教団では様々な修行が行われていたが、一つの特徴として、できるだけ眠らないというのがあった。確かに瞑想において、眠りというのは障害となり、経典でもそれは戒められている。しかし、オウムにおいてはそれが極端であった。
教団で成就のための修行は、初期では独房修行が中心だった。それが1988年あたりから、独房修行は減っていき、集団での修行が中心となった。これは人数が増えたので、そのようになっていったと思うが、眠らせないというのも重要な要素としてあったはずである。独房ではいくら寝ていても監視するものがいないが、集団で行う修行では常に監視の目が光っている。寝てしまうとすぐに起こす体制ができていた。
睡眠を剥奪されると、人は幻覚を見たり、いわゆる神秘体験というものをしやすくなる。教団では表層意識の働きを弱めて、潜在意識に到達して、そこを浄化していく、と説明していた。それはそれで正しいと思うが、表層意識の落とし方が、かなり強引であった。睡眠剥奪もその一つである。睡眠を制限していくと、意識が朦朧とした状態になる。これは表層意識の働きが弱まり、潜在意識が優位になった状態で、そこでデータを入れ替えて浄化していく、というのが教団で行われていた修行であった。
しかし睡眠を極端に制限して、心身に良いはずがない。動物実験で動物の睡眠を剥奪すると、その動物は死んでしまうという。死後それらの動物を解剖すると、脳細胞が傷つき、壊れ、死んでいたという。ということは人間でも似たようなものであろう。教団で眠らないことをよしとしていたが、それによって、大脳に良からぬ影響があると思う。これは決して軽視できないことではないか。
極限修行は、初期においては4時間の睡眠に相当する時間を設けていた。しかし、やがて横になる時間がなくなり、3時間の究竟の瞑想というものが、睡眠時間に相当するものとされた。究竟の瞑想がきちんとできると、1時間の瞑想で8時間の睡眠に相当すると説明され、それが一日三回だから、24時間睡眠をとったことに相当するとなっていた。私はそれを信じ込んでできるだけきちんと瞑想するようにしていたが、実際のところ24時間の睡眠に相当するとは、今は全く思えない。究竟の瞑想の時間に寝込んでしまうものがほとんどだった。
これより更に徹底的に睡眠を剥奪した修行が存在した。それはヴァジラヤーナのザンゲというものがあり、これは松本死刑囚が、1990年のある日、説法中即興で語ったものであり、それを印刷したプリントを目の前にして、ひたすら唱え続けるというものだった。その間食事時間は一日一回だけあったが、それ以外はひたすら詞章を唱え続けていた。究竟の瞑想の時は明かりを消して、監視もされることもなくなる。だからまだリラックスできた。しかし、この修行においては、常に監視がいて気を緩めることもできず、ずっと緊張状態が続いていた。そしてある程度の時間を過ぎると、一様に皆眠らないことによって生じる、幻覚や幻聴の世界に没入していった。
教団で最初に、この寝ないでヴァジラヤーナのザンゲの詞章を唱え続けるという修行が行われたのは、石垣島セミナーが行われる一ヶ月ほど前の、1990年3月頃だったと思う。その頃は松本死刑囚が、ヴァジラヤーナとはこういうものである、という説法を何度も行っていた時期であり、出家修行者全員が一週間ほど、マハーヤーナコースかヴァジラヤーナコースの修行を行うように指示があった。第一週から第五週くらいまでに分かれて、出家修行者が修行に入っていった。
一週目ではヴァジラヤーナコースを選ぶものが多かったが、マハーヤーナコースを選択する人も何人かいた。ヴァジラヤーナコースはずっと詞章を休まず唱え続けるが、マハーヤーナコースは、修行内容にも変化があり、睡眠時間も設けられていた。ある日松本死刑囚が一人の出家修行者の質問に答えて、マハーヤーナコースを選ぶものは本物の弟子ではない。というようなことを言っていた。そんな話があったので、翌週からは全員がヴァジラヤーナコースを選択し、マハーヤーナコースは、事実上廃止となってしまった。こういったエピソードからも、松本死刑囚の言うことに、単に従ってしまう弟子たちの姿を垣間見ることができる。
私は初めからヴァジラヤーナコースを選択するつもりでいた。全く睡眠時間がない修行に恐れを抱くこともなかったとは言い切れないが、それよりもこの修行でどのような体験をするか、楽しみに思う気持ちの方が強かった。またこの修行でクンダリニー・ヨーガの成就も可能であると松本死刑囚が語っていたので、この修行で成就してやると強く思ってもいた。
やがて私がヴァジラヤーナコースの修行を行う日がやってきた。私は喜んで修行に入り、真剣に詞章を唱え始めた。ずっと眠れないのはきつかったが、しばらくすると色々な体験が起こり始めて、それはそれで非常に面白かった。
これは多くの人も体験したことだが、詞章を唱えていて、まるで違う内容に見えてきてしまった。私の場合ある修行者がいろいろなことを体験していく物語になっていた。これは実際に詞章の内容が変わって見えてしまうのである。そして、本来の詞章とまるで違う内容を口に出して唱えていた。周りの修行をしている人の中では、詞章の内容が違うと真剣に監視の師に食って掛かる者もいた。修行監督は、詞章の紙を取り替えることはないとなだめていたが、私はそれを見て、「実際に詞章の内容が違うじゃないか。ごまかすんじゃない」と憤慨していた。
またある時は、詞章のプリントがキラキラと光りだしていき、文字が光そのものになったりした。また緑色の綺麗な輝く帯状のものが見え、それが下から上に向かってすーっと上昇していった。これらは目をつぶって見えたのではなく、目を開けたまま光が見えていた。とても美しくすっかり見とれてしまった。
修行に入って三日目か四日目には、眠くてうっぷしている自分がいて、しかし肉体から意識が離れて、道場をふわふわと浮かんでただよっていった。私は右端に座っていたのだが、左端の方まで浮いてただよっていった。また自分は右端に座っているはずが、左端に身体が移動しているように見えたこともあった。肉体から意識が離れて、自分を客観的に見つめるという体験は、いろいろと報告されていることでもある。この時はどれが本当の自分なのかわからなくなった。
私自身もおそらく妙なことを口走ったりしていたはずだが、周りも深く突っ込んでしまい、いろいろとわけのわからないことを言ったりしていた。また寝ないように立って詞章を唱える人も多くいたが、立っていても寝てしまい、派手な音を立てて倒れる人も何人かいた。みんな一様に異様な目つきになっており、その場は静かだったが、まさに修羅場という雰囲気だった。
修行も終わる寸前のことだったが、私も相当深い意識に入ってしまい、まともな思考ができなくなっていた。詞章の内容がまた変わってしまい、何とかしないといけないと感じ、荷物の中からザンゲの詞章が書いてあるものを探し始めた。確かノートに写してあると思い、ノートをめくりはじめた。すると今まで見たこともない瞑想のないようが書いてあるのを見つけ、私はこんなものを記録した記憶はないが、これはラッキーであると思い、そのノートに書いてある内容を唱え始めた。やがて段々意識が正常に戻っていき、そのノートをよくよく見てみると、そこに書いてあったのはヴァジラヤーナのザンゲの詞章だった。何日もずっと唱えていたのに、いったんその内容が理解できなくなっていたのである。これには私も愕然としてしまった。そんなことをしているうちに、私のヴァジラヤーナコースは終了した。
このヴァジラヤーナコースにおいて、何人かラージャ・ヨーガの成就と認定された者がいた。組んだりニー・ヨーガの成就と認定された者はいなかったが、この修行で短い期間でも成就できるのだと私は思った。しかし、ずっと眠らずに同じことを繰り返していれば、普段見えないものが見えたり、普段感じないことを感じるという経験は、修行を普段行っていない人でも生じるものである。それを特殊なものとしてしまっていた。これは無知であったとしか言いようがない。
そして、ヴァジラヤーナのザンゲの詞章の内容は、乱暴な言い方をするならば、身の穢れが生じたとしても、心の穢れが生じなければよいといったものであった。こういう考え方を、松本死刑囚は弟子たちに徐々に植えつけていったという見方もできる。そして実際のところ弟子たちの思考に知らず知らず変化をもたらしていたと思う。眠らずに同じことを繰り返していれば、その内容は定着していく。これを無理やり行うと影響はあまりないだろうが、多くの弟子たちは喜んでそれをやっていた。それだけより深く、確実に定着してしまったといえる。洗脳やマインドコントロールという言葉をあまり使いたくはないが、こういう実践はそのようにとられても致し方ないところがある。
そしてこの修行は、この時だけではなかった。上祐氏が教団に戻り、停滞した教団を再生させていこうといろいろな試みをしていったが、その一環として眠らずにヴァジラヤーナのザンゲを唱えさせる修行を復活させよう、という案がでてきたのである。
この時は私は光音天と呼ばれていた、八潮にあった施設にいたが、いかにしてサマナの修行を進めていくかということをみんなと話し合っていた。その中でこの修行を行うという案が出て、それを上祐氏に提案し、実行されることになった。
1990年には私は修行をする立場で、修行監督を行わなかったが、この時は自分は修行をせずに、修行監督に専念することになった。修行をしていたときは自分が深く突っ込んでいろいろと体験をしたり、おかしな言動をしてしまったが、この時はいろいろな修行者の様子を客観的に見ることができた。
スピーカーからは、詞章を唱える松本死刑囚の声がずっと流れていたが、詞章と違う声や音がすると訴えてくる修行者が何人もいた。もちろん誰もテープを交換などしていない。しかし、修行者の耳には違ったように聞こえてしまうのだ。
また、足元にある荷物を持って急に場所を移動しようとする人もいた。注意すると、自分が修行をしているということがわからなくなっていて、自分が今どういう状況で、何をすればいいのかわからなくなっていた。自分がどういう状況に陥っていたか理解すると、茫然自失になったり、自分の状態が信じられないという表情をしている人もいた。
周りから見るとあり得ないようなことでも、当人からするとものすごくリアルなことで、こちらがいくら説明しても、なかなかすぐには納得しまい。人間の知覚というものは、睡眠を制限し、同じことを繰り返すだけで、普段と全く違うものになってしまう。普段の私たちは、自分の知覚というものに何ら疑いを抱いていないが、それはてんで当てにならないことがこういう体験をしたりするとよくわかる。そして人の知覚を外部から操作していくことも可能なのである。こういう状況下で刷り込まれたものは、深い影響を与えてしまい、そこから抜け出すのは容易なことではない。
私は自分自身が教団の価値感にどっぷりと浸っていたが、それを周りにも定着させていく役割をになってしまっていた。これは本当に深く反省すべきことであると思う。