今年も3月11日になった。

我々は宮城県気仙沼市に来ております。

7年前と同じように、今年も気仙沼に来ました。
14時46分、あの大きく揺れた時間に黙祷します。

気仙沼の街は、またこの1年で変わりました。みんな毎日一生懸命になって頑張ってる証し。

夜、道路工事をしている方々と話した。
岡山県から助っ人に来て2年になると言っていました。

千葉県から派遣されて気仙沼市役所で働いてるという3人組の男性にもお会いした。

まだまだ他県のパワーを借りながら、全力で復興への道のりを歩んでいる。

でも、明らかに復旧から復興へと段階は移っている様にも感じています。

7年間、本当に、沿岸地区の皆さんや作業されている方々は頑張っています。スゴいと思います。

もう7年かぁって思う時もあるけど…いや、まだたったの7年か…というのが正解なのかも知れないな。
たったの7年で、よくもこんなにきれいに整備してお店や住居を作ったなぁって。

だって、本当に全てがぐちゃぐちゃになって…凄い惨状だったから。
自然の猛威に1から立ち向かう人間のパワーって、もしかしたら対等の力があるのかな。

自然の攻撃を受け、点数は沢山取られたけど…ようやくスリーアウトチェンジ。
次は人間のパワーの出番。(うまく言えないけど、野球でいうと。)
それにしても、前ニュース23の膳場貴子アナウンサーは今日も気仙沼に来て中継されてました。
膳場さんも震災直後から毎年何度も来て下さってます。
被災地を知っているからこそ、番組でも寄り添ったコメントをされています。

写真は、7年前の地震がきた時に我々がいた 『シャークミュージアム』の辺りの現在。



やっぱり、3月11日って特別な1日。
正直、色々と思い出す。
さっきまで、番組スタッフと話をしていた。『あの日、気仙沼で朝からロケをしていて…ロケ場所の順序が違っていたら津波から逃げ切れなかった恐れがある』
『避難する方向を間違っていたら、もしかしたら…』
スタッフとそんな話をしていた。
考えただけでも怖くなる。。
あの日の事は鮮明に覚えています。
音も匂いも全て。
まぁ、忘れる事はないだろうな。

我々は生きているから何でも出来る。

これからも、出来る事をしっかりやって行こう。
あの日、亡くなった沢山の方々の為にも。

2018・3・11
宮城県気仙沼市より