例えば統合失調症などの精神障害、身体障害で先天的あるいは学生時代に発症する様な後天的な障害により、まともな人生が歩めず苦しみばかりを感じてきた人間が陥るであろう、苦しみの理由探しの結論として反出生主義に帰結する事は十分に考えられる、陥るべき思想主義だと思う。
自分が悪いわけではないのに自分が苦しむことになったのはなぜか?
なぜ幸せな人生にならずにこんな苦しみばかりの不幸な無味乾燥で空虚な人生となったか。
その苦しみの矛先はどこに向けられるか?
親に。生まれた原因を作ったのは親だ。
親が産んだから私はこんな苦しい人生を歩むことになった。
親が私を障害者に産んだから私はこんな苦しみばかりの人生を歩むことになった。
親が悪い。
なぜ産んだ。なぜ障害者に産んだ。なぜ病気に産んだ?
親は産んだ責任を取る責任がある。義務がある。
と言った考えに逃げ込むだろう事を予測するのは、難しくない。
自分ではどうしようもしがたい人生。
能力もない、努力もできない、何かの能力があっても社会に出て仕事が出来ない。
学生時代に学校で問題行動をし、いじめに遭いそれ以来ひきこもりになった。
気が付けば40代になって職歴もない。
被害妄想、声が聞こえてきて、頭がおかしくなって犯罪を犯したことならある。
精神病院に何年も入れられて薬漬けになった。
同意書にサインをし体に強い電流を流される治療をした。
頭も禿げた。歯も虫歯だらけになり、何本も抜いた。お金もない仕事もない友達もいない。
生活保護になった。
役所には内緒で親からお金をもらってる。
数カ月に1度旅行に行く。
旅行も親がお金を出す。当たり前だ。
親が産んだせいでこんな苦しみを味わっているんだ。
親には責任がある。私を産んだ責任がある。
私を病気に生んだ責任がある。
産んだからには一生私の面倒を見る責任がある。