「わたくしの父は、佐伯氏の出身で、讃岐の国多度の郡の人であった。むかし、東国の毛人(えみし。蝦夷)征伐に功があって領地を得た。」と空海が遺言として弟子たちに語った言葉を「御遺告(ごゆいごう)」として残している。
古代豪族の大伴家の一派に連なる佐伯氏の華やかな家系が空海の出自だとしている。
司馬遼太郎の「空海の風景」によると佐伯氏には二つあって、中央にいる佐伯氏は、確かに名門大伴家の一派であり、東国の毛人を征したかもしれないが、讃岐の佐伯氏は違うと唱える。
讃岐の佐伯氏は、毛人を「征し」どころか、毛人そのものであると言う。つまり、空海は毛人(蝦夷)の末裔であるという。
ヤマト王権(後の朝廷)に捕らえられ、もしくは従い、兵力・労働力として全国に配された蝦夷の事を佐伯部と呼んだ史実から来ている。
桓武天皇の勅命を受けて陸奥=東北地方の蝦夷征伐を行った坂上田村麻呂。
奈良時代末期から平安時代初期の武官・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ,758-811)は、東北地方の征服に非常に大きな貢献をした人物であり、鎌倉幕府を開いた源頼朝が信奉した第二代の征夷大将軍としても有名。
794年頃に征夷大将軍に任命された大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)を初代の征夷大将軍と解釈する見方が有力ですが、当時は東国支配の長を征東大使や征夷使とも呼んでいた。坂上田村麻呂は、797年に桓武天皇によって征夷大将軍に任命されている。
この大伴家に連なる佐伯か?蝦夷に連なる佐伯か?
なんてことが空海に纏わる事柄で出てくる。
怨霊を恐れ風水仕立ての都を増設する草創期の日本。
百済王族の末裔と記される桓武天皇は、一族の醜い争いの結果怨霊と化した霊を恐れ784年に長岡京を造営するが、794年に改めて平安京を造営した。
数年前に現天皇は「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」との発言をした。
怨霊を恐れた遷都の莫大な経費を東北の「黄金」に求めたのが東北への遠征では?などと僕は思う。
そして、最澄と空海が唐から帰国し日本の仏教に新たな動きをもたらしたのも桓武治下である。
空海には空白の年月があり、唐へ渡るまで何をしてたか?そして何故無名の空海が遣唐使になれたか?
そんな謎がある。
丁度、空海の空白期が東北王国「アテルイ」や「モタイ」を破った坂上田村麻呂率いる軍隊が東北に居た時期と重なる。
そして空海とは何者か?なんて素朴な疑問が生まれ。
この国の血の交わり方と「大和朝廷」や「天皇家」とは?
色々、この国で長らく封印された謎が思い浮かぶ。
昨日書いた聖徳太子もそんな謎の多い人物だ。
百済王族の末裔と記される桓武天皇が中国的な風水によって都市を作り出す、血塗られた一族の怨霊を恐れつつ、経費がかさみ民が苦しみ、戦争へなんてのは、何時の時代も起きている。戦争の理由は、地下資源なんてのも相場が決まっている。
西暦800年前後の東北の戦いは縄文対弥生の戦いであったなんて言われかたもされる。
未だ「蝦夷」とはなにものか?との答えも出ず、同じように「大和」とはなにものか?との答えも出ず。
征服民対先住民という見方も一面的だとも思う。
この国の歴史の暗部にそんなことが山ほどあって故に現代の政治家は、「日本は単一民族国家です。」などとまことしやかに虚言を弄すのだが・・・・・
この東北の戦い後、おそらく狩猟採集の文化を残した「まつろわぬ民」が全国へ散る。
マタギやサンカ、土蜘蛛や鬼なんて言葉はこの時期から出てくる。
空海の出自と密教と遣唐使、ここに東北の金に金を精製するのに必要な水銀の沢山取れた高野山、山師や山人なんてことを重ね合わせると、空海の謎や空白が少し解ける。
黄金と空海と東北と蝦夷なんてこの国の草創期の壮大なドラマだ。
征夷大将軍という言葉を徳川家まで用い天皇家が任命するという古い慣わしと桓武天皇の時代。
この辺りに縄文を解き明かす大きな鍵もあるのだと思う。
弘法大師と敬われる空海の出自は民間伝承では知れ渡っていたのかも知れない。
この国の長きに渡る征服の歴史と差別の歴史そして同化政策、その中心に位置する天皇家。
縄文から弥生という農業革命は今の時代と似ている。
大きな変革の時代だ。
そんな時代を生きた空海。
密教がインドで起こり、中国を経て、空海に伝えられ、日本で独立した宗派として真言宗を開くまでの壮大な歴史その根底にある先住民文化やシャーマニズム。
ここに空海の出自が深く関わってるのかも知れない。
だからこそ、空海蝦夷説が生まれるのだと思う。
夢枕獏や松岡正剛も似たようなことを書いている。
「ここで重要なのは、空海の一族がなにやら奇妙な係類のうちにありそうだということ、しかも「古代言語の魔術」というものにかかわっていそうだという、その消息だ。
ひょっとしたら空海の背景には、のちに「十界に言語を具す」と断じた空海自身を動かしたやもしれぬ古代言語の呪力に充ちた歴史がひそんでいるのではないかということである。」
「空海の夢」松岡正剛著
殊に「神仏の属性にハンディキャッパーとしての性格の投影があり、そこに人間の「弱さの起源」や「欠如の起源」を私は見たい。」という松岡の言葉を天才空海に重ねあわせると僕にとっては空海蝦夷説は非常に魅力的な仮説なのだ。
そして空海と仏教という事柄に関して言えば
「生命が意識を獲得したということは生命の歴史の中でも最大に特筆すべきである。
生命が意識をもつことによって生じたもうひとつの異例は、神や超越者を想定したことであった。
空海の全体を「生命の海」ととらえるには、私はその水面下に生物学的な生命のひしめきを包含しておかなければならないとおもっている。即身成仏の「即身」の解明はまさにその点にかかっている。
空海の生命像は今日の最新のライフ・サイエンスによる生命像の本質にさえ迫っている。
DNAの二重螺旋構造の提唱として知られるフランシス・クリュックが『生命の起源と自然』を発表し、生命が宇宙からやってきた可能性を承認、「生命の海」の宇宙的ひろがりについての信用すべき保証書を交付した。
ここで重視しておきたいことは、生命にとって意識とは何なのか、何であろうとしているのか、ということである。
仏教とはせんじつめればいかに意識をコントロールできるかという点にかかっている。生命は進化して意識をもった。」「空海の夢」松岡正剛著
などという言葉も貼り付けておきます。
色は匂へど散りぬるを(諸行無常)
わが世誰ぞ常ならむ (是生滅法)
有為の奥山今日越えて(生滅滅已)
浅き夢見じ酔いもせず(寂滅為楽)
という言葉の魔術師空海作と噂される「いろは歌」などを眺める朝であります。
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥し
(-∧-)合掌・・・