「ショックでした…」

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セラピストに渡していたベンゾ

啓蒙用DVDのリアクションが返って来た。

 

まず開口一番。

 

ショックでした…。

私は知りませんでした…。

 

だった。

 

自分の職場であるメンタル系の

医療機関で処方薬被害が生まれていた

というのがとてもショックだったようだ。

 

私から話は聞いても、理解がいまいち

出来ずイメージが出来なかったという。

 

それが実際の映像を観ると、

「百聞は一見に如かず」だったらしい。

 

やはり日本で、もしテレビが扱ったら

一発で世はひっくり返る、そう思った。

 

特にセラピストが驚いていたのが、

 

・被害者同士のコミュニティサイトで

情報に辿り着き、テーパー(減薬)

していること、医師の指導の元では

ないこと

テーパーの情報に運よく辿り着いたら

助かること

(辿り着かなければ助からない)

 

・アシュトンマニュアルの存在、

世界中が求めて無料公開、

翻訳も被害者達がやっていること

 

・死にたいわけではないが、

症状が苦痛過ぎて後は死ぬしかないこと

 

だった。

 

(もう当たり前過ぎて、指摘されるまで

その異常性に気付かなかった。

如何にベンゾ離脱症候群が特殊

なのかが分かる)

 

臨床心理士は業務上薬にはノータッチ。

 

しかし研修などで、時々この

「ベンゾ離脱症候群」のことが

回って来るそうなのだが、私から

話を聞いていなかったらそのまま

スルー間違いなかったそうだ。

 

(逆に言えば心理士の研修で

取り上げる時代になって来たのか)

 

私はセラピストに、主治医が因果関係を

認めることを渋っている不満を述べた。

 

セラピストに私は尋ねた。

 

「先生も私が嘘をついている、

疑わしい、ベンゾが原因では

ないかもと思っていますか?

生まれつきの自然発症だと。

しかし私は逆に思います。

一体どういう遺伝子で

どういう育てられ方をすれば

こんな脳になるのかと。

余程酷い遺伝子で、無茶苦茶な

育てられ方しないとこうなりませんよ。

私は一度も親の育て方に不満を

漏らしたことはないですよね?」

 

「はい、最初から私は疑っては

いません。ただ動画を観ると

monさんだけでなく沢山の人達に

起こっていることなのだと改めて

分かります。

これまでmonさんが主張して来た

ことのリアリティを感じました。

本当だと思います。

医療現場でこれが起きてるんですよね?

知らなかった…信じられない…」

 

精神科に近いポジションにいる心理士で

さえ知らないのだから、一般の人が

知る訳がない。

 

姉からは「よく生きていてくれたと思う」

と言われたと話すと、「そうだと思います。

もしmonさんの今の症状が生まれつきなら

とっくの昔死んでいると思いますよ。」

 

「正に『生き延びる』といった感じでした。

まるで戦争。どんなに地獄だって言う

人達も、これには敵わないでしょう。

私はそう思います。」

 

主治医と違い心理士なので、私に

傾聴し言うことを否定したり、神経を

逆なでしたりすることはなかったし、

私を疑うということもなかった。

 

また私と同じ症状が幾人もいる

ことも納得し腑に落ちたと言って

いた。

 

皆同じことを言っていると。

 

まるで大脳新皮質がめくれた、

剥がされたようだとも表現していた。

 

そして「ハイジャック、乗っ取られて

いる。自分ではどうすることも

出来ない。」と言っていた。

 

元からの疾患だと言われるのは

冤罪だ、薬により惹起されたもの

だとは本人が一番分かっている。」

 

とはセラピストもよく理解していた。

 

散々臨床医の文句を言った。

 

「揉み消している」

「何十年も蓋をし続けている」

「彼らはこのまま逃げ切るつもりだ」

「不誠実だ」

「頭が悪すぎる、常識がない」

「心がおかしい、どっちが人格

障害かと思う」

「どうせ患者はバカだと思って

いるんでしょう」

「やられたら最後、どうする

ことも出来ない業界」

「関わってはいけない業界だった」

「全部こちらのせいにされて

しまう、自分達の責任まで」

「薬と言う道具を取り上げられたら

何も出来ない人達なので

必死で守ってるんでしょう」

「〇〇先生は私から刺されない

だけでも有難いと思え」

「所詮私達は、精神医療?の

固定資産の駒に過ぎない」

 

などなど。

 

セラピストは

 

「monさんの場合20年も分からなかった、

それまでの苦しみを思えば

そう思うのは当然だと思います。」

 

と私の気持ちに理解を示した。

 

珍しく私も声を荒げてかなり過激な

ことを言ったが、セラピストは

黙って聞いていた。

 

医療関係者が知らないのだから

一般の人達が知らないからといって

責められない。

 

問題にならないよう臨床医が

揉み消している効果だろう。

 

しかし理解を示さないばかりか

揉み消す臨床医は大罪だ。

 

ベンゾ離脱症候群を深く理解

して欲しい私の関係者の

一人であるセラピストが、

より理解を深めてくれたことで

更に突っ込んだ話が今後出来ると

絶望の中においてもかすかな

期待もある。

 

後は主治医がどこまで頑固に

頑張るか、牙城がいつ崩れるか

それが私の「見届けたい」ことの

一つでもある。

 

主治医をサンプル(生贄)に

して、私は全国の精神科医達と

闘っているつもりだ。

 

オブラートに表現したり、

保身をちらつかせたり、

小さく言おうとしたり、

四の五のそれでも抜かすよう

なら、私も負けてはいない。

 

最後の最後は、真実を語る

者が勝つと信じている。

 

理解ある医師の中には

診断書にも「ベンゾ離脱症候群」

と書く人がいる時代。

 

いつまでも古い頭にしがみつくのでは

なく、臨床医はしっかりと現実を

直視するべきだ。

 

しかし被害者が自分で調べて、

情報や資料を医療関係者に

渡して理解を促すって

一体どういうことだろうか?

 

何故にこのような動きが

医療関係者の間で起きない

のだろうか?

 

今こうやって私がセラピストや

主治医に問題提起をしている

のは、これまでベンゾ問題を

放置し向き合って来なかった

医療側の「つけ」だ。

 

巡り巡って「つけ」はやがて

自分達に返って来る。

 

さっさと昔にやっていれば

今頃こうなっていない。

 

彼ら(臨床医)は、深く反省し

その「つけ」を誠実に返す

責任がある。

 

私の悔しさと怒りは、一体

どこへ向かうのだろうか。

 

私はセラピストに最後こう言った。

 

「私は誰よりも母にこれを

観せたかった。

ならば私達母娘は、どれほど

救われたことでしょう。

母は私に起こったことが

医療の怠慢によって

引き起こされた悲劇であり、

被害者は世界中に存在し、

私もその一人だった

理解出来たら母は救われたのに。」と。

 

母は真実を知らずに死んで

いくことになる―――。

 

かけがえのない娘に

一体何が起きたのかを

知らないまま―――。