ひさびさに心理ネタ。
NHKBSの「山田洋次監督が選ぶ100本の映画」(だっけ?)という特集が
主に日曜の夜に放映されている。
昨日は、「本日休診」だった。
戦後すぐの話で、私の好きなジャンルである。
で、このなかで三国連太郎が、いまでいうPTSDで精神障害がある状態なのだが、
近所の人の対応がとてもいいということに気がつき
昔の日本はこういう風に、人を排除せずに共生していたんだなということを感じて、
しみじみと本当の「治療」とはなにか?を考えた。
祖父母や両親から結構戦争帰りで、酒浸りになったり、働くなった人が結構いたというのは聴いていた。
(カーネーションの勘助みたいな人も)
彼らは、薬だの治療だのはせず放っておかれた(戦争で頭がおかしくなったんだと)。
三国連太郎の役は、通る人通る人に軍隊式の説教をしてまわったり、
屋根の上で演説したりする。
木の下に変な格好で居たりする。
それを、就寝ラッパのマネをして家へ帰したり、
説教をし始めた時に、医者は「お前はこの木でいつものように寝ていろ!これは命令だ!」といって
実に上手く御している。
戦争のせいだという理解もあっただろうし、医者は息子を戦争で亡くしているから
自分の息子に接するようにしかもユーモアたっぷりに対応している。
こういう対応っていうのは、誰に教えられるものでもなく、人間関係のなかで
育っていく。
「精神分析」「診断」なんていう、アメリカ式の人を切り刻むやりかたが入ってきてから
日本ではこういう対応はできなくなった。
とくに一般の人は「なんか気持ち悪い」とか
「変!」とか同じ人間なんだという視点がない人がスタンダードになってしまった。
もちろん、昔も偏見はあったし、絶対良いとも思えないけど。
現代は人に対する理解が学べない世の中なのかもしれない。
とつらつらと障子につぎはぎのある昔の家を見ながら思った。
つぎはぎができる人が少なくなったのか・・・?