★植民地統治時代に朝鮮語が禁止された証拠
テーマ:☆ネトウヨのデマ検証今回のお題は、単刀直入に、
「日帝(植民地統治)下で、朝鮮語の禁止等はあったのか?」
という疑問についてです。
Googleで、「ハングル 禁止」とか 「植民地 朝鮮語 禁止」のような言葉で検索すると、大抵は、「禁止なんてしていない。むしろ教育を施して普及させた」
などのサイトがHITします。
むしろ、禁止したと主張し、その裏付けまで検証したサイトを探し出すのにかなり時間がかかってしまいます。
そこで、かつての慰安婦問題の検証の時と同じように、当時の新聞をあたってこれについて調べてみたところ…意外にも、日本語で資料が残ってました。
(これ、めっちゃ楽。文字が潰れたハングルを解読するの、実際大変なんよ)
総督府が全国一斉にハングルを禁止した…というものではありませんが、局所的には、朝鮮語の使用を禁止させ、日本語の使用を強要していたことはあったようです。
1939年11月27日の京城帝国大学新聞の記事によると、まず、京城帝国大学(以下、城大)の医学部の学生に対し、通学途中及び学内での朝鮮語の禁止が、城大の学生課長から学生に対し通達があったようです。
(韓国国史編纂委員会の電子図書。1939年11月27日付)
この段階では、「(朝鮮語禁止は)強制ではなく、あくまでも希望」と朝鮮語禁止に反対する城大の朝鮮人学生に答えていますが、この問題、学内で大きくなっていったようです。
その後の記事によると、医学部だけでなく、法文学部にまで飛び火してしまったらしいです。
(韓国国史編纂委員会の電子図書。1939年12月11日付)
わざわざ強制されるくらいなら、いっそ自主的に話してやる、と当時の学生のやりきれない気持ちが伝わってくるような記事です。
その後、学内では日本人学生と朝鮮人学生の確執が更に高まっていき、天長節の祝賀会に出席しない不逞の朝鮮人学生がいる、などとするビラ(激文)が撒かれる等、学内はますます紛糾していきます。
(韓国国史編纂委員会の電子図書。1940年5月27日付)
そして、1940年6月に、今村医学部長が医学部長訓辞として「國語使用を命ず」とし、「不服ある者に対しては、適当と思われる処置に出る場合がある」と、いわば退学をちらつかせて学生に朝鮮語の使用を禁じる発言をしていたようです。
(韓国国史編纂委員会の電子図書。1940年6月3日付)
この後、どうなったのかは記録を探し出せなかったので、わかりません。
後に撤回されたかも知れないし、その後、朝鮮語禁止が終戦まで続いたのかも知れませんが、いずれにせよ、当時の朝鮮で最高学府の医学部長がこのような訓辞を出来た時代だったのは、確かであるようです。
この記事について、「いや、これはあくまでも城大医学部だけの話で、総督府の意思ではない」と思う人もいると思いますが、当時の城大は、内地の大学と違って朝鮮総督府管轄であり、その医学部長の発言は、朝鮮総督府の下部組織の長としての責任が伴います。
また、現在の日本でも東大総長の卒業式の言葉が新聞等で報道されたり、社会的な影響力を持っていることを考えると、他の高等教育機関や地方の教育機関でも、城大医学部を見習え的な動きがあった可能性は否定できないと思います。
事実、京城法学専門学校の生徒心得には、”校の内外を問わず、醇正なる國語を使用することに努むべし”等の項目があり、他の学校でも何らかの朝鮮語の制限があったと言えるでしょう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276991
(国立国会図書館 デジタル化資料 京城法律専門学校一覧26P)
なお、この朝鮮語禁止の訓辞を行った今村豊城大医学部長は、終戦後、三重県立医大の教授等をつとめ、1971年にお亡くなりになられています。
日本語のネットで検索しても、朝鮮語禁止は無かったのサイトばかりなので、こういったこともあったんだよ、という意味も込めて、調べて書いてみた。