社会的弱者と社会的敗者。

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社会的弱者。というのは、一般には高齢者や女性や子ども、障害者や外国人など、社会で自立して生きていくのに立場が弱く、なんらかの支障がある人たちのことを指す。


そして、これらの人たちは社会から排除されやすいため、社会的な支援を必要とする。



これらの一般的に社会的弱者と言われている人はどういった人かというと、身体機能やコミュニケーション能力などが不十分であるということがまずある。


そのため、社会の中にまざっていくことが困難であったりする。


なので、そういった支援をしていく必要があるんであるが、これまでにこのブログでも散々取り扱ってきた、日本社会のモラルが低下している原因となっている、新たな社会から排除されるグループの人たちがいる。


そして、これらの人たちは、一般的には社会的弱者の枠には当てはまらない人々である。



なぜなら、身体機能やコミュニケーション能力に特に不十分なものはないからである。



つまり、いわゆる負け犬集団の人たちである。



心身も健常であり、人とのコミュニケーションもなんら支障はない。


ただ、自分が努力もせず、勝手に自分に負けているだけの人である。




なので、敗者ではあるけれど、弱者ではない。






この敗者を弱者と同じように社会が支援するというのは、当然おかしい。




この社会的弱者と社会的敗者の扱いが、ここしばらく日本社会の問題であったんだろうと思う。



勝者が生き残って、敗者は立ち去る。これは弱肉強食で資本主義の社会であれば、当然のことである。





敗者が潔く立ち去らないことが問題なのか、それとも他にもっと何か深いものがあるのか?



とにかくこれらの人々は社会的弱者の枠には入らない。ので、弱者支援には至らない。



ただの敗者である。