「暴かれた古代史」から読み解くもの(6)シラギ神崇拝教 | akazukinのブログ

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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

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シラギ神崇拝教
肉食・生贄儀式はシラギからの渡来


もう二千年以上前のことである。


「暴かれた古代史」の視点にたつと、今まで腑に落ちなかったことが腑に落ちたという感覚である。


しかし、ここでは、犯人探しをするのではない。


縄文日本文明でつちかわれた日本人が本来持っている感性と渡来してきたオリエントの宗教という相いれない思想が衝突した時代だと考える。


そのような時代ゆえに、相まみえ、一時は占拠されそうになったものの、日本人はその性格ゆえに日本式とか和風とかいうものにつくり変えて共存してきたのである。


良いとか悪いとか論ずる次元ではなくそのような時代を経て現在に至っていると、ただ単に思う。


「暴かれた古代史」の世界観がうけいられるとしたら、縄文日本文明というか地球原住民文明というかそのような感性が現在に至るまで汚染をまぬがれ引き継がれているからにほかならない。


伝統工芸


オオクニヌシがシラギの女に産ませた大歳神(オオトシノカミ)。
イソタケルと腹違いの兄弟である。


『古事記』にはスサノオの子と書かされていますが、筆者はスサノオは朝鮮には行っていないと推定しています。これらの神々はみなオオクニヌシが朝鮮の新羅へ行った時に新羅の女に生ませた子供や孫でシラギ神崇拝教の神々です。(『暴かれた古代史』194頁)


御歳神は大歳神の子でオオクニヌシから見たら孫に当る。


父子ともシラギ神として祀られた。


オオトシノカミは、毎年正月に祝われる。

お年玉の由来もここからきている。


さて、シラギ神崇拝教とはどういうものなのか?


日本人が、表立って伝えなかった御歳神の別の顔が、『神々と肉食の古代史』平林章仁著に書いてあるので引用する。


大同二(807)年、斎部広成(いんべひろなり)が平城(へいぜい)天皇の召問(しょうもん)に応じる形で、祭祀氏族として対抗関係にあった中臣(なかとみ)氏による朝廷祭祀の専権的情況を記したのが『古語拾遺』である。その主な主張は当時の神祇祭祀が神代以来の古伝承に違うとする「所遺(もりたるところ)」十一カ条にあるが、『古語拾遺』の中で異彩を放っているのが、末尾に記される「御歳神神話」である。


『古語拾遺』にしか見えない御歳神神話は、律令政府にとって最も重要な稲の稔りを予祝する二月四日の祈年祭(としごいのまつり)の起源譚(きげんたん)として注目されるだけでなく、牛肉が物語展開の重要な鍵となっていることでも見逃せない。少し長くなるが、次にその現代語訳を記す。


ある伝えによれば、むかし神代のこと、大地主神が田をつくる日に牛の宍(しし;肉)を田人(農民)に食べさせた。その際、御歳神の子がその田にやって来て、饗(牛肉)に唾を吐きかけ、還って情況を父に報告した。それを聞いた御歳神は大層怒り、稲を食い荒らす害虫の蝗(いなご)を田に放った。


蝗に食い荒らされた稲の苗はたちどころに枯れて、葉が篠竹(しのだけ)のようになった。困った大地主神が「片巫(かたかんなぎ)」「肘巫(ひじかんなぎ)」をして理由を占ったところ、「御歳神の祟りである。白猪・白馬・白鶏を奉って、その怒りを解くべきである」とのお告げを得た。それに従って御歳神に詫び、白猪などを奉献した。


御歳神はそれに応えて、「蝗の発生は実際に私の意である。これを除くには、麻の茎で糸を巻き取る?(かせ)を作って絡(から)め取り、その葉で掃(はら)い、天押草(あめのおしくさ)で押し、烏扇(からすおうぎ)で扇(あお)ぐとよい。このようにしても田から蝗を除けないときは、牛の宍を溝口に置き、男根の形を作ってそれに加え〔これは御歳神の心を和めるためである〕、薏子(つすだま;ジュズダマ)・蜀淑(なるはじかみ;サンショウ)・呉桃(くるみ)の葉および塩を、田の畔に分け置くとよい〔古語に、薏子は都須玉という〕」と語った。そこで教えの通り行ったところ、稲の葉が再び茂り豊年となった。これが現在、朝廷の神祇官が白猪・白馬・白鶏をもって御歳神を祭ることの起源である。


(中略)


神話学の高木敏夫は、「所遺(もりたるところ)十一カ条を述べ終えて更に祈年祭の縁起を記すのは体裁上、甚だおかしい。大地主神も他に見えず、『延喜式』の祈年祭祝詞(のりと)からも、御歳神祭祀が祈年祭本来の目的でなかったように思われるから後人の追補である」と説く。

(『神々と肉食の古代史』平林章仁著、吉川公文館、2007年、10~12頁)


斎部氏とは忌部氏(いんべし)ともいう。


シラギ神崇拝教の蘇我氏権力のもとで神事をつかさどっていた。


中臣氏(なかとみうじ)は、第35代皇極天皇の御代に蘇我入鹿の暗殺を計画し加担した中臣鎌足の本系で代々神官を世襲している。


渡来系シラギ神崇拝教蘇我氏にたいして縄文古神道を受け継ぐ中臣氏が反撃をくらわした。


シラギ神崇拝者たちは大打撃をこうむるが、まだ地方には三輪氏、シラギ系、出雲系の豪族が残っているので、すぐに大変化がおこるわけでもない。


という構図が出来上がる。


御歳神〈みとしがみ〉の祭りは、春の耕作初めに生贄の牛を屠殺し肉を供える殺牛祭祀であった。殺牛祭祀が渡来系集団の内部でひっそりと行われた秘儀的な宗儀だったなら、少数の特別な事例として済ませてしまうこともできよう。しかし、殺牛祭祀は権勢を極めた葛城(かずらき)氏や蘇我氏の膝下(しつか)で執り行われ、朝廷にとって最も重要な祈年祭の起源ともなっているのだから、秘儀的な宗儀だったとは考えられない。……生贄にされる鳥獣は馬・鶏・犬もあるが多いのはやはり牛であるという。

(『神々と肉食の古代史』平林章仁著、吉川公文館、2007年、80頁)


大地主神、オオクニヌシの別名にも大地主神がある。


大国主神 葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)の大地主神(おおとこぬしのかみ)とされている
(引用元)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%BB%E7%A5%9E


シラギ神である御歳神が、怒って大地主神に生贄を求めた。


その怒りを鎮め和らげるために牛肉と男根形を捧げた。


御歳神は、仕切り通り生贄を供えて祭ったなら豊稔をもたらすが不備があればイナゴを大発生させるという。


とある。


こんなことが朝廷内で行われていたとしたら、シラギ神崇拝教の権力は天皇にも勝るところまできていたことだろう。


専門家および学者の解説では、日本古来より伝わる民間信仰と解釈をしているので、どこにもシラギ神のことはでてこない。


御歳神を日本の神として疑っていない。


『暴かれた古代史』の見地をとって日本列島に神通力でまとまった原住民が住んでいたとし、さらに現代わかったことから想像するなら、御歳神の行動は、オリエントのカミガミ、海神ダゴンやその息子バアルに相当する。


御歳神が怒り狂う。


怒りを鎮めるために生贄が必要だと言う。


その生贄で取引をするという。


生贄の儀式はオリエントの死と再生の儀式である。


日本の歳神は、年がわりゆえに穀物の死と再生である、というようにもっともらしく変えられる。


6000年前、シュメールに忽然と現れたオリエントの宗教が、東に移動するさい原住民のシャーマニズムに伝染しながら、宗教や文化が日本にもたらされたという仮説は成り立つであろう。


縄文文明がオリエント文明と異質であるというのは、生け贄や中央集権宗教儀式を嫌ったからである。


第40代天武天皇(飛鳥;在位673年 - 686年)から第50代桓武天皇(平安;在位 781年 - 806年)まで、「殺生肉食禁断の詔勅」を発令し続けたのも、蘇我入鹿の暗殺によりシラギ系蘇我一族によって独占されていた権力を回復できたからで、存在を明らかにした。


それでも明治時代になるまで、少なくなったとはいえ古来伝承のものとして生け贄儀式は続けられたという記録がある。


宗教のしがらみというものはおそろしいものである。


現代風になったオリエント西洋文明が入って来てすり替えられた明治天皇になってから、牛肉を召しあがられた。


それまで「殺生肉食禁断」の姿勢は日本人の中に生きていたのである。


天照大神の本拠地である現在の飛騨一宮水無神社では、出雲の神々やシラギ神大歳神(オオトシノカミ)が祀られたままになっている。


初めは強制されて、後になってわからなくなったとはいえ、日本人にとって昔のひとは祖先と同じで祀る対象であった。◆



参照;

『竜であり蛇であるわれらが神々』より抜粋


ワッデルによれば、バルドル(BaldrあるいはBalder)は聖書の「アベル(Abel)」と同一人物で、『エッダ』ではヘブライ語の「E-b-l」に当たる「エプリ(Epli)」と呼ばれ、シュメールでの彼の称号は「イビル(Ibil)」または「バル(Bal)」(ヘブライ語の「バアル(Baal)」だとワッデルは言っている)である。つまり、バアル崇拝とは蛇崇拝なのである。バルドルはまた「エギル(Egil)」とも呼ばれるが、これはヘブライ語で「雄の子牛」を意味する「エゲル(Egel)」とほぼ同じだ。「黄金の子牛」崇拝は旧約聖書に登場する。「黄金の子牛」崇拝=蛇崇拝ということなのか? バルドルは牡牛ないし雄の子牛として象徴され、イスラエル(Israel=Isra-El)の「雄の子牛の神」となった。
(『竜であり蛇であるわれらが神々』デーヴィッド・アイク著、徳間書店、385~386頁)


※スコットランドのローレンス・アウグスティン・ワッデル(L・A・ワッデル)は忘れられ、認められていない天才だった。


キリスト教は、多神教のリサイクルでしかない。そのくせ、「多神教」を悪として糾弾しているのである。なんという偽善だろう。聖書を指す「契約(Testament)」という言葉でさえ、それが文字どおりまったくの「たわごと(balls)」の塊であることを語源的に立証している。私の公式サイト(davidicke.com)のウェブマスターで長年古代史を研究しているローレン・サヴェッジは、「契約(Testament)」の語源は「睾丸(testes)」だと言った。伝えられるところによると、古代ヘブライ人は人の誓約を聞く間、その男のタマ……失礼、睾丸(balls)をつかんでいたらしい。考えるだに滑稽だが、今日のイルミナティの儀式でも同じことが行われる場合があると聞いた。
(『竜であり蛇であるわれらが神々』デーヴィッド・アイク著、徳間書店、第11章436頁)


The British Edda
Laurence Austine Waddell
(1854–1938)

「ブリティッシュ・エッダ」(1930)未邦訳
L・A・ワッデル著


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Rise of Man in the Gardens of Sumeria: A Biography of L. A. Waddell
by Christine Preston

「シュメールの園における人類の起源:ワッデルの伝記」(30 July 2009)未邦訳
クリスチィーネ・プレストン著


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