代替医療のみでがんを治そうとしていた人は、

なんらかの理由で標準医療を避けていたわけですが、

(私の場合は標準治療すべてではなく、抗がん剤治療のみを避けていたわけですが)

それがまたなんらかの理由で標準医療でがんを治すという方向に変わるとき、

患者に何が起こっているのか、改めて考えてみました。

ずっと読んでくださっている方には、いまさらな内容。

 

 

代替医療(標準医療以外の療法、エビデンスのない療法の総称として使っている単語です。90年代より前は民間療法と呼ばれていた)をいくらやっても活路がない、と思い始めたとき、

体は痛みに毎日悲鳴をあげていました。

 

がんの痛みってどんなかんじ?

という質問にこたえるとき私はこういいます。

比喩として近いのは、きつい生理痛のさらにきついのが一日じゅう続き、それが来る日も来る日も途切れなく続くかんじ。

 

痛さをこらえるため、体力が失われていく。

食欲がないから、体重がすごいスピードで減っていく。

横になっているしかないので、筋肉が失われていく。

毎日下血しているので、血も失われていく。

血が減っていくから、だるさも増していく。

だるいのもピンキリでレベルがありますが、だるいだけでとてもつらい。

ソファーの中に沈んでそのまま溶け込んでしまいそう。

 

この状態で、

東城百合子さんらが勧めるあれこれの手当てや、

ケトン食やマクロビの先生がたの推奨する食事療法や、

先進の理論(?)に基づく波動系の治療器、温熱機器、高濃度サプリメント等

を信じ続けることができるかどうか。

 

できなかったです。

 

私は自分の体で実験してみよう、と思ったから代替医療をやってみました。

結果は出たと思いました。

 

効かない。時間とお金がかかるだけ。無効。

 

でもおっとはなかなかそれを認めなかった。

おっとには痛みがなかったからよ、といったらいじわるな見方でしょうか。

 

代替医療をやっていた時期の最後のころ、おっとが

「お願いだから、これだけは飲んで」

と強く勧める自然系のサプリメントがありました。

「飲みたくない」と私がいうと、

「ぼくがこんなに頼んでいるのに飲んでくれないの」

と悲しげな顔で言う。

「のみたくないんだもん」

こんなやり取りを何十回か繰り返してやっとおっとが言う。

「もう、いいよ」

 

おっとがどうしてそれをそんなにも信じているかというと、ネットでそれを飲んだ大腸がん4期の人が数か月の飲用で「がんを治した」と書いてあったから。

 

「そういうの、いくらでも作り話が作れるよ」と私がいうと、

「そんなこと言ってたら何もすることないじゃない」とおっとがいう。

なんにもないんだよ、することは。

 

 

もし私に痛みがなかったら、

(実際、痛みが出る時期は人それぞれです。

出ない人はかなり最後の最後まで出ないようです)

 

もし痛みがなかったら、

生活の質が高いまま保てるので、仕事もできるし、

おっとと同じことを考え、高価でもサプリメントを摂取し続けたかもしれません。

 

でも、私が望んでいるのは、今あるこの痛みをとることでした。

代替医療を何か月やっても、悪化しているという事実。

これで答えはじゅうぶんに出てるでしょう?

 

 

しかし、「免疫」で有名な安保先生と、彼を信奉する人たちは、

「痛みがひどくなるのは、よくなる前兆」といっているので、

悪化を悪化ととらえられない人も多いらしい。

答えはまだまだ出てない。

いや、死ぬまで出ない。

または、死ぬ直前にやっとわかる。

 

 

代替療法から標準医療に移行しようとしても、

すでに時期遅しで、標準医療ではできることがない場合もあります。

 

治療をやったとしても、効果がみこめないことを、病院の心ある医師ははっきり口にする。

それを聞き、クリニックに舞い戻る人もいました。

 

クリニックは、「今の時期からこんなことしても効果が期待できない」とはいわない。

最後まで治療をし続ける。

 

こういうことを「あきらめない医療」というのなら、あまりにも不親切で、商業主義だと思いますが、患者によってはそう思わない。

 

結局、ひどい痛みによってしか、標準医療の話もきいてみよう、という気にならないから、説得する必要はない、という押川勝太郎先生の意見は正しい。

病室でそれを聞いたときは、そうは言い切れない内心思ったのですが、最近は周囲を見てそう思えてきました。

 

痛みによってしか、治療方針を変えるほど大きな心理的な変容は起こらない。

変容って大げさに聞こえるかもですが、人によっては宗教を変えるか捨てるくらい大きいのです。

 

苦痛に背を押され、病院には行ったけれど、治療は拒んだ人を二人知っています。

偶然にも彼らの「宗教」はケトン食。苦痛をもってしても変容は起こりませんした。

 

彼らは二人とも健康食品販売が仕事でした。

アイデンティティの根深いところに、代替医療礼賛があることが容易に想像されます。

抗がん剤を使うことは自分の人生を全否定するようなものだ、と考えているかもしれません。

 

じつはひとりは親戚です。

数十年、スピリチュアルや自然療法につながる商品の開発販売を仕事にして大成功をおさめた人。

つくづく思うのです。

抗がん剤が、彼のスピリチュアルで自然につながる生き方の対局に位置するものだと思わせる根拠は、いったい何なのか。

 

彼のもつ抗がん剤に関する情報は近藤さん方面からのようです。陰謀論系の情報にも通じていると思われます。

 

たかが情報。されど情報。生きるか死ぬかがそんなもので変わるのです。

 

結局、意味はないのかなあと思いつつ、

こうした内容のブログを書き続けているのは、

痛みの寝床で孤独の中にいる人が

ひとりでもこれを見て

病院の予約をいれてみよう

という気を起こしたらいいな、

と思うからです

 

ちなみに今私がしている代替医療はなにか

1、おいしいものをたくさん食べることに熱意をもってとりくむ

2、散歩の距離を毎日伸ばしている

3、瞑想する時間を増やしている

 

なんかちがう?

 

 

代替医療についての詳しい内容は厚労省がこういうふうに定義しています。

 

 

 

 

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