戦争なくしたければどうするべきぜ | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

悪いものを滅すれば全てが終わりなど

一切のモノの見方と真理をわかっとらん


なぜ戦争があると思うよ
なぜ荒れると思うよ



低層なモノと高貴なモノのが決別したために悲劇は起きた


低層なモノは低層なモノ同士で馬鹿みたいな争いを繰り返す

なぜか?


そんなもん先を示す高いものが見捨てたからだ
それもワザトであるがね大神は



なぜ世はバランスが悪いと思う
先を示すべき人間がおらんからだ


いくら偉いことをほざいてみても人を引いてやれんならただのクズと同じこと



天国と地獄は分かれていてはいかんのだよ

本当の本物の救世主がおるのならば上にはおるまいよ
中幽界におるだろう

天と地の狭間におり闇と光の間におるために、一番見えん存在達よ
光と闇に打ち消されて見えん
そして陰陽を持つために悪にも善にも人間はそれらを取れないだろう
自分の利益ばかりに来んからだ
思考回路が違う、常識の善悪では物事を図っておらん
その為に簡単には判断できまい
利益にばかり人を添わそうとする人間には



戦争や争いや文化の発展をしたければ光におることではない
光を持ち狭間に立つべきであるわ
救世主は目立たんぞ




宗教は光へ行けというだろう
そんなもの闇へ染まりすぎた者にいう反動の言葉ぞ



本物は光を持ちながら光へはおらん




闇を滅却するというのは頭から間違いの真理であり、向き合わなければならないよ



悪とは良心を邪魔するために苦を生じ悪いものとする
しかし良心すらも高い位置から客観的に眺めてみると悪は良心を打ちのめすが、より良心が正しいと決定付ける動きがあるという必要性がみえるだろう




全ての争いの根元は光が闇を否定したことから始まった
光と融合していれば闇は正しい闇として存在するだけで悪では使われなかったのに

闇を恐がる限り争いはなくならん






まぁ、高い者が闇を野放しにしたことから全てはある
いうなれば闇を悪へと成らしてしもうたのは私が手を離したからだ



神示にもあったろう
闇と向き合えと
他人ではないぞ
他人に悪を見出だす自分の心と向き合えよ






さぁさぁ、やらないくまいか


上ばかりにはつかないよ笑




どこまで進んでも退けることができんのは100も承知よ



己の中に結局あるものだからねえ




社会とは、それの反映なのだよ





上が歪んでしもうたら、下はその影響をどこかでうける
うちら神霊は念の動き一つで影響し合うため精神を自我に巻かすと苦情が耐えん
私が自由にしてしまうと下が動けんからだ

それは会社の中でも起こることであろうが。



私は私の世界での立場が在る
やけど人間社会となんら道理は変わらんよ
私達の世界が物質化したのがこの世なのだからね




だから無責任には動けん時もあるのが普通であるわ
それがわかるか、見えるか、自分がやった影響が下にどういう形として現れ災いしとるのかを知らなければならないよ



結局人間神であっても善悪の因縁を持つ
その為に幸福だけが来る現実はない



嫌でも今の人間にはやってもらうぞ



私が辿った道を