新しいシリーズ
「100歳まで生きるヒント」
本日よりスタートします
このシリーズでは
みんなに元気でいてもらいたい!!!!
それを願って・・・
あたしの体験を
また、あたしが実行していることを
包み隠すことなくお話をしていきますので
参考にしてもらえれば
幸せです!
一回の人生ですもの
元気でいたいじゃないですか
元気じゃないと笑顔も出ないしね
第一回目は 乳がんです
母・・・84歳です おかげさんで元気なんです
ブログに写真が載るのを喜んでくれました
私の母は ただいま 84歳
乳がんにかかってしまい
手術をしたのは
かれこれ 13年前のことでした
この時のことを
今回は正直にお伝えします
参考にしてください
滋賀県に住んでいる母は
胸のしこりが気になって
滋賀県の県立病院で診てもらいました
結果は 乳がん
ステージ 3 でした
診断結果は
手術をしてもダメだろう・・・とのことで
余命の期間を告げられて
母は泣きながらあたしに電話をしてきたのでした
そこから 乳がんとの闘いが始まったのです
まずは、余命を告げた医師に電話をして
診察結果を
あたしの耳で確かめることにしました
片方の乳房全体にガンが広がっているので
手術をして患部を開いても
ダメだろうから・・・手術はできない
と告げられたのです ①
そこで
あたしの目で確かめたいので
母を上京させて
東京の病院で診てもらうことにしました
セカンドオピニオンの診断結果も 同じく ステージ 3
これは変わりませんでした
しかし、です
手術をして開きましょう。。。と医師から言われたのです
でも・・広範囲に広がったガン細胞を
取り除くことはできないので
そのまま閉じることになるだろう・・・と告げられたのです②
まだまだ納得ができなかったあたしは・・・
とにかく 次の病院を探しました
どれだけ調べたかわかりませんでした
当時の乳がんの名医を探すことに
全力を注いだのです
調べている病院の売店で医師の評判を聞いたり・・・
調べている病院で入院している患者さんに直接話をきいたり・・・
考えられることはすべて行動して
生の情報を手に入れることにしたのです
これはずいぶん参考になりました
ついにサード・オピニオンの医師とめぐり逢いました
母は再度検査を受けました
もちろん ステージは 3です
しかし、これまでと違うところは
手術を一刻も早くしましょう
できるかぎりのガン細胞を取り除きましょうと
告げられたのです ③
もし・・・あたしが諦めて
セカンド・オピニオンで終わっていたら
きっと
母は今 生きてはいなかったでしょう
3病院
3人の医師の意見①②③は違っていたのです
絶対に!
何が何でも!!
母の命を救いたい!!!
この一心で走り回った結果
神のような医師に巡り合ったのです
手術は8時間強に及びました
手術室からでてきた直後の
先生の手術着についた
血痕が今も忘れられません
患部を開いていただいた結果
リンパまでガンは進行していたので
かなりの部分を取り除く手術となりました
抗がん剤は
あたしの判断で断りました
母の体力では持ちこたえられないと思ったからです
名医の先生の腕を信じて
がん細胞は
すべて取り除いてくださったと
信じられたからこそ
抗がん剤はやめられたのです
すべてのことがうまくいって
乳房全体にガンが広がり
ステージ 3 ではありましたが
ありがたいことに
再発もなく
母は今も元気に生きています
父との二人暮らしですから
母が元気に食事も作っているんですよ
あたしがお話できることは
どの医師に身を任せるか
これがとても重要です
妥協してはいけませんね
納得をしてから手術台に上がるべきです
同じ乳がんの手術を受けても
医師の腕によって
患部の傷口の大きさはかなり違います
私たちは
幸せなことに医師を選べる環境で生活をしています
もちろんお医者様も患者を選べますよ
医師選びこそが明暗を分けることを
今回の第一回目では
声を大にしてお伝えします
追伸
あたしは25歳のときから
年一回ですが
必ず乳がんチャックをおこなっています
予告
次回は世界一のガン病院と名高い
アメリカはテキサス ヒューストンにある
MDアンダーソンへ
行った時の話をしますね