① 日本のペトログリフ

 ここに重大事態が持ち上がっているのである。

それは、世界中を驚愕させる事になった、日本のペトログリフ群なのである。

これにさほど注目もせず、驚かないのは日本人ばかりなのだ。

つまり、十部族問題を裏打ちするに足る考古学的証拠が、平成になって続々と出そろってきたのである。

バブル景気の最中、徹底的な開発競争が展開された中で、多くの思いがけない遺跡が次々と発見された。

吉野ヶ里、三内丸山などなど、多くのものが報道されており、日本史の序章が大幅に書き換えられてきた。

ところが、ここで紹介しようとするのは、そうしたものより更に重大な意味合いを持つもの。

それは、ペトログリフである。(ペトログラフともいう)

ペトログリフというのは、岩に刻まれた古代の文字や絵をいうものであるが、かなり以前から日本の所々に不思議な文字を刻んだ岩があるといわれ、少数の人々が研究してきた。

これが、全国的にネットワークが組まれ、組織的系統的になされるようになって、その相貌がいよいよ明らかになってきたのである。

この発掘指導、啓蒙にあたってきた団体が「日本ペトログラフ協会」という組織。

彼らの発掘、発見は重要である。

主なものをあげてみよう。


 

② 神武天皇、船出の岩にもペトログリフ

 平成元年、宮崎県日向市の美美津海岸。

後、神武天皇となった磐余彦が船出した場所の「神武天皇船出の磐」といわれてきた岩から、シュメール古拙文字もしくはシナイ文字と判断される文字が見つかった。

土地の神官が、昔からその岩には、三柱の神様が刻まれていると言い伝えてきた岩であった。

また、この美美津市の石庭から、シュメールのウル、ウルク王朝にゆかりのある「七支樹」の岩刻が発見されている。

神武天皇が東征するにあたり、その途中に宇佐津彦、宇佐津媛の出迎えをうけ、宇佐で大饗宴を開いた事は『記紀』の中に記されているが、この宇佐には多くの古代遺跡が残されている。

この一帯の安心院の百穴遺跡、宇佐川源流などからシュメール・バビロニア系統の文字、女神像などが発見され、また、百穴を見下ろす山々には、何と九〇〇本の環状列石が近年まであって、それに楔形文字が刻まれていたことが確認されている。

太宰府天満宮は、菅原道真が中央での藤原氏との抗争に敗れて、太宰府長官として着任した事で有名であるが、この太宰府天満宮の裏山で、平成二年、シュメール系統の「七支樹」が発見された。

この太宰府の地域には、古くから帰化人や渡来人の跡が知られていて、道真は、自らの遺骸をここに埋葬するように言い残したという。

このような岩刻文字の発見例は挙げればそれこそ切りがないので、割愛せざるを得ない訳だが、もう一つ、山陰本線の下関から北に向かった沖合の島、角島には、これぞシュメールの紛れもない証拠というべき独特の積み石の「シュメール兼神殿」が発見されている。

これは地元の人には昔からある当たり前の構造物で、古くから風や波で壊れたところの補修をする時には、わざわざ福岡県の宗像から海女たちを呼び、海中のだれも触っていない岩を引き揚げて長くこれを守ってきたものだという。

 

③ 神官もびっくり仰天の岩刻文字

 ところで、なぜ日本ではこれほども容易に、こうした岩刻文字が発見できるからといえば、発見される場所が多くは神社などの聖域とされてきた場所だからである。

つまり、何の事はない、日本で、岩刻古代文字を探そうとすれば、神社を探せばいいのだ。

極論すればそうなる。

神社や聖域とされてきたところには、かなりの確率で、岩刻文字が秘められている事が多い事が分かったのである。
 
     彦島のペトログラフ             ハワイのペトログラフ

関東のある有名な神社で、それまで決して入ってはならないという神域の山に入り、ご神体とされてきた岩を掃除した神官が、突然真っ青になって人払いをし、その岩を幕で覆ってしまったという話が伝わっている。

吉野ヶ里の遺跡についても、当局がシュメール文字の部分を隠したのではないかという指摘もなされている。

日本列島の中で長く聖域とされてきた所からは、これらを忠実にお祭りしてきた祭主や神官自身がびっくり仰天するような岩刻文字が表に現れる事が多い、という事である。


 

④ 古代シュメール・バビロニア起源の楔形文字

 こうして日本列島から、シュメール、フェニキア系の岩刻文字が続々と発見された。

これらの文字が、古代シュメール・バビロニア起源の楔形文字である事は、綿密な国際的比較考証によって確認済みである。

世界最古の文字文明は、勿論、メソポタミアで始められた楔形文字であること、時は紀元前三千五百年頃で、これを担ったのがシュメール民族である事は常識である。

前二千年頃、このシュメール民族の造り上げた諸都市は、セム系のアッカドに倒され、その文化は文字と共にアッシリア、バビロニアへと拡散し引き継がれていく事になる。

バビロニア最大の遺産というべきハムラビ法典も、征服者ハムラビ大王に引き継がれて行ったシュメールの知識人たちが楔形文字で書いたものである。

時代が下がると、このシュメールの楔形文字から様々なバリエーションが生まれ、アルファベットも開発され、ユダヤのアラム語ヘブライ語や交易の記載に便利なフェニキア文字や、ギリシァ文字もこの流れから生まれた事もご承知の通りである。


 

⑤ 人類文明史の根源にせまる

 ついでに、もうひとつ。

何でまたそんな事を、と思われるような事を確認しておこう。

それは、こうした日本の国の中で見られるいわゆる岩刻文字の全てが、必ずしも外来のメソポタミア起源であると言えないのではないか、という問題である。

ナニッ、それは決まっているじゃないか。

こんなに証拠が出ているのだから、文字を持った民族が、外から入ってきて刻んだものに間違いない・・・・。

しかし、この問題はそう簡単に決着をつける訳にはいかないのだ。

事実、日本語とシュメール語ではあまりに類似点が多いし、日本の中の様々なものにユダヤの色合いが偲ばれるのは確かであろう。

が、何といっても、メソポタミアで、シュメール国家がセム系のアッカドによって倒され、世界に散ったのは、“高々”紀元前二〇〇〇年程度の事に過ぎないのだ。

イスラエル、ユダヤの国が亡国に瀕したのに過ぎない。

日本の縄文文化は日本列島が大陸から分離され始めた一万五千年の彼方から、この列島の中に巣立っているからだ。

そうも言えない事は山内丸山遺跡の発掘以来、もはや常識。

この遺跡は紀元前五千年頃の祭祀の跡と見られるものであるが、そこでは聖域とされる所がかなりの数認められ岩石も祭られていた。

即ち、シュメール、フェニキア系の人々が到来するまえに、かなりはっきりした聖域、聖所とされる祭祀場が確率されており、その上に後来の人々が、改めて新たな神域の構造に造り上げたのではないか。

このような事も十分考えられる事である。

人類の文化、文明の発祥問題に関しては常に同時発祥説、伝播説と両方の立場から問題となる訳だが、同じ事が、このように何万年という時間スケールで考えた場合には、日本文明とメソポタミア文明の関係についても言えるのだ。

この問題は地球上の人類文明が果たしてどのように始められたかという、その根源に行き着く問題でもある。

歴史の根底には幾重にも織り重ねられた秘密が重ねられている事は、もう数多く見てきている事でもある。

ともあれ、これまで見てきたように、日本列島にはシュメールと、ユダヤの流れは間違いなく流入していた。

その証拠が、特に平成に入って続々と確認されたのである。

岩刻文字として、まさに岩が歴史を語り始めたのである。


 

⑥ 突如、世界の学会へ

 これが、世界の研究組織の目を引かない筈がない。

早速アメリカの学会の注目するところになり、発表のお膳立てが瞬く間に整えられた。

その柱となったのが、アメリカ碑文学会の会長バリー・フェル

彼は『紀元前のアメリカ』と題する本で、コロンブス以前のアメリカ大陸には、ヨーロッパ人は誰も誰もいなかったという常識を覆したハーバード大学の名誉教授。

彼にはノーベル賞を授与すべきと囁かれる海洋学、言語、碑文学の大家である。

彼が率いるアメリカ碑文学会は、その世界的ネットワークを駆使して集められることになった「岩刻文字」を中心に、年々、言語学、考古学、地質学、生物学、地理学、文化人類学などあらゆる学際分野を総動員する態勢を整えてきており、学会の主流の動きは、太古、いくつかの人種、即ちモンゴロイド、ケルト、セム族などが、海洋を通じて地球規模の移動を自由に行っており、それにともない彼らの原始宗教や、文字も地球規模に拡散伝播され、事実上世界の文明は一つであったという事の確認をするという方向に向かいつつあるという。

その彼があっという間に世界の檜舞台での講演の場をしつらえ、日本の岩刻文字は全世界に知られるようになったのである。


 

⑦ 色濃いCIAとユダヤの影

 アメリカの碑文学の研究は七十年代に入ってからスタートしていたが、アフリカ、南米、太平洋、オセアニアなどの資料はかなり揃っていながら、ずーっと長い間、日本についての材料が欠けていた。

そこに突然、日本の研究者が数百もの本物の岩刻文字を引っ提げて登場したものだから、びっくり仰天。

よもや、案の定、まさかの驚愕の嘆声の中で、それらは紛れもなくシュメール、フェニキア民族たちが残したものとみられる岩刻文字である事が確認されるに至った。

シュメール、フェニキア航海民族の足跡は地球儀上に数多くプロットされていたが、なぜか日本列島付近は不明だったのである。

これが一度に埋まった。

やっぱり!

まあ考えてみれば、あってもおかしくない地域であるが、こうも圧倒的な史料でドラマチックにさっそうと登場するとは・・・・・。

まさに、まさかの大円団。

これで決まり。

アメリカの学会、世界の学会はびっくりしたが、これで、ともあれ古代世界を股にかけた航海民族の足跡を確認できた事に安堵たーーー。

ところで国際会議に行くたびに、吉田氏の周りにはいつの間にか、ある独自な雰囲気をもつ包囲網ができ、それが国内においてもついて回っている、彼は書いている。

これは、重要な事柄なので、なるべく忠実に原文を記そう。

学会は年々規模、質ともに充実されていき、和気あいあい雰囲気の中に開催されるのだが、そうした会合の際、必ずのようにいかにも特別諜報員という雰囲気の人物が親しげに傍らに寄り添って会話を傍聴している、という。

「欧米への旅行のたびに感じるのだが、
ペトログラフ研究を始めて以来、私たちは常に巨大な防護網の中で保護されている。

国内でもそうである。

何か巨大なネットが私たちを大きく包んでいるのである。

彼らは平成三年六月のアメリカ文化学会でジミー・カーター元大統領あった時も側にいた。」

更に、

「これは密かに私がこの種の学会に参加するたびに感じる事であるが、
一流の学者と私が話している側にスーッと鷲鼻のいかにもユダヤ系の人々が接近してくるし、学会の底流には

『先史時代はシュメール民族の世界的展開があった事を確認する』

という暗黙の学説が流れている。

つまりは、古代世界はシュメール民族とその文明、宗教が主流であり、それらがアッカド民族に追われて崩壊し、シュメールの民と文化は世界に散ったという共通の認識になっている。」

ここで「シュメール民族」というのは、ケルト、ユダヤを包摂した海洋民族の事であり、

この「ヘブライ民族」(シュメール系)が、日本民族の生成に重大な関心を持ち、更に日本古代国家の成立にも関与したーーー

こういう可能性の含みをもった意味合いでの、古代の統一的な海洋文明の存在を確認し合うというのが、こうした学会の運営の基本コンセプトになっている、というのである。

これで、なぜ、彼らがCIAのスタッフを密着させる程まで、日本のペトログリフ研究の動向に関心を向けているか想像できたのではあるまいか。

そう、そこには単なるアメリカの歴史をグローバルに見直すという表のキャッチフレーズだけでなく、いわゆる「ニュー・ワールド・オーダー」、「ワン・ワールド」、のムーブメントの背景がほの見えるのである。

というより、この「力」が、かなり本腰を入れてこの学会の動向に注目している事が読みとれるのである。

21世紀の世界史は「ニュー・ワールド・オーダー」、「ワン・ワールド」を支持するものとして書き替えられていなければならない。

この「力」の根底にある目標については本書で述べてきたところである。

 

⑧ 深刻な「十部族」追求の目

 そして、更にもう一つ。

これがこの問題の微妙な点であり、勘所なのであるが、この思想に見分け難いまでに深く絡み合いながら、連綿と追求され続けてきたあの問題。

そう、ユダヤの失われた十部族の消息についての、並々ならぬ真摯な追究のの目が光っている事が感じられるのだ。

やっぱり十部族は日本に入れたのではないか。

しかも、同じく杳として歴史に消えた先輩民族、シュメール民族とも分かちがたく混交するような形で。

前七〇〇年に歴史の彼方に消えたイスラエルの十部族は、アジアの東端の島、日本に入った。

とすると、日本人が信じている紀元前六〇〇年という国家成立の紀元には、失われた十部族が深く絡んだのではないか。

日本の歴史において、聖徳太子が示した秦族への特別な待遇の事なども先刻承知のこと。

日本民族と国家の形成についても彼らは注意深く研究しながら、特に岩刻文字の解釈がいかになされていくか、注視しているのだ。

日本の岩刻文字は何といっても、神道の神社とされる所からメーンに出てきているのだ。
彼らは、日本から大量のシュメールシナイ文字岩刻文字が発表された時、一様にどっと驚き、どこからそんなに短期間に見つけ出す事ができたのかという質問をしかけて、次の瞬間口をつぐんだ、という。

それらの発見の多くが神懸かりの霊示に導かれてなされ、しかもその場所が、神道の神社や、“入らずの森”などという禁忌によって何千年という長い間隔離され、守られてきていた場所で発見されているのだという事を耳にしたからである。

ジャングルをかき分けたり、人のいない岩山を登ったりして汗だくで探すほかない国とは違い、日本では何と、殆どの所は古来の神域として守られてきていたのである。

何という事だ!

これは、「ユダヤ」の中枢にもうすでに、当然に伝わっている・・・・・。


     三女神神社の日文

神字日文解 吉田信啓 著より