心に響いた医師の言葉2 | HER2タイプ乳癌ステージ3C 経過観察中シングルマザー

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※こちらを最新記事にしておくために、
   現在時刻で再投稿します。

(元投稿 8/6 19:00)
ご訪問ありがとうございます。

直前の記事で、感謝と祈りを伝えた
HANS・HARUさんの
最後の記事の1つ前の4月22日だったかな
の記事を、

  丁度、4月になって、5ch掲示板の
  私への誹謗中傷を初めて検索してみて、
  私への誹謗中傷に特化した専用スレッドまで
  立てられての誹謗中傷の実態に気付き、
  弁護士を依頼し、体調不良の中、吐き気を
  催しながら確認作業をし終わった頃
  だったかな、

に読んで、1キリスト教徒としては
深く感銘しながらも、
己の未熟さというか、
私はブログに嘘や見栄はなく、
ありのままの心を綴っているので
  (他者への配慮等から書かないことは
   あるけれど…)

以下のようにしか書けませんでした。

私は、30歳頃に仕事で大きな挫折をした時
聖書の神、聖霊を感じました。
以来、信仰を持つクリスチャンです。

でも、神(=愛)を忘れずに
日々を生きるのは、難しい、、。

なかなか、全部に感謝はできない私、、。

欺かれ、陥れられた相手、
傲慢な相手(誹謗中傷者)を
愛すること、感謝することは、
出来ないなぁ、、。

「全部に」に、
頭を殴られた気分ではあるのだけど、

愛を感じ会える人々と繋がって
生きていければ、いいかなぁ、

後は神に任せて、、。

神に任せてと思いつつ、言いつつ、

5月末ですっきりしかけたところを、
もっと被害が拡がっていたことに気付き
(気付かされ)、
結局、その後も最近まで、5ch掲示板の
書き込み者への呼掛け、対話も試み続けて
自分の心がもう限界を超えて折れた感…。


6月に、聞きに行けずに残念に思っていた
尊敬する医師(診ていただいたことがある
訳じゃないですが…臨床現場の改革を推し
進めた偉大な先生だと思います)
の講演の内容を、
今日になって、初めて読みました。

まさに、今の私にタイムリーに響く、
心打たれる内容でした。

ヨハネによる福音書10章11-15節
「・・・
羊飼いでなく自分の羊を持たない雇い人は
狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして
逃げる。・・・彼は雇い人で、羊のことを
心にかけていないからである。
わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、
羊も私を知っている。
それは、父がわたしを知っておられ、
わたしが父を知っているのと同じである。
わたしは羊のために命を捨てる」

  ※キリスト教を知らない方のために
    念のため大雑把に補記しますと、
    「父」とは天の父なる神様。その神が
    律法(旧約、十戒も大事なんだけど)に
    縛られ、救われない苦しみに生きる人々に
    救い主「御子」イエスを遣わされた。
    人々の罪を代わりに負って、十字架に
    かかり死後復活、というのは、
    罪を悔い改めて、新たに生きるってこと。
    死後も迷える弟子たちに「聖霊」となって
    現れて共にいて下さる、
    「父」「子」「聖霊」の三位一体が
    キリスト教。

と、所属教会の礼拝説教のお話

「羊をよく知る人、特に羊の面倒を毎日する
羊飼いは、羊の他の面も理解している。
羊は、よく迷い、惑わされることがある。
悪さをする羊もいる。」

を引用され、

自分が良き羊飼いであったか自問自答し
今、はっきり言うことができる。
私は、良き羊飼いであろうと努力した。
私は、自分の命を駆けて羊を守る覚悟を
持って仕事に臨んできた。

「ともに生きる」という言葉は、
キリスト教の「愛する」との考えから
出てくる言葉でもある。・・・
そのなかで最も重要なことは
「許す」
ということだと思う。

一言もない、
「良い羊飼いであろうと努力した」と
言い切れる(そして仰る通りなのだと思う)、
本当に凄いなぁ、と思います。

医療者の方々はどう感じていらっしゃるか
分かりませんし、
直接、診ていただいたことがあるわけでは
ないけれど(癌専門医ではないし…)、

私が、医師と医療を切り分けて考え、
医師不信、病院不信、医療不信に
陥らなかったのは、

先生の記事・書籍と、
先生の心が根付いた全ての羊?たち
(医療関係者)のおかげでした。

ありがとうございました。

ー◆ー◆ー◆ー◆ー

全てを「許す」ことの難しさに
長年、苦しんでいる私…。

「我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく」
が、本当に難しいのです、諸々…。

(乳癌のことじゃなくて申し訳ないですが。

 逆に、病気関連、乳癌関連は、
 不可解な出来事や医療の限界はあっても、
 先生方、事務を含めた医療スタッフの方々
 のおかげで、心は穏やかです…

  根治したとも寛解したとも思えたことなど
  なくとも、転移した癌が治らない、
  共存を受け止めていて、穏やかなのです
     ⬆初期治療の結果(含:不可解な出来事)
         直後には、受け止められなかったですよ
         不可解な出来事や標準治療の限界は。
         今は、まぁ、しょうがないよね、と
         穏やかに受け止めている、
         ということです。
         
  それを赤の他人がしつこく
  ネガティブな如く愚弄、バッシングしてきた
  ブログコメント、メッセージ、掲示板で
   心が病みかけているだけです。
  
   なぜ、治そうと思わないだけで
   心の病気
      ⬆あの頃は病んでなどいなかった
         今、ネットイジメで痛めつけられて
         病みかけているだけです。
    のごとく、
    勘違いの押し売りだのバッシングだの
    され続けなければならないのだろう?)

「キリスト者」であることも、5ch掲示板で
愚弄、中傷されたので、
念のため補足しておきます。

人は神でもイエスでもない。
だからこそ、礼拝に通い(無教会であれは集会
であったり、一人でも聖書の御言葉を読み、
または聞き)、罪(法的な犯罪という狭義の罪
だけでなく、大雑把に言えば自己中心に
生きてしまう罪)を悔い、神に赦しを乞い、
新たなる自己、他者のために、あるいは
他者と共に生きられるよう、全ての人が
平和に生きるという神の御心を、この世で
実現するために我を御使いください、
と祈るのです。