スティーヴ・ライヒのディファレント・トレインズ。もう25年くらい前に、ピーターバラカンのDJの深夜のスポンサー無しのラジオがあった。ネヴィル・ブラザーズなどを紹介していたが、スティーヴ・ライヒのディファレント・トレインズも紹介していて、ライヒを初めて知った。
何度かナマで聴く機会はあったけれども、縁が無かった。まさか、東北の山形でディファレント・トレインズを聴けるとは夢にも思わなかった。東北やるじゃん。
絶頂という現代音楽ユニットは、仙台フィルの飯野和英氏と現代音楽作曲家の大久保雅基氏のユニットで、演奏会ごとに他の演奏家を加えて楽団を編成。
○今回の演奏メンバー
平澤海里(VI)山形交響楽団アシスタントコンサートマスター。(第1ヴァイオリン:WTC9/11)
小山あずさ(VI)仙台フィルハーモニー管弦楽団団員。
(第1ヴァイオリン:食物連鎖の生態系を作ってみたら…。旅行の思い出は写真フォルダが語る。ディファレント・トレインズ)
飯野和英(va)仙台フィルハーモニー管弦楽団ヴィオラ副首席。絶頂主宰。
久良木夏海(cello)山形交響楽団団員
大久保雅基(エレクトロニクス)作曲家。
▽スティーヴ・ライヒ:WTC9/11
ライヒが、2001年9月11日から10年後にあたる2011年に、ライヒとクロノスカルテットに委嘱された曲。絶頂メンバーとモニタースピーカーからはクロノスカルテットの演奏とアンサンブルを作っている。
第1楽章は、9/11。
※モニタースピーカーから、事件当日の無線交信記録の肉声を使い、電話受話器をあげたままにになると鳴る緊急警告音から曲は始まる。
モニター演奏とナマ演奏のリンクが見事にハマっていて、演奏者のバッグにはプロジェクターからの字幕映像が流れる(字幕作成はヴィオラの飯野和英氏。)
911の無線交信の肉声が流れ、映像はその言葉が映し出される。その言葉に音楽がしっかりと噛み合う事がナマで映像と一緒に聴くとわかる。
第2楽章は2010。
※当時の現場を体験した3人の人物のインタビュー。
第3楽章は WTC。
※遺体安置所に居続け、祈り続けた数名の2人の声が使用されており、聖書の詩篇がヘブライ語で美しい旋律によって歌われます。
ライヒも今日来ていた聴衆も、911はリタルタイムで経験し、時代の空気を共有しているのが大半ということもあり、生々しい当時の空気を演奏を聴いてるいると思い出す。
※(今日のプログラム解説より。解説・字幕:飯野和英氏)
▽大久保 雅基:【衝撃】食物連鎖の生態系を作ってみたら…(2018)
去年、第1回絶頂公演で初演された曲。山形初演。第1ヴァイオリンが平澤海里氏から小山あずさ氏に代わる。
まず、プロジェクターからの映像には食物連鎖の様々な色の箱が蠕き始める。プロジェクターの4隅に弦楽四重奏の楽器の楽譜が移し出される。この曲の演奏は各楽器のピチカートのみ。演奏者も楽譜ではなくプロジェクターの楽譜を見て演奏。楽器プロジェクターが色が変わる瞬間にピチカート。
最後は、青色の箱が食物連鎖で大きくなり蠕く所で一瞬で終わる。食物連鎖を単純なピチカートのみで映像のBGM的(作曲家 の解説)を狙った曲。
▽大久保 雅基
旅行の思い出は写真フォルダが語る(初演)
楽譜はタブレット。コンピュータに各奏者に対してランダムな楽譜がタブレットに送られるが、自分の席からタブレットが見えた。まるで、ゲームの太鼓の達人みたいな点と線が流れて、左端の赤い線にそれが到達するタイミングで弾く。おそらく、この曲は、ランダムという事で同じフレーズにはならないのだろう。奏者も楽譜初見で太鼓の達人の画面(テレビのカラオケ番組のキーの採点画面にも例えられる。)奏者も予測出来ない緊張感がある曲なのかもしれない。点と線が意外にぶつからなく、構造を持っていたのが驚きであった。
▽スティーヴ・ライヒ:ディファレント・トレインズ
演奏的には、ディファレント・トレインズが白眉。
これも、クロノスカルテットの録音音源がモニタースピーカーから流れる。クロノスカルテットのCDでしか聞いた事なかったディファレント・トレインズ。ナマで聴くと驚きの連続。曲の途中で、アーーという汽笛?のような高い声が聞こえて来るのだが、この曲の特徴だと思っていて人の高い声を重ねたと思い込んでいたら、ヴァイオリンとヴィオラで、あの音を出していた。長年の疑問が解決した。WTCが生々しい触れると切れてしまうような空間に対して、ディファレント・トレインズ(ナチスのホロコーストに向かう家畜列車)をモチーフに書いた曲ですが、モニタースピーカーの演奏とナマ演奏が重なってカオス感が噴出した演奏になっていた。
(プログラム解説:飯野和英氏,映像字幕:大久保雅基氏。)
▽アンコール
ジョン・ケージ:4分33秒
アンコール曲名を言わずに、大久保雅基氏がスマホを持って、指揮者となり、計3回腕を振り下ろす。指揮者は、振り下ろす度に身体の密度を高めていく。弦楽四重奏団も、弾く体制から動きを止める。
この無音の時間空間は能を思い出した。指揮者か、腕を振り下ろす度に序破急の様に空間を変える意識を感じた。特に2度目に腕を振り下ろした後から3度目までの無音時間が一番長かった。序破急の破の部分だったのかなと妄想が膨らんでいく。
これもまた妄想なんですが、能役者が4分33秒の指揮を勤めたら結構面白くなるのではないか。空間を変える名手の能役者で。また道成寺の乱拍子の無音状態(小鼓が幸流の時。)を思い出した。
聴衆の集中力が持たなくなるのも、また、この日の4分33秒の一コマであり、その日限りの演奏でもあるという事がわかった気がした。
東北やるじゃん。(2度目)