水俣病-江頭豊のしたこと: 雅子妃の祖父 | 護国夢想日記

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 日々夢みたいな日記を書きます。残念なのは大日本帝国が滅亡した後、後裔である日本国が未だに2等国に甘んじていることでそれを恥じない面々がメデアを賑わしていることです。日本人のDNAがない人達によって権力が握られていることが悔しいことです。

水俣病-江頭豊のしたこと


 水俣病に関しては、このシリーズの「net案内
」で書いたが、水俣病に関する話をある患者さんとしていたところ、『1株運動 』で糾弾されている江頭豊を「あのひとは水俣病の発生には関係がないのでは・・・結局、事態収拾の当時者だっただけで批判されるのは気の毒な気がする」と言われた。


 私には即座にそれに答えるだけの知識がなかったのだが、江頭豊の孫達の幸せそうな写真「小和田姉妹 」と、ユージン・スミスが撮影した上村智子『入浴する智子と母 』の悲惨さの対比が印象的だったので、江頭豊の果たした役割を検証しようと考えた。 (040831 改訂)

 今はタブー視?されているようなところがある皇太子妃の母方の祖父が、水俣病とどう関わったのか?と言う疑問に答えるため、水俣病はいつ頃発生し、患者や漁民達はどう行動し、行政はどう関わったのか?企業はどう対応したのか?などを知るため年表を作成した。

水俣病-年表
詳しくはこの年表をご覧下さい。


 チッソ:http://www.chisso.co.jp/top.html
水俣病を発生させたチッソ(株)は、現在、従業員1940人の規模だが「1500億円の累積赤字を抱え、売り上げの多くを患者補償にあてなければならず、自力で賄えない分は国民の税金が投入されている(熊本日日新聞 03・03・20 )」状態である。


 国の返済肩代わりや免除分を合わせると国費の投入、つまり税金の使用は約1500億円に上るとみられる。(チッソの救済は税金 )など、を見ると約1500億の税金が注ぎ込まれているようだ。


 税金で延命されている企業:
患者への補償の必要から、チッソが経営危機に陥るであろう事に対し(国が対処せず)熊本県から33億5千万円の県債(第1回)を受けたのは681221であるが、チッソは1973年から患者への補償金の支払い能力がなくなった。そのため、78年からは熊本県が県債を発行し、患者への補償金支払い資金として国の資金をチッソに貸し付け、患者救済に回してきた。


 しかし、チッソの公的債務が雪だるま式に増え、借金返済の目途がまったくたたなくなり、国・熊本県等の金融支援措置関係について:水俣病問題解決支援財団から解決一時金支払いの原資として約317億円をご融資頂いておりますが、そのうち85%相当額(約270億円)について00年3月末で免除して頂くことを予定しています。報道資料 00・01・25 」となった。患者を苦しめた裁判の費用や、患者を暴力集団に襲撃させた経営陣の給与にも(結果的には)国民の税金が使われた事になる訳だ。


江頭豊皇太子の婚姻に際し問題となったと言われる、チッソの社長~会長をしていた「江頭豊」に関する情報はnetには少なく、googleで「水俣病*江頭豊」で検索すると13件、熊本日日新聞のサイトの年表が1番に来たが、2番目はこのシリーズの「net案内 」(*HeartLand/6000のもの、現在では移転後のページが2番目に来る)だった。


 国会でも共産党の議員が質問しているが「江頭豊は水俣病に関係がない」と言う事になっている。はたしてそうなのか? (*質疑は一部改変した、全文は質疑全文 を参照の事)

 国会での質疑:126回国会、衆議院・大蔵委員会(930423
正森成二・衆議院議員(日本共産党)
:宮内庁に伺いますが、報道されているところでは、小和田雅子さんの祖父、江頭さんは一時期、現在のチッソの社長だったということから、宮内庁は水俣病の原因となった企業であることから、皇太子妃にはふさわしくないという判断だった、水俣病発生後の就任であったとしても、御夫妻で熊本に行かれとき歓迎して貰えるかなどの意見が説得力を持ったと報道されております。別の報道では、雅子さんの件はおあきらめくださいと皇太子様に当時の宮内庁首脳が伝えたこともあった、ということが書かれております。

 宮内庁長官・官房審議官・古居儔治
:昭和61年以降、小和田雅子さんが皇太子妃候補の一人として皇太子殿下と親しくお会いになられた時期がありましたが、昭和63年に雅子さんが外交官補として海外研修のために英国に赴任され・・・江頭豊氏がチッソの社長等の地位にあったということについても、やはり慎重を期すべきではないかというようなことから、御交際は中断した時期も・・・しかしその後、江頭豊氏につきましては、チッソの社長等に就任されました時期等の関係から致しますと、水俣病の発生に直接関係がありません・・・また皇太子殿下の強いお気持ちを体して、小和田雅子さんを皇太子妃候補としたところでございます

 熊本日日新聞 03・03・20
には「自ら早い段階で工場廃水を止めていれば、これほどの事態にはならなかったはずだ」と書かれているが、有機水銀を含む工場排水が止められたのはいつ頃なのか、誰が決断したのか、などの疑問が湧いてきたので、年表を作ってみたところ「江頭豊」の役割が大きい事が解った。




江頭豊の責任:

1.水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し続けた。
水俣病の原因がアセトアルデヒドの製造工程から出る有機水銀である事は、チッソ社内では周知の事実であったし、熊本大学により、それが証明されても、設備を稼働し続けた。


 水俣病だけだと良く解らないが、新潟水俣病の年表を加えてみると、非常に良く理解できるのだが、江頭豊が社長に就任した翌月、19650110、新潟水俣病の発生企業、昭和電工がアセトアルデヒドの生産を停止、製造工程図は消却、プラントは撤去してしまった


 これは昭和電工が「水俣病の発生原因はアセトアルデヒドのプラントから出る有機水銀である」と認識していた事を示している。しかし、チッソ水俣工場がアセトアルデヒド製造設備の運転を停止したのは19680518であり、新潟の水俣病患者が昭和電工を新潟地方裁判所に告訴し、「公害対策基本法」が成立した翌年であり、昭和電工がプラントを撤去、製造工程図を消却してから3年半後だった。

2.患者や家族に謝罪したが補償に応じようとはしなかった。


 水俣病が公害病の認定を受け、江頭社長は19680927から患者家族に詫びて回るが、具体的な補償案を出さないため、厚生省が調停にのりだした196902)のである。


 しかし、厚生省は患者側に「この補償処理委員会の結論には一切異議なく従う」との確約書提出を求め、患者側は一任派と自主交渉派に分裂した。困窮のどん底に置かれている患者と家族には、卑劣極まりない態度と言われてもやむを得ないだろう。

 石牟礼道子『苦界浄土』あとがき:
チッソ側はゼロ回答をもってこれにうそぶいている。第三者機関あっせんに、再び互助会が依頼した寺本熊本県知事に、江頭社長は「チッソとしては34年暮れの見舞金契約は有効、補償交渉はチッソの好意で行われており・・・「公正な審判に服する」というならとにかく、恐るべき厚顔無恥、わたくしたちにこの上まだ《ことば》がありうるであろうか、とわたくしは思い沈む。 http://www.google.co.jp/ (キャッシュ) 投稿-32


3.謝罪した後も悪質なデマを流し患者や家族を冒涜した。

 チッソ水俣支社・東平総務部長がスウェーデンのジャーナリストに答えている「端的にいうなら彼らは海に浮かんだ死んだ魚を食べたんですよ。しかし、そんなことを裁判にもちだすのは難しいです。一般の人に相手側について悪い印象を抱かせることになります。まるで動物ででもあるかのようにね。


 58年以後の病気の原因が、死んだ魚を食ったためなのか、水銀のためか解らんのですよ。58年以後に発病した人に限って言えば、それで補償金を貰えるなんて、有り難く思って貰いたいものです」(原田正純 『水俣病』p218197107の話、詳しくは水俣病事件 )、自らの責任をごまかし、患者や家族に対するこの侮辱、何たる傲慢であろうか。

4.患者や報道カメラマンを暴力集団に襲撃させた。 
(会長時代)

 千葉県の五井工場に抗議に訪れた「自主交渉派」の水俣病の被害者やユージン・スミスら取材陣をチッソは暴力集団に襲わせた(19720107)、ユージン・スミスは片目を失明するほどの重傷を負わされたのに告訴せず、時間とエネルギーを写真に向け、6年後に負傷からの後遺症が元になり、死亡した・・・スミスの志とそれを暴力で封じようとした人達の心根、対照的である。

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