体は弱いがクラスでいっとうよくできる慈雨ちゃんと、活発で物怖じしない明るさを持つ竹子は、大の仲よしだった。慈雨ちゃんの両親は敬虔なクリスチャン。そんな家庭の影響もあるのか、慈雨ちゃんはいつも大人しく、自分を主張しない性格だ。竹子は時折、そんな慈雨ちゃんにやきもきしていた。

ある日突然、慈雨ちゃんが死んでしまう。満員の列車の中で、大人や荷物に押しつぶされての圧迫死だった。悲しみに暮れる竹子は、潰されるままに声も上げず死んでいった慈雨ちゃんに、何とも言えないはがゆさを感じるのだった。

通夜に参列する竹子。慈雨ちゃんの両親は、神様の思し召しだから慈雨ちゃんは幸せなのだと言う。竹子はその冷静さが飲み込めない。悔しさのあまり泣きじゃくる竹子に母親は言う。

「竹子が死んだら、母さんはうんと泣くよ・・ないてあげなさい。ないてあげる人もいなくなっちゃ・・人間が貨物列車にのせられるなんて、みんな戦争のせいよ。あれも、これも、わかるでしょ」

竹子の肩に置かれた母の手。荒れてガサガサしたその手は、あたたかい右手でした。



慈雨ちゃんの両親の物分かりのよさに、竹子は違和感を感じた。

嫌だよ嫌だよ!可哀想だよ!慈雨ちゃんみたいないい子が、なんでこんな死に方しなくちゃならないの!

戦時中、戦死した息子を誉れと称える親がいた。けれどそれは、おぞましい思想統制の産物に過ぎなかった。家族が寝静まった後、一人暗い土間にしゃがみこみ、声を押し殺して泣いた母親が何人いただろう。

竹子のまっすぐな心には、一点の曇りもない。泣きじゃくる少女の姿は、すました大人たちを痛烈に責め立てる。惨めなその死をいかに瞞着しようと試みても、列車の中で虚しく押しつぶされて息絶えた慈雨ちゃんは、やっぱり可哀想なのだ。


以前「あしたの風」を取り上げた時にも書いたが、壺井栄の作品には、どれも反戦のメッセージが込められている。
写真を見れば、実に上品で穏やかそうなおばあちゃん。しかし彼女の胸の内には、母が子を思うような、決然とした強い意思が秘められていた。

かつて作家たちは、読者におもねるような脆弱な存在ではなかったのだ。社会の理不尽に対してきちんと声を上げた。ペンを杖に立ち上がり、民衆の生活に課せられた悲しみや苦しみを、力強く訴えた。

作者の作品の中で最も著名な「二十四の瞳」。
こちらもまた、新人教師と生徒たちの交流を通じて、戦争の爪痕を浮き彫りにする反戦小説だ。

作者の呼びかけは、民衆の心と呼応する。

そうだそうだ、もうたくさん!あんなことはもう二度とたくさんだ!

昭和二十七年、終戦から七年後に出版された同作は、大ベストセラーとなった。



黙っていることが罪になることもある。私たちはきっと、今日という日までに、流れにオールを突き刺して舟の行く先を奪還しなくてはならなかった。

最近病気で亡くなった方が、ツイッターでこんなことをつぶやいていた。

「幼い時に戦争のお話を読むたびに、もののいえる大人になろうと思っていたのに、気づいた時には後がなかった。何ものも恐れることはなかったのです。後を託します」

流されるままにすべてを容認してしまった私は、将来、子どものまっすぐな訴えに応えられる、「血の通った右手」を持つ親でいられるだろうか。





★「あしたの風」壺井栄 についての記事は ⇒ こちら


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