脳外科医との面談で「お腹の子どもは予後が長い」と言われた私たちは、
最も恐れていた現実と向き合わなければならなくなりました。
それは、「世帯収入ゼロのリスク」
私たち夫婦は親子ほどの歳の差がある、いわゆる歳の差婚です。
(あ、念のために言っておきますが、不倫とかではないです
)

といっても、財力と社会的地位のある夫と若い妻とか、
芸能人のような両方にかなりの収入がある夫婦とかではなく、
二人とも普通の会社員です。
パパが定年になるまでは二人でしっかりと貯金をして、
そのあとは私が家計の中心となりつつパパも働けるところまで働くことで、
万が一早くに介護が必要になっても大丈夫なように結婚前から計画していました。
どうしても仕事を続けたかった私にはむしろ願ったり叶ったりの条件でした。
パパが早く他界することや介護が必要になることは想定していたけれど、
男性が高齢であることが子どもに影響するなんて聞いたこともなかったし、
子どもが障害を持って産まれてくるなんて微塵も想像していなかったのです。
(実際、奏の疾患にははっきりした原因がないそうです)
奏が全前脳胞症かもしれないと指摘されてから、私はネットでありとあらゆる情報を収集し続けていました。
全前脳胞症のお子さんたちのほとんどが寝たきりに近い状態であること、
知的障害と身体障害がどちらも重度だと重症心身障害児と呼ばれること、
日常的な医療ケアが必要になること、
ママさん達は家でつきっきりでケアしていること…
予後が長いということは10年、15年、もしかするとそれ以上を想定しなければならない。
私の勤める会社では、育休を取れる期間は2年。
2年経ってもこの子が生きていたら、私が仕事を辞めて面倒をみなくてはならない。
そこから数年すればパパは一旦定年を迎える。
再雇用だと給与水準は大幅に下がるので、その時点で生活はたち行かなくなる。
それに、もしも途中でパパが倒れたりしたら世帯年収はゼロになってしまう…
年金受給が始まっても、到底それだけでは生活していけない。
かといって、パパに仕事を辞めてもらって、母親の私ですら戸惑いのある子どもの介護を任せるのか?
そもそも共働きである程度の蓄えを作らないとパパに介護が必要になったときに備えられない。
奏が何年生きるかに関係なく、親の私たち、特に私はあと50年くらい生きる想定で生活設計しなくてはなりません。
私は電卓を引っ張り出してきて、仮に片働きになったとして貯められるであろうお金を概算で出し、今ある二人の貯金と足して、1ヶ月に必要な生活費で割りました。
………全然足りない。
どうしよう、食べていけない…生きていけない…
このままいくとどう考えても行き着く先は生活保護…
仮に奏を先に見送ってまた働き始めたとしても、
何の資格も持たない私が10年以上もブランクをあけて
安定したそれなりの収入を得られる可能性は低い。
なんとか食べていくことはできたとしても、
第2子も、なにもかも諦めなくてはならない。
お金がなくても楽しく生きていけるよ、
と心から言えるのはほんの一握りの人だと私は思っています。
私は高校生の頃のある光景を思い出していました。
実家は小さな個人商店を営んでいました。
私の物心がつく頃には既にバブルがはじけていて、
それまでの蓄えでなんとかまかなっていたものの
生活が楽ではないのは子どもながらに感じていました。
そんなある日、父が独り言のようにぽつりと漏らしました。
「俺が首でも吊って保険金が入った方が、
お前たちは楽に暮らせるかもしれないなぁ…」
弱音なんて一度も口にしたことのない父が真顔で思わず口走った光景は強烈な印象となって残っていました。
"お金がないということが、こんなにも人を追い詰めるんだ"
だから私はサラリーマンという道を選んだのに、今、その安定を失おうとしている。
離婚から立ち直れたのは、仕事と収入があったから。
今のパパと結婚に踏み切ることができたのも私自身に収入があるから。
その大前提を失ったら、もう人生をやり直せる気がしない。
寝たきりの子どもの介護で家から出ることもままならず、
精神的にも体力的にも追い詰められて、
そこにもしかするとパパや自分の母親の介護も加わって、
経済的にも困窮したら…
この子と引き換えに失うものがあまりにも多すぎる。
今まで必死に積み上げてきたものが全部崩壊してしまう。
怖い、怖い、怖い…
病院に行くたびに何度も衝撃的な告知を受けて平常心を保つのも精一杯のところに、ダメ押しの一撃。
もういっそ、気でも狂ってなにもわからなくなったらどれだけ楽だろうかと思う自分がいました。