前回、『イチ』について書きました。
「イチ」とは、神と人とをつなぐ
『境界の巫女』を意味し
・「市ノ瀬」「一ノ瀬」「市野瀬」
などのイチがつく地名は
(市場が開かれていたこと以外に)
彼女たち特別な巫女が坐していたことに
由来するものも、あるのではないか?
そんなことを書きました。
これら、神と近しい「聖域」は
「この世」と「あの世」との
境(さかい)・間(はざま)であり
・(水を発生させる)磐座
・岬地形の先端
・山や丘陵地
・島もしくは島状地形
・湖沼、沼地などの湿地
などが該当すると書きました。
『川』も異界への入り口
また、ここに『川』も加えたいと思います。
・「賽の河原(さいのかわら)」
・「三途の川(さんずのかわ)」
などといいますが、地形によっては
「川」も「現世」と「異界」
との境界になり得ると考えています。
また神社には、ときに人が立ち入っては
いけない「禁足地」がありますが
そこは異界…神々の住む世界と
つながる場所だからです。
神の降臨する巨石「磐座(いわくら)」を
『磐境(いわさか)』と表現するのは
そのためでしょう。
・『吉原神社 奥宮』(東京都台東区千束3-22-3)
これらの、人以外の世界との結節点では
良いものばかりではなく、禍(わざわい)も
流入することがあり、禍を止めるべく
道祖神・塞ノ神(さいのかみ)的な
存在として結節点に臨(のぞ)んだのが
彼女たち『境界の巫女』です。
そして意外に思われるかもしれませんが
「磐座(巨石)」と「水」は
ふかく関係しています。
(「境界の巫女」は磐座に坐すので…)
言い換えるなら
「水」と「境界の巫女(女性)」
との関係でもあります。
今回は「磐座」「水」「境界の巫女」
この三者の関連について
みてみたいと思います。
(個人的な考えとなりますが)
この三者の関連は、なかなか
おもしろいと思っています。
(ところより『蛇』が入ります!)
『磐座』と『水』との意外な関係
ところで、なぜ磐座が
神聖視されるのでしょうか?
巨石がもつ圧倒的な偉容など…
さまざまな理由があるのでしょうが
岩は無限の「水」を生み出すケースが
あることも深く関与しているのでは
ないでしょうか。
いわゆる『岩清水(いわしみず)』ですね。
『よくわかる土中環境』
高田宏臣 著 PARCO出版 引用・参照しています。
そもそも岩は、長い年月を経る中で
たくさんの亀裂が入り、その亀裂に水が
浸透、染み込みます。
そこに菌糸・苔・根が生え
水をたくわえます。さらに岩に繁る樹木が
根から水を吸い、土中の深いところから
岩をぬらしながら水が上がります。
その水の一部が岩の亀裂を通して
湧き出します。これが「岩清水」です。
それはふもとの集落の暮らしを
支える大事な水源の一滴となり
その水を守るために昔の人は
そのような山を神域にしてきました。
この原理を知る由もない古代の人びとは
巨石とは「水」をもたらす存在であり
そこに神とつながる、神性をみたのでは
ないでしょうか。
『氷川』って…『神聖なる泉』のこと?
(当ブログで何度も書いているのですが)
埼玉県にある
『大宮・氷川神社(ひかわじんじゃ)』境内には
『蛇の池』と呼ばれる湧水池があり
つい最近まで立ち入り禁止の聖域で
「氷川神社」発祥の地といわれます。
湧き出る水は命の水です。
生命活動に水は不可欠で
信仰の起源となるほど、湧き水は
神聖視されたのでしょう。
『氷川(ひかわ)』の意味とは
湧き出す冷泉(地中を通る湧き水は夏でも
冷たい)「神聖なる泉」に由来する
との説があるほどです。
つまりは『泉(いずみ)』信仰なのですね!
『磐(岩)』と名のつく『磐長姫(いわながひめ)』
そして「岩清水」ときて、思いつくのは
神名に「岩(石)」を冠する
『石長比売・磐長姫(いわながひめ)』です。
彼女は、大山津見神(おおやまつみ)の娘で
妹には絶世の美女とされる
木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)がいます。
(「木花之佐久夜毘売」などとも表記
別名 「神阿多都比売(かむあたつひめ)」)
イワナガ姫は、妹のコノハナサクヤ姫と
ともに、天孫・ニニギノミコトに嫁ぎますが
妹に比べて醜かったとされ、父のもとに
送り返されてしまいます。
…ずいぶんとひどい神話ですが
ニニギはイワナガ姫を拒絶したことで
彼の子孫は、彼女の神格~『岩』のような
永遠なる命を授かることができず
(神の子でありながら)寿命というものを
もつことになったとしています。
さてこの神話はいったい
何を比喩しているのでしょうか?
もっというと、イワナガ姫という
醜い(とされる)姫をあえて登場させることに
どのような意味があるのでしょうか?
『日本「国つ神」情念史
遥かなりこのクニの原型』を記す
津名道代さんは
『イワナガ姫』について
その名前からして
・蛇(ナガ)族の磐座に坐す女
・母系社会のなかで部族の「宗姉・宗母」
・「ヒメ・ヒコ」統治体制の
「ヒメ」にあたる女性首長
だったろうと想像されています。
そして本来
彼女は一族を導く巫女であり
もともと嫁ぐ立場にいなかった
のだろうとし
しかしながら、この神話は
どういう女が「天つ神」から排斥されて
ゆくかを示している点で重要であり
父系族「天つ神」政権の立場から
すると、まず切らねばならなかったのは
母系社会蛇神族
「国つ神」の「尾神」=女性首長
だったのである。
(父系族というのは、権威・権力が、男首長・家父長
に一極集中する体制だから、もともと女首長は
許容できないのだ。)
とするどい考察をされます。
これは極端にいうと、信仰・習俗を
異にする「異民族」どうしの対峙であり
彼女を醜いとするのは一方の立場…
(この場合は男性がトップを務める「父系社会」)
ややもすると男性の側からの
一方的な思い込みと記述であり
彼女は特段、醜くもなく
『蛇(「ナガ」)神』信仰をもつ部族の
『磐(いわ)』に坐す、本当に優れた
『巫女王』だった、だけなのでは
ないでしょうか?
そして古代の女性と蛇との関係は
世界的にみてもめずらしくなく
ギリシャ神話では頭髪が蛇である
「ゴルゴーン三姉妹」などがいます。
蛇神たちの多くは鉄剣で切り殺されますが
前々回に書いた、朝敵第一号として
討伐された名草の女王
『名草戸畔(ナグサトベ)』さんを思い出しますね。
最後に個人的な想像となりますが
『出雲(いずも)』と『泉(いずみ)』の関係
について、書いて終わりにしたいと
思います…
と思ったら文字数オーバーで
書ききれなくなりました!
(妻にはいつも「長すぎる!」と突っ込まれます)
次回以降、「出雲」と「泉」に
ついて書きたいと思います。
続きます。