彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
前回は病を主が知っておられる という事を見ていきました
今回は 彼は侮られて人に捨てられ ていたことを見ていきます。
会堂、宮、家、幕屋など聖書は多くの事柄によって教会のたとえ、預言をしていますので、前回、不信仰な旧約時代の終わりの時に実際にキリストは神の民の会堂で 侮られて人に捨てられることと を体験しました、これは型でもありクリスチャンも同じ時期に(今回は新約時代の終わりの教会で) 侮られて人に捨てられることをクリスチャンによって経験することが解ります。
たとえば
このような場合、神の教えを受けるようにし、神を拝むように忠告するとそうしてないクリスチャンに捨てられ。
マタイによる福音書15: 9
人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。
しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。
それは、良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである。
これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。
こういう場合忠告すると信仰から離れているクリスチャンに捨てられ…
不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、
また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。
ペンテコステ、カリスマ派など、しるしや奇跡の教会で盛んに人を後ろに倒したり、猫や獣の鳴き声をしてみたり、悪霊なんですけど こういう事を言うとそういうクリスチャンに捨てられ、会堂(教会の型)から追い出されてしまいます。
ヨブ、エレミヤ、ミカヤ、キリストそのほか大勢の先輩たちも人に捨てられていましたね、ノアもそうです。
そういうわけで今の時代、神の御心を行ってクリスチャンに捨てられるとはとても大きい報いがあると考えてください。