された上、惨殺される。(石川市)死刑判決後、45年の重労働に減刑

1

3

 9.99歳の少女が就寝中に海兵隊所属の一等兵に強姦拉致され、重傷を負う。(具志川村)終身刑

1

3

19569.23特飲街でホステスが海兵隊伍長に惨殺される。変態性欲者の犯罪といわれる。(宜野湾村)懲役8年1
19593.1720歳のハウスメイドが那覇航空隊近くで一等兵に強姦される。陪審員合議で懲役10年、
平籍はく奪
1
 10.2822歳のホステスが米兵に強姦、絞殺される。死体は全裸で発見される。(コザ市)懲役3年1
3
19617.1147歳のホステスが部隊を脱走した19歳の海兵隊員によって殺される。逮捕され、一人は無期懲役1
3
19637.322歳のホステスが那覇航空隊所属の上等兵に惨殺される。ふられた腹いせによるもの。  
 10.120歳のホステス、キャンプ・シュワーブ所属の米兵2人に野原に引き出されて強姦される。犯人はMPに現行犯逮捕される。(久志村)不明10
19651.2428歳の女性のホステス、自宅で殺害される。米兵が容疑者として、取り調べを受ける。(金武村)不明3
19667.21勤め先から帰宅途中の31歳のホステス、米兵に強姦、殺害され、全裸死体となって下水溝で発見される。(金武村)迷宮入り1
19671.2432歳のホステスが18歳の海兵隊員によって絞殺、全裸で発見される。(金武村)重労働35年の判決1
3
 4.234歳のホステスが米兵に強姦、絞殺される。(コザ市)不明1
 11.2020歳のホステス、自宅で就寝中に米兵にハンマーで頭を殴られ死亡。(金武町)迷宮入り1
  

この年、ベトナム戦争からの帰還兵による強盗、ホステス殺しが続発する。

このころ、米兵相手のバーでは、女性が一人でトイレに行くのは自殺行為だと言われた。

 

1

9

19683.29浦添村の米軍施設内に努めていた35歳のメイドが同施設内に勤務する米人女教師に殺される。米軍当局の許可で本国帰還1
 5.1952歳の主婦、自宅前の路上でミサイル基地所属の上等兵に強姦、殺害される。(読谷村)韓国へ出動させるが沖縄県警の捜査で逮捕。終身刑。

1

10

 6.2023歳のホステス、海兵隊MPに強姦される。その後短銃で殴りつけられたため、重体。宜野座村)逮捕後不明1
19692.2221歳のホステス、砲兵連隊所属の二等兵に絞殺、全裸死体で見つかる。(コザ市)逮捕後不明1
 3.320歳のホステスが死体で発見される。司法解剖の結果から米兵の犯行と断定。(那覇市)迷宮入り1
 11.21アルバイト帰りの25歳の女性を路上で上等兵が強姦。抵抗するたびにナイフで切りつける。(那覇市)俸給二カ月分の罰金、降等10
19705.28出勤途中の21歳の軍雇用女性、米兵に襲われる。(浦添村)証拠不十分で無罪3
 5.30下校途中の女子高生が軍曹に襲われ、腹部、頭などめった刺しにされる。強姦が目的だったようだが、騒がれて未遂。教職員会、女性団体、高校生らの抗議で逮捕。(具志川市)懲役3年の重労働、降等 
この年 朝7時半頃、高校3年の女性とが登校中に、突然体が宙に浮き、上半身裸の3人の米兵に腕を捕まれたままジープで数秒間引きずられた。(宮古)  
この頃 バーを経営していた女性が、カウンター内に入り込んで来た米兵に強姦される。その際、足と首に大けがをし、働けなくなる。犯人は裁判中に配置転換9
19714.2322歳の女性ホステスの全裸死体が墓地で見つかる。目撃者の証言で海兵隊所属の伍長が逮捕される。(宜野湾市)血液型が被害者と同じため証拠不十分で無罪1
 5.141歳の女性が海兵隊二等兵にドライバーで刺殺される。指紋体液の血液型などの証拠で逮捕。(金武村)不明。本人は否認1
 5.21女子中学生が米兵に強姦される。(コザ市)犯人あがらず1
 5.23出勤途中のホステスが米兵に空き家に連れ込まれ、強姦される。(コザ市)迷宮入り1
 7.10自宅前で遊んでいた12歳の精薄児を3人の米兵が輪姦。(宜野湾市)逮捕後不明1
19724.1025歳のホステスを陸軍軍曹が殺害。排水溝に投げ捨てる。(泡瀬ゴルフ場横)懲役18年1
 8.437歳のホステスが二等兵によって強姦、絞殺される。(宜野湾市)無期懲役1
3
 12.122歳のサウナ嬢を海兵隊二等兵が強姦、シミーズのひもで絞殺。(コザ市)無期懲役1
19733.1842歳のホステスが全裸絞殺死体で発見。第二兵たん所属の兵隊の血液型、指紋が現場のものと一致したが、物的証拠がなく、逮捕不可能。地元警察の米軍側への申し入れにも関わらず容疑者は二ヶ月後に除隊し、本国に帰る。(コザ市)迷宮入り1
19745.8叔父と共に農道を歩いていた17歳の少女が、米少年兵3人に全裸にされたうえ輪姦される。叔父が殴られて気絶していたときの犯行で、叔父の訴えにより、犯人が判明。(金武村)不明1
19754.19海水浴に来ていた二人の女子中学生をキャンプ・ハンセン所属の二等兵が石で殴って気絶させ強姦。米軍は容疑者の身柄引き渡しを拒否したが、地元住民、県議会の抗議行動で地元警察に引き渡す。(金武村)懲役6年

3

10

19828.133歳の女性ホステス、新築工事中の部屋で、上等兵に絞殺される。強姦しようとしたところを抵抗され、殺す。(名護市)懲役13年1
19849.3019歳の米軍一等兵女性、一等兵と二等兵に強姦され、車ごと焼かれて死亡。(宜野湾市)懲役13年1
198510.2940代の女性が帰宅途中、キャンプ・ハンセン所属の二等兵と上等兵に拉致・強姦される。(金武町)現行犯逮捕刑は不明1
19935.19歳の女性が陸軍軍曹に拉致、強姦される。被害者は告訴取り下げ。除隊3
19955.1024歳の保険外交員の女性、米兵にハンマーで顔面を殴られ死亡。(宜野湾市)係争中3
 9.4米兵3人による小学生拉致、強姦事件発生2人懲役7年・1人6.5年3

 作成:高里鈴代・宮城晴美(1962.2.2)

〔出典〕

1.比賀朝進「戦後50年犯罪史」(風土記社)
2.福地廣昭「沖縄における米軍の犯罪」(同時代社)
3.沖縄タイムス
4.那覇市「那覇市史 飼料第3巻8」
5宮里悦編「沖縄・女達の戦後」(沖縄婦人運動史研究会)
6.「島マスのがんばり人生」(回想録編集委員会)
7.「うるま新報」
8.証言
9.NHK/ETV特集「沖縄は何を怒ったのか-軍隊と性暴力を問う女性たち」
10.福地廣昭「米軍基地犯罪」(労働教育センター)

〔凡例〕

1.「具志川村」は現在の「具志川市」のこと
2.地名は、事件当時の市町村名を使用
3.新聞の表記では「乱暴」「暴行となっているものでも、状況から「強姦」と思われるものはそのように表記している。
4.出典名が二つあるのは、両方を参考にしたと言うこと
「不明」派、操作自体が行われていないと考えられるものもある。

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下の写真は、宮森小学校に米軍のジェット機が墜落した事件写真。

1959年(昭和34年)6月30日午前10時30分頃、石川市(現うるま市)の宮森小学校二墜落。児童11名を含む17人が死亡、負傷212名が出ました。米軍パイロットはパラシュートで脱出、無事。

ここでも米軍の対応はひどいものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

知ることから、怒りを怒りのままにしないこと、そう思います。

 

(No.1632の記事)