20230313

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結論を書きます。

さようならASKAさん。

もう私はASKAさんの音楽を音楽として聴いて楽しむことはできません。

これまで永い間ありがとうございました。

あなたの推しを降ります。

 

ここからは2023年2月15日に下書きしたもののUPしていなかった文です。

文章にまとめたことで自分の思いに踏ん切りがついたこともあり公開はしていませんでした。しかし、いわゆる陰謀論とASKAさんとのことを書いた過去の記事を読んでくださっている方が数多くいらっしゃるようです。

今の気持ちを伝えるために勇気を出してUPします。

 

―――以下はおよそ1か月前の2023/02/15に下書きした文章です―――

 

「ASKA陰謀論」などの検索ワードからこのブログにたどりついた方が多くいらっしゃいます

 

変わってしまったのか、隠れていたものが現れただけなのか。

変わってしまったのは、実は私ではないのか。

変わらないことは果たして良いことなのか。

変わり続けることも果たして良いことなのか。

 

共感と自己承認欲求は表裏一体。

信念と排他的態度は表裏一体。

 

結論から申し上げると、私はASKA推しからは降りました。

降りたというよりも脱落したという方が感覚的には適切です。

砕けた心を何度か修復してきたのですが、今年に入って砕け落ちた欠片が風に舞い散るような感覚を得ました。

おそらく今ASKAさんを応援できている人は

1 インターネット上のASKAさんに触れる機会がない

2 インターネット上のASKAさんにも肯定的

3 インターネット上のASKAさんには否定的だがステージ上のASKAさんには肯定的

の3つの型にあてはまるように思います。

 

私はもう無理です。

 

 

ULAS

 

オゾン水による脱臭や除菌を謳う商品はすでに存在しています。

その有効性や安全性についてはもう10年以上前から調査や研究がなされており、公的機関や各メーカーからレポートが報告されています。

ULASもその延長にある商品だと私は認識しています。

しかし、ULASの商品としての有効性の是非については判断する資料があまりにも乏しい。

「オゾン水」の除菌などの効果の有無についての情報ではありません。それも重要なポイントでしょうが、今回のいきさつで私が大きな問題だと感じているのはそれではありません。

ULAS販売元からの公式な情報が乏しいということです。

ASKAさんは週刊誌の記事内容を悪意に満ちた捏造であるかのように語っておられます。悪意があるのは間違いありません。しかし、販売経緯のいきさつの不備についての内容は概ね事実だと思います。

予約販売を募って代金を集めながら商品発送がなされず返金に至ったり、購入申込者の個人情報を流出させたりとこれまでのいきさつに関しては信頼できる企業の対応だとは到底思えません。

 

製品は作ってから売る。

在庫を残すのを避けるならば受注生産して納期を守る。

情報発信は販売元企業の広報が責任をもって対応する。

 

わざわざ書くのも馬鹿らしいほど当たり前なことですし、特別なことではありません。

この3つができていない時点でULASは信頼を失って当然です。

きつい言葉を書きましたがアンチとしてASKAさんを攻撃しているわけではないはずです。常識派のてるれのんは常識を超えたASKAさんの崇高な考えを理解しようとしていないんだ、というわけでもないはずです。

お金を集めて商品を売ろうとしているのです。法治国家における経済活動です。世界中の人々を救うことも大切ですが、その前に高価な購入金額を前払いで支払って商品を買ってくれる人を救わなければならないはずです。

 

完成した、大量生産に入った、〇月には商品が届く、と1年以上にわたってASKAさんのTwitterやブログを通じて商品に関する情報が発信されています。

この時点で商品としては信頼されなくて当たり前です。

ASKAさんがこの会社の社長であり、正式な広報担当ならば、この発信方法もありなのかもしれません。

購入した製品が届かないというトラブルに対応するのは販売する企業でなければならないはずです。

情報をほのめかしたり、世間を煽ったり、人を見下したり、イラついたりしながら、ULASについてASKAさんがTwitterやブログで個人的に対応しているようでは信頼を失って当然じゃないですか。

YouTubeで「SAYONARA」として情報発信した時から結局なんにも変わらなかった気がします。

今はもう世界を救いたいというよりは世間の鼻を明かしたいようにしか見えないのが悲しいです。

 

 

 

イベルメクチンおよび反ワクチン

 

イベルメクチンは新型コロナウィルス感染症の予防にも治療にも絶大なる効果があり、それ以外の病気などにも有効な万能薬なのは自明。明確なその事実を認めないのは利権にまみれた薬品業界や政界の陰謀があるとともに、ワクチン接種を推進する医療技術者が不勉強だからだ。ワクチンは有毒であり接種者は早晩死を避けられない。ワクチンの毒を抜くのにもイベルメクチンは有効だ。

 

まとめるとASKAさんの主張はこんな感じでしょうか。主張には絶対的な自信に満ち溢れています。しかし、その主張には認知バイアスを感じざるを得ません。中でも確証バイアスの傾向が顕著であるように思います。

コロナ医療に関する主張に限らずASKAさんの言動のほとんどは、この確証バイアスで説明できるかもしれません。

確証バイアスとは「自分の信念や仮説(「思い込み」とも言えます)に都合のいい情報だけを集める傾向」のことです。

自分の考えに合致した(主にインターネット上の)情報のみが主張や信念を補強する根拠となります。結果として、信念はより強固なものになっていきます。

もちろん私の考えにもこの確証バイアスの傾向があるはずです。

自分の信じたいものだけを信じようとしてはいないだろうか。

物事を多面的に見ようとしているけれども本当に多面を見ているのだろうか。

そんな自分への問いかけを大切にしたいです。

だからこそ、ASKAさんの言動を批判するような内容の今回のブログのUPを長らく逡巡してきました。

私も確証バイアスや正常性バイアス(=都合の悪い情報を敢えて見ないようにする傾向)に陥りがちなはずです。それは特殊なことでもなんでもないのです。私の感情や感覚にも確実に何らかのバイアスがかかっています。

正義とは相対的なものです。絶対的に正しい考え方なんてない。だからこそ自問自答することで、後から自分の考えが間違っていたなと思ったり、別の考え方が見えていなかったなと思ったりします。そんな時に人は素直になれると思うのです。また、自分の主張の押し付けで他者に嫌な思いをさせていたことを素直に謝ることもできると思うのです。

 

思春期に親や先生に反抗したことを「あの頃の自分はイタかったな」と顔を赤らめたり、親兄弟と酒を酌み交わしながら笑って昔話をしたり。

 

確証バイアスだのなんだのと難しそうなことを言って読者を煙に巻いているように思う方もいるかもしれません。でも、そういうことと同じだと思うんですよ。

 

 

ASKAさんがTwitterというプラットフォームを得て呟いてきた話題は他にもたくさんあります。地震雲、盗聴盗撮、ロシア・ウクライナ、バイデン・トランプ、ひっくるめて「陰謀論」と乱暴に固められがちな話題です。

だから、検索で「ASKA 陰謀論」と入力して私のブログにたどり着いてしまう方がたくさんいらっしゃるのでしょう。

しかし、「乱暴に」と書いたように、それぞれの事象には個別の語られる背景があるはずです。こういった話は時代によっては「噂」と呼ばれたし、時代によっては「オカルト」と呼ばれたし、時代によっては「都市伝説」と呼ばれたし、現在は「陰謀論」と一くくりにされています。かつてこれらはバラバラに語られていたのですがインターネット世界でまさに「ネット(網)」のように結びつきました。

インターネットには無限にも思える情報が溢れていますが、各人の端末にはアルゴリズムに応じて、その人の興味の特性に応じた情報が優先的に表示されます。噂話的で都市伝説的な情報はよりつながりやすくなりますし、世界の闇を暴くかのような内容だという共通点があるでしょう。これらは前述した認知バイアスによって強固に結びついていくはずです。

「乱暴に」と書きましたが、「綿密に」結びついていると思います。

 

そういった話題に対しての私の態度は「懐疑派」です。否定派ではありません。

肯定も否定も含めて事実は何かと疑ってしまいます。我ながら面倒くさいなと思います。

だから心霊や不思議現象を取り上げたテレビ番組やインターネットの情報を見ていても編集や演出の意図を勘ぐってしまいます。事実だと言いきらずに逃げているなあ、などとディレクターや発信者の心理を勘ぐってしまうのです。

「信じることが楽」なのはわかります。しかし、「楽(らく)」でしょうが「楽(たの)しく」ないです。少なくとも私にとっては。

宇宙人が地球に来ているならば何の目的でどうやって来たのかを思うとワクワクしますし、死後の世界があるならばどんな世界であり、どういう仕組みで現生とつながっているのかを思うととても興味深いです。しかし、そういう不思議現象の根拠や論理性に迫る取材がなされた番組はあまりありません(皆無ではありません。超常現象について脳科学や統計学の観点から迫ったNHKスペシャルが数年前に放送されていました。書籍にもなっています)。

放送倫理に反する内容や大衆を扇動するような内容はテレビでは放送できませんが、インターネットでは「自由」です。自由には責任が伴いますから「自由=言いたい放題」ではダメなはずなんですが、そういう倫理性をインターネットでの情報発信に求めるのは難しいのが現状です。

 

ASKAさんが前世や心霊現象や古代文明や予言やテレポーテーションなどの「超常現象」の話を書籍やファンクラブ会報でしていても、私にとっては「それはそれ。音楽は音楽」でした。双方の価値観が並立できていました。音楽の享受には微塵も影響を与えませんでした。

 

 

イベルメクチンに関する情報発信において遵法意識が見られない。

 

これが私にとって大きかったのです。

法を逸脱して処罰を受け、社会復帰を果たした人に今もなお遵法意識がないのです。

「自分の主張は絶対的に正しくて現代社会は間違っている」のでしょう。

「間違った社会の間違った法だから守る必要はない」のでしょう。

裁判官から「傲慢」と諭された態度が改まっていないと感じるのです。また、ASKAさんが守りたい世界は私が見ている世界ではないという無力感に苛まれています。

ASKAさんは自分で歌詞を書いています。その歌詞の世界が私の世界と交わらない感覚になってしまいました。

端的に言えば「響かない」。

チャゲアス愛を語るためにこんなブログを書いてきたにも関わらず、ASKAさんの言動に批判的な内容でこれほどの長文を書いてしまうことになりました。

 

改めて書きますが、過去の薬物使用による逮捕が音楽への愛情をなくすきっかけになったわけではありません。そのことは音楽への愛情には全く影響を与えていません。過去にもこのブログでそんなことを発信していた気がします。

また、完全に離れる気持ちになったのはASKAさんが発する言葉に拒否感があるからです。

ここまでの長文を読んでくださった方ならばわかると思うのですが、ASKAさんが語る陰謀論的な内容が音楽への愛情に影響を与えたのではないのです。

繰り返します。ASKAさんが語る陰謀論的内容が推しを降りる理由ではありません。

ASKAさんが発する「言葉」です。

 

「自説を語る態度」、「ことばの選択」、「異論を排除する姿勢」、「責任転嫁」、「嘲笑」

もう私は今のASKAさんの歌に感動することはできません。

 

ASKAさんは世界を救おうと思っているはずです。そこに嘘はないはずです。

ULASはすったもんだの末に何らかの役に立つかもしれません。

イベルメクチンはすったもんだの末にコロナ治療に役立つかもしれません。

そのことを否定しません。しかし、推しが言うことだからと全面的に賛成もしません。

論理的に、根拠を明らかにして、情報ソースをたどって、その時点での適切な判断をしていきます。

前述したとおり将来的には判断は変わるかもしれません。新たに示されたり明らかになったりした根拠を冷静に分析して判断するわけですから。

そうやって異論を排除せずに、論理的に物事を考えることは楽しいことです。

自説が覆されるのは楽しいことなんです。根拠や典拠がそこに確かにあり、その関わりに存在する論理が証明されれば知らなかった新たな世界を知ることができます。

それは一般人が知らない真理を知って優越感に浸ることと表裏一体の心理なのかもしれません。しかし、優越感とは異なった世界観の広がりです。

「こうである世界」が先にあるのではない。

目覚めていない人は真実から目を逸らしているのではないんですよ。

この世界観の広がりならばあんな傲慢で誠意のない発言は生まれないはず、というのが私の立ち位置なんです。

 

変わってしまったのか、隠れていたものが現れただけなのか。

変わってしまったのは、実は私ではないのか。

 

変わってしまったのは、実は私ではないのか。

 

変わってしまったのは、実は私ではないのか。

 

 

大好きでした。本当です。

これまでありがとうございました。心から感謝しています。

 

 

―――ここまで―――

 

この文を書いてから1か月ほど経ちました。

書いた時以上に状況は進んでいます。

自分の心に踏ん切りがついてからは、Twitterでの他人への中傷に過ぎない発信には苦言ともいえるリプを返すようにしています。

ブロックされるかもしれませんが「それってただの悪口やん」ってことは指摘しようと思っています。状況が変わるとは思ってはいませんが。

 

ASKAさんの世界観では私は死んでしまう人たちに入っています。体から悪いものを放出している人たちに入っています。

 

ASKAさん。

その人たちはあなたの歌を愛している人なんですよ。

だからこそ「救いたい」んでしょうね。

噛み合いませんよね。これではなかなか。

 

私のような真実を知ろうとしない人たちを嘲る言葉に傷ついている人もいるでしょう。

「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」なんてよく言われます。

 

「私はまだ関心があるからこうして長文を書いている」と自己分析しています。

 

 

ASKAさんのTwitterに返信した内容にはASKAさんと志を同じくする方からの反論の返信が先ほどありました。なるほどなぁ、そういう捉え方なんだなぁと思いました。

でも、私の方がきっとASKAさんへの思いは強いぞ。ASKAさんの音楽の魅力を語ることはできるぞ、なんて思ったり。

 

長文にお付き合いくださりありがとうございました。

 

ASKAさんのファンは降りましたが、チャゲアスは大好きです。