私が、なかなか過去に出来ないこと の続き3(2/ 2) の追記 | HER2タイプ乳癌ステージ3C 経過観察中シングルマザー

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HER2タイプ乳癌のこと、治療のことなどを書き残しておこうと思います。温かい目で見守っていただければ、幸いです。アメンバー申請、コメント、メッセージ、リブログについては、「はじめに(私のスタンス)」テーマ内の記事をご一読下さい。

ご訪問ありがとうございます。

【2/2の追記】

  に、文字数制限で追記出来なかったので  
  記事を追加して追記します。
   
   (私のブログの本来の目的、 主題とは
    全く無関係なのですが、
    私にとっては、
    乳癌そのものよりも大きなことではあり
     ~ステージが4でなく3Cだから、というわけでもなく
         たとえステージ4だったとしても、
         娘のその時の危機への対応は
         自分の乳癌よりも大きなことでした。~

     冤罪→さらに冤罪が生んだ誹謗中傷が、
    さらなる冤罪を生み、
    それも、強制力保持者たちまでもが
    偏見と思い込みで
    さらなる冤罪を捏造される
    どれだけの精神的苦痛を強いられるか、
    冤罪で、生活を、人生を、心を
    赤の他人たちの強制力に支配され
    破壊され尽くされるか。

    されたからといって、した人々が
    された側への甚大な悪影響に
      (我が家の場合は、生活、娘の将来、
       私の人生、全てを壊滅的に
       破壊されましたが…)
    何か責任を負ってくれるわけでもない。
    
    された被害者が、
    されてしまって、さらに厄介になった
    生活状況や子供の状況、
    親子関係
       ↑他人が入ってさらに誤解に満ちた厄介な勘違い
              も膨らみ、どんどん歪みが大きくなっている
    の現実
      (短絡的、無責任、理不尽に
       破壊された後の現実)
    から、
    何か対処を見つけて
    子育てしつつ生きていくしかないのです。

   6年前の
   あの劣悪な2ヶ月半にも及ぶ一時保護
   (一時保護預かりが約束の2Wを超えた時)
   から

   いや、正確には、
  3年前の
   その後の高校進学の際の100%冤罪の
   民事介入での実家送致
   (父曰く「警察に騙された」、養育放棄も
    親権放棄も当たり前ですが、していない。
    実の親がそんなことも分からないこと
    自体が両親揃ってネグレクトだったことを
    如実に物語っている。鬼母だけでなく、
    父が警察に騙されて、何を勘違いしたん
    だか地元警察まで呼んだ
    私の中で全てが終わった日。
    100%冤罪だから、児相担当も入って
    直ぐに連れ帰ってもらいましたが、
    どんなに謝られても時は戻らない。
    どれだけ大切な時を失ったか、
    どれだけ酷いことをされたか。)
    
    あの時から
    もう、私は笑えたことなどありません。

   ※6年前は都庁に訴え、対応を改めて変更してくれた
      児相担当と、仮住まい先や近隣の警察の協力が
      あって、 娘を何とか非行児グループから引き離し
      中学受験をして私立中高一貫校に通い
      近隣非行児グループからは離れましたから。
      一時的には良い方向に向かっていたと思うのです。
      だから、絶望的に笑えなくなったのは3年前から
      です。

   あの時点で、私の心は死んだ、
   私の生きてきた全て、親との関係、
   私の子育ての楽しみ、
   全てが終わった、そう思います。

   「冤罪」での不当な民事介入の強制力
   によって、心を殺された、
   終わらされた、そう思います。

   後は娘を何とか自立させる義務感だけで
   生きています。

   後は、今、私に出来ることとして、
   死ぬまで、
   児童福祉法の悪運用の被害者として
   「事実」を残し公開していくしか
   ありません。

   ※本来は、もう娘のことは書かないと
      決めていたのですが、
      3d、ネットストーカーFなど5ch掲示板
      問題、訴訟も絡んでいたのかな?
      誹謗中傷や個人情報暴き晒し、
     サイコパス的な記事の発信なども
      継続され
      娘のネット関係者かも分からないので、

      そして、今回の虐待通報により、
      また児相、警察関連が発生し、
      事実は公開でもしないと、また、
      捏造や隠したり騙したり試したり
      様々されたうえに、
      児童福祉法の悪運用をされる可能性も
      ありますので。
      (実際、親に隠して騙して15日間も
        泊まった先があり、誰が隠したり
        騙したりしているか、
        分かりませんでしたので。  )
      

ー◆ー◆ー◆ー

   の続き


【今回の件の手続き上の顛末
     (渡された書類では、ですが…)】

▼先の記事にも書きましたように、
   因みに、今回、他者から初めて
    (のはずです) 
   『虐待通報』されました。


▼ 5/1に児相からの連絡により、児相担当と
   話した上で警察に行方不明届を出し
   
   警察から児相に
  「親の正当な監護に服さない虞犯
     理由での身柄通告」
   で一時保護していただいたことは、

『私が、なかなか過去に出来ないこと  
    の続き3(2/ 2)』
   で書いた通りです。


▼   5/21 一時保護解除をしていただいた
    ことも、その理由(6年前の恐ろしさのトラウマ。
      冤罪でも、嘘と騙し隠しの人権侵害手法で、
      捏造「虐待」により簡単に養護施設送致されます。
      それを脅しに使われ更なる人権侵害、親権侵害が
      なされ、強制力で生活破壊されます。)
    も、
 『私が、なかなか過去に出来ないこと  
     の続き3(2/ 2)』
    に書いた通りです。

   一時保護決定通知書と解除通知書を
   同時にいただきました。


▼  一時保護決定通知書は
  「 警察さんからいただいた通り
     書いておきました」

  とのことで、以下の通りでした。

   一時保護の理由
  「××(氏名)は、保護者の正当な監護に服さず
    平成31年4月27日に実母と喧嘩したことを
    理由に家を飛び出して居所不明となった。
    令和元年5月11日家に帰ったところ、
    警視庁××警察署より身柄通告となった。
    児童の安全を確保し適切な保護を図るため
    児童の心身の状況、環境その他の状況を
    把握するため、一時保護が必要である。」

  ※「保護者」=「実母」なのですが、
     わざわざ文言を変えてあるのが、
     よく分からないところです…。
     「保護者の正当な監護に服さず」
     というのが定型文だからですかね…。

  ※「喧嘩」という点には違和感はあるものの
     私自身もipadを取り上げる、という
     実力行使に出たし、
     しょうがないでしょうか、、。
  
  ※行方不明担当部署(身柄通告)の警察官の、
    違和感のあった一言
   「20歳になったら、お母さんを見向きも
      しなくなるよ。最後に困った時に親を
      頼ってくれればいいな、との思い、
      情け、で対応した。」

     5~6年前も、癌の状況の話をしたら
   「娘に面倒を見てもらわなきゃいけない
       んだから、もう少し仲良くしなきゃ。」
      娘曰く、娘にはその警察官は
     「お母さん、 もうすぐ死ぬんだから。
    と言った(娘の理解が入っているのだとは
    思いますが…)、と言っていました。
    ご本人は、後日、そんなこと言っていない
    と言っていましたが…。
    私自身が言われたことと総合すると、
    似たような感じのことを仰ったのでは
    なかろうかと推察します。
    
     私には、とても違和感があり、
     ハッキリ書けば超不快でした。

     20歳になって、私を見向きもしなく
     なったとしても、
     私は、娘がきちんとまっとうに(大人と
     して)自立して幸せになってくれる
     のなら、それでいいのですが…。

     5年前も
     癌が厳しい状況だからといって、
     娘に面倒を見てもらおうと思っても
     いなかったのだけど…。
     今の娘の状態のまま死ねない、という
     思いと、
     私が死んだとしても、娘が大学まで出て
     就職出来るような段取りをしなくちゃ、
     未成年後見人とか、そういうことで
     頭も心も一杯でした。

     私は、親心って、そういうものだと
     思っています。

     私自身、親、特に母親との確執を克服
     できているわけではないので
       (その後も何度も何度も親には言った
         けれど、徹底的に自己中心の両親だから
         理解されることはなかった、
         だから、忘れていることで心の平安が
         得られるだけ。)
      普通の方と感覚が違うのかも
      しれませんが。
      特に、思春期の確執は、
      今、娘の反発、反抗にあいながら、
      (かつ)否応なく自分の親との確執を
      思い出させられ、苦しいのです。
      父の胃癌と重なる、私も乳癌を煩った
      ことも、さらに、父の当時のこと
      (そこそこ若くして~40代前半~のスキルス胃癌
         だったものの、
         超早期で手術していただいたのですが、
         当時は本人には隠すのが標準だった時代で、
         でも父は癌だと勘づいて、
         保険もかけているわけでもなかったと思うのですが
         農薬を飲んで自殺未遂をしたことは、
          過去に何度か書きました。
          父を見ていますから、私はがん保険には入って
          いました。見直していなかったので、通院対応が
          不十分なのは痛かったですが…乳癌ノーケアで
          女性特約を付けてなかったのも失敗…。)
      似たような経験をしても、やっぱり理解
      はし難いですが…。
      でも、私も、治療やそれに伴い職場に配慮
      してもらった分、術後復帰後、仕事を優先
      してしまったのですが、本来は娘のこと
      にも、もう少し集中してあげなきゃ
      いけなかったのだろうけれど…。
      (まったくの独りのワーキング
       シングルマザーで、HER2 ステージ3C
       の乳癌で三大治療+αを働きながらして
       いましたから…。
       限界ではありました。リンパ節転移行方
       不明事件もあったし。友人関係は、元々
       一人にお願いしたことが話がややこしく
       なってしまったので、結果論から言えば、
       娘も不安定だったから頼まなきゃ
       よかったかな。でも皆の優しさは
       嬉しかった…。
       その後の転移疑いの影は
       肝臓→肋骨→肺と続いたし…)

      親の愛に恵まれた一般家庭で育った
      人々には想像できないであろう、
      だから周囲から、集団、多数から

      しつこく言われ続けるアドバイスもどき
       (娘を実家に預けろ)

      高校時代の友人も含め、安易に
      実家のことを持ち出す人々

      3年前に100%冤罪の虐待通告の
      民事介入の強制力で為された実家送致

      それらが本当に傷つくし、
      心が病むことを
      あれこれ言われ続け、やられ続け、
      苦しいのです。

ーーー

▼一時保護決定通知書に話を戻して、
   続き

  一時保護を依頼したのが5/11夜
  (送致は5/12になってから、だったようです)

  児相担当が娘と話しに行ってくれたのが
  最速で5/16だったからでしょうか、
  一時保護決定通知は5/17付なのです。
   
  一時保護開始の時期:令和元年5月12日
  一時保護所名が記載されていない。

  送致されていたのは、思い出したくもない
  6年前の悪夢の
  劣悪な2ヶ月半にも及ぶ一時保護で
  娘をおかしくされた
  足立児相一時保護所でしたが、

    ※帰ってきた娘に聞いて分かりました。
      私は、そこへの一時保護と分かっていれば
      断固断って家に連れ帰りますから、
      それが分かっていたからか?
      児相の夜間緊急は、親(私)と話すことは
      拒否しました。
      前日に、警視庁本部から児相の上への
      一時保護要請が入っていた
       (管轄警察の警察官からは、福祉犯被害の
        虞あり、とのことで警視庁本部に
        応援要請した、と聞いています)
     というのは、 後から知ったことです。
     一時保護しなきゃならず、その指示が
     やはり虐待通報者からの虐待通報を受け
   「虐待」扱い??にしたかった
     のでしょうか??

      6年前、仮住まいしていたところの
      管轄警察(児相もかな?)の少年係長は
      足立一時保護所は断固お断り、という
      私の意向も汲んで
      別の一時保護所を手配して、娘が夜、
      家に戻ったところで、
      親子一緒に一時保護所まで行き
      一時保護決定通知も「親子関係調整
      理由でした。

    ※非行グループと遊ぶために出掛けてしまう
      のを制止しようとすると、
      暴力を奮ってでも、歩いてでも(普通に
      歩くと2時間近くかかると思いますが。)
      出掛けてしまう。
      その暴力が尋常ではなかったので
      もう無理かな、と、
      一時保護をお願いしました。
      

▼今回の件

  児相担当が、所属する~居住地管轄児相の~
  一時保護所に移送して下さいました。
   (私が依頼したわけではありません)

 「身柄通告した警察官からは、
     逃げるかもしれない、と聞いたから、
     2人体制で移送したけれど、
     特に逃げようともしなかったですよ」

  と児相担当は言っていました。

  一時保護解除通知書には
  一時保護所名も明記され、
  解除理由は「家庭引き取り」

  でした。
  
  虐待通報が入っていたし、
  やっぱり元々の一時保護は「虐待」で
  入っていたんでしょうかね???

   5/11
   朝帰ってきたけれど、荷物も持たずに
   すぐに、また出て行ってしまったので、
   警察に連絡、担当不在のため110番して
   探してもらいました。
   夜もう一度帰ってきて
   管轄警察が出ずに(居留守かな?)
   110番するように言われていたから
   110番して、
   そのまま身柄通告、一時保護をお願いして
   しまいましたが、

   私は通報者から通報されて児相の記録に
   残っているような「虐待」など
   していませんし、

   「事実」は児相にも警察にも話して
   いる通りで、
   (ブログにも概ね書いた通り)

   そこから、虐待通報者の話と合わせて
   事実と異なる、捏造「虐待」話は作られ
   ているように感じましたが…


ーーー

児童福祉法とその運用の問題、いわゆる
『児相問題』は次の記事に書きます。

※過去の、6年前の『児相問題』への怨み
   死ぬに死にきれない怨み、一生の後悔は
  ありますが、

 6年前の その後、担当変更していただいた
  児相担当には、

  木曜日に、
  引き続き来ていただきました。
  自立援助ホームの紹介をお願いしたので。
  
  ※娘が、親のお金でなく、「音楽を仕事に
    して衣食住全部自分でできる」と
    豪語したまま引かなかったので、
    働いて生活するってことが、
    親が全部出している限り分からず、
    ネット依存を続けて自立出来ないだろう
    から、お願いしたのです。
    一旦、やってみないと分からないかな
    と。


  なぜなら、

・隠し事をしない
・出掛ける時には何処に行くのか言う
    夜9時、塾以外の日にはもっと早い時間
    ~鬩ぎ合いはあるのですが~
    には帰る
・まずは高卒認定をとる
・学校には行きたいので、もう一度高校受験
   する

といったことを話し、
独りではやらなくなるだろう、
ペース作りも必要、と、
塾も入れたのですが、

しかし、

  娘が先週の日曜日に私のスマホを壊し、
  さらに自分はスマホを調達していたこと、
  日曜日に彼氏宅近辺に行っていた
   (レシートが残っていた)こと
  それ以外にも、日曜日から買い物を
  してくるようになったのだが、
  お金の出所
  (路上ライヴの残りとは言っている)と、
  いくら持っているかを言わないこと、
  などは発生はしているので。

  月曜日には、きちんと塾には行っていた
  のですが、帰りにスマホ付属品などなど
  を購入し、

  火曜日の朝、誰かと会話しているのに
  気付き、スマホ調達に気付き…。


また、「仕事として音楽をやる」
→方法が、路上ライヴやライヴ
になっちゃったので、、。

引き続きゲーム依存もしているし
(元彼氏の影響)


===

●6年前のこと、非行グループとのことは
反省していて、

一時保護については、
「あの時は分からなかった」

その後の
塾に行かなかったことは後悔している

※学校は
   「どうしても担任が嫌だった」
   (6年前もそう言っており、今もそう言う。
    6年前は友達関係も言っていたのだが
     今は、それは言わない)

と、児相担当の前でも言っているし

「犯罪になるようはことはしない。
   自分がかわいいので」
とは言っている。

●中学について児相担当に聞かれて
    話したこと

  部活のために行っていた。

  勉強が出来れば気にしてもらえるが、
   (自分は気にしてもらえたと思っている)
  勉強できない子は気にしてもらえない、
  そういう感じが嫌だった。

  仲のよい子が転校してしまい、
  それ以外に
  それほど仲良くなりたい子もいないし、
  外部受験をすると言ったら好奇の目で
  見られたし、

  部活もいじめみたいなことをされて
  学校も嫌になった。

  ※親の目から見て、あまり、そういう感じ
    を受けない学校ではあったけれど、
    東大は出したいから、出来る子を選んだ
    特別授業はあった、中学の頃から。
    (娘は全部選ばれていて、英語は一番出来た
     のだけど、先生が嫌いで、それに出たく
     ないのもあってバレエを復活させていた。
     代わりに英語は塾も頼まれて入れていた。
     それなりに通っていたのは先生が好き
     だから~女性の先生~。「先生が嫌」と
     いうのは中学では英語だけだったが、
     小3、小6と、全部男の先生。)

    親の反対を押し切って(私は女子校を
    勧めた)自分でそういう学校を選んだ
    のだし、
    というか、そうじゃない学校は
    中学受験の偏差値が高いから、
    きちんと勉強して入らなきゃ
    いけなかったんだよ、とは説明した。
    それが私立中高一貫の現実だからね…。

    外部受験の話なんて周りに言うから
    いけなかったんだと思うけど…
     (なんで言うのかなぁ? と思って
       ツイッターを見てはいたけど…)
    結局、自校特待に絞って
    外部受験をやめたんだし…。

●3年前の高校進学をやめての
   進路、音楽、『ネット依存』、元彼氏  
   の件が
   引き続き、ではあるかな、、。