本当の能役者になった辰巳孝弥師 | この辺りの見所の者

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去年の5月の七宝会でシテとして復帰後の舞台で藤を舞った辰巳孝弥師。今年の1月に八島を舞った。
強い義経だった。強い宝生の藝を観ることが出来た。

▽舞囃子〈志賀〉
シテ/辰巳和麿
笛/赤井要佑
小鼓/成田 奏
大鼓/山本寿弥
太鼓/上田慎也
地謡/辰巳滿次郎、山内崇生、澤田宏司。

実は志賀はまだ観た事無い。脇能らしくシテもシャキシャキ、囃子は清々しく飛ばして行く。笛、小鼓、大鼓は息子世代。
太鼓の上田慎也師の音色は品がある。観る機会は意外にあるけれど、観るたびに凄くなっている。あんなに清々しい太鼓を叩けるようになっていたのだな。もう老女物の太鼓を叩けるんじゃないかな。もし既に勤めていたら謝ります。


▽能〈八島〉
シテ/辰巳孝弥
シテツレ/辰巳大二郎
ワキ/福王和幸
間/山口耕道
笛/左鴻雅義
小鼓/成田達志
大鼓/山本寿弥
地謡/地頭、辰巳滿次郎、山内崇生、澤田宏司、辰巳和麿(後列)

八島(屋島)を観る機会は幾度もある。最初から最後まで舞台空間の密度が途切れない八島は自分が観た中では、そんなに多くはない。1ミリの忖度無しで辰巳孝弥師の観能記を書ける事が嬉しくて堪らない。
囃子の成田達志は流石のコミで、大鼓の山本寿弥師の掛け声は、祖父にあたる故 山本孝師を思い出していた。右手のフォームは父親の山本哲也師に似ているけども。

この八島は異常だった。ワキの福王和幸師も、間の山口耕道師も、すべてに緩みが無い。前シテの老漁師のもっさりした姿で、一筋縄ではいかなさ。辰巳孝弥師の舞台で、ここまで身体の密度が濃いのは初めてで尚且つ圧も強い。ツレの大二郎師も緊張していたものの落ち着いている。
前に孝弥師の舞囃子の熊坂を観た時に思った藝の強さが前場の語の時の型の強いキレであり惹きつけられていく。謡の濃さと強さは更に良くなっている。身体の体幹が強いのだろうな。軸がブレない。中入り前に老漁師が源義経を匂わせる場面では、もっさりした老漁師の身体の線がシャープになり身体の密度も締まり変化していた。前場から濃い舞台だ。濃厚な立体感のある南宋の墨絵を見ているような感じだ。自分が好きな一昔前の強さのある宝生の藝がそこにある。

後場の後シテは武将としての源義経の強さ。面をテラス場面も情景が見える。面使いが上手くなっている。翔も囃子との呼吸も良く、重戦車のような力強さのある翔だ。地謡はサシは乱れがあったけど、あとは結構。前列が玄人では無かったので仕方ない。悪くは無かった。太刀を抜いて力強く打ち込んだ強さ。義経の武将としての強さのある濃厚な舞台は品ある彩りを添えている。

香里能楽堂で、シテとワキが幕に戻るまで拍手が無かったのは自分としては初めてだった。舞台空間の余韻が余程凄かったのだろう。
謡宝生だけでない、型の密度の強さの宝生も、この八島で観ることが出来た。

香里能楽堂は来年3月で区画整理で取り壊される。自分が香里能楽堂で観能するのは八島が最後だろう。
辰巳孝弥師の舞台を何年後かには東京でも舞える日が来る事を強く願う。

舞台と見所が一体となった辰巳孝弥師の八島。謡も型も強さのある藝は、一昔前の宝生の藝を継承している事を実感した。能役者として、辰巳孝弥師はようやくスタートを切ったのだ。酸いも甘いも噛みわけた経験が藝に今となっては活かされている。
あと20年後には宝生の中心になっている事を強く期待したい。