乳癌って取り除けばよいだけと思ってた私 | HER2タイプ乳癌ステージ3C 経過観察中シングルマザー

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HER2タイプ乳癌のこと、治療のことなどを書き残しておこうと思います。温かい目で見守っていただければ、幸いです。アメンバー申請、コメント、メッセージ、リブログについては、「はじめに(私のスタンス)」テーマ内の記事をご一読下さい。

初めて、しこりに少し危機感を感じたのは、
4年前、2013年の夏~秋頃、娘が小6の頃。

娘に言わせると、その1年前の2012年、
娘が小5のGWに、私がしこりを気にしてたと。
そう言われれば、そうかも。

何クラスも落ちた塾から、
異例のお電話をいただき、
算数の1年分の底上げをしていた時のこと。
娘の算数の方が大事だった私。
危機感もなく、そのまま忘れ去ってました。

で、2013年夏~秋も、
うつ伏せに寝ると痛いくらいのしこりに、
若干の不安は感じたものの、
もっと大変な育児上のトラブルで
心も時間も奪われ、
自分のことは後回し、
すっかり忘れ去っておりました。

父がかつて患った胃癌は気にしていたのに、
内臓じゃないからですかね、
なぜだか、
乳癌も死に至る病だということに
思い至らなかった私でした。

手術で取ればいいだけ、
くらいの感覚しかなかった、
アホな私でした。

会社の定期健診に入ってない、
別途申込み制の乳癌健診は、
受けたことがなかった私でした。

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私が17~18歳、ちょうど大学受験の頃、
すなわち、かれこれ30年以上前に、
父(当時40代前半)がスキルス胃癌を、
胃潰瘍の手術で見つけていただき、
偶々、超早期で手術し今も存命、

※癌だからといって死なないことも
  ごく身近な例として知っています。

小5までは同じ敷地内に住んでいて、
子供がいないから、かわいがってもらい、
どちらの子か分からないくらい、で
自営業だったから、引っ越してからも
しょっちゅう遊びに行っていて、
父の胃癌&自殺未遂の時に、
養女にしてくれる、父のことは気にせず
大学に行け、とも言ってくれた、
 (養女の話はなくなりましたが…)
非常に近い間柄だった伯父が、

そのすぐ後に同じくスキルス胃癌、
開腹手術した時には既に手の施しようがなく
そのまま閉じる姑息手術しか出来ない
末期で、1~2年後に召された

※癌は近くに浸潤していって、
  拡がりすぎると手術で取りきれなくて
   生命を脅かす、
  という、ごく身近な例から、
  癌のイメージが強く刷り込まれて
  いました。

乳癌は生命維持に関係ない臓器の癌だし、
実家の隣のおばさん(同年生のお母さん)は
父の胃癌とあまり変わらない時期に、
だから、30代終わり~40代始めに
乳癌で手術をし、今に至るまで、ずーっと、
存命ですし。

身近な実例から、私の癌のイメージが
あったのです…

 (乳癌が死に至る病だと思い至らず、
  というこの記事を持ってして、
  頭が悪いとか、理系の学位を嘘だとか
  だからブログに書いていることが嘘だとか
  嘘つきだとか、詐病とまで
  ご自分のブログや5ch掲示板で
  貶めて書く方々がいらっしゃったので
  ~しつこい方1名~数名が、
      まだ続けている~
  念のため紫字を補記しました。

  2019/10/28 追記)