共同親権制度が導入された場合…という話をします。例えば、それが、今の共同親権推進派の多くが期待するようなものでなく、選択的で、共同するには監護親の同意が必要で、共同する内容も名目的なものにとどまっていて、制度上はDV被害者である監護親の心配を極力低減したものだったとしても今の導入には懸念があります。
ハーグ条約を批准した時を思い起こすと、具体的な制度設計が検討もされていない段階で、外交上の要請に応える形で、結論ありきで決まってしまい、当初より、「親側の理論であって子どものためにならないのではないか」、「DV被害者を害するのではないか」という指摘がなされていました。
その心配の声に対し、国は、「あくまで国際的な連れ帰りの問題であって国内案件への影響はない」、「DV被害者への脅威にならないような制度設計をする」などと説明し、「海外から子どもを連れ帰ってくることを、北朝鮮の拉致と同様に言うのは論理の飛躍があるし、北朝鮮の拉致被害者の方にも失礼である」と説明していました。当時、弁護士会でも、ハーグ条約導入は慎重にすべきという会長声明を出すなどしていましたが、国の方でも考えてくれていて、ハーグ条約の批准による制度上の懸念は極力低減したものになりました。
詳しくはこちら
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2013pdf/20130801023.pdf
しかし、制度上の懸念は極力低減されても、子連れ別居は拉致ではないと明言していても、これに我が意を得たりと勘違いして、家庭裁判所の前で、「子どもの連れ去りは国内拉致。シェルターは北朝鮮と一緒。」と街宣する人たちが現れました。
男性ばかりの集団が、家庭裁判所の前で、強い口調で責め立てる様子は、威圧感があり、その光景を目にした依頼者は、「何なんですか?うちの夫も加わりそう」と心配していましたが、その懸念は本質をついていて、子連れ別居を連れ去りと非難する考えは、DVを正当化したい加害者側と親和していました。
現在の共同親権推進派は、「共同親権」という一見ニュートラルな衣をまとっていますが、上記の流れを汲んでいます。出発点が、「連れ去り非難」にあるから、共同親権推進派が、子連れ別居の案件に刑事告訴を指南したりするのです。穏健的にみえる団体や政治家も根はそこなので、分断を招く過激な主張を行う人たちの行動をたしなめることなく利用してます。
私をはじめ、共同親権の導入に反対、もしくは、慎重にという人たちの多くは、単独親権原理主義ではありません。社会にDVの本質が精神的暴力であるという理解がすすみ、イクメンやワンオペ育児という言葉が死語となるほど男女共同参画が進んだ後、離婚後のパートナーの双方から巻き起こる共同親権の推進であれば反対しないのです。
最初に戻しますが、ハーグ条約の批准でDV被害者が懸念したような制度にならなかったにも関わらず、懸念したとおりの活動を誘発したことを見過ごせません。棲み分けがどうなろうと現在の推進派に含まれるDV正当化を目的とする人たちが、共同親権の導入により紛争を激化させることが目に見えています。
親子断絶を本気でなくしたいのなら、DVと虐待についての理解を深めること以外にやることはありません。DV加害者が担う共同親権推進で導入される「共同」は、子どもを連れて避難せざるを得なかったDV被害者にとって恐怖でしかありません。
加えて、現在の日本の法制度に、共同監護、共同養育を妨げるものは何もありません。私は、事実婚で、単独親権ですが、パートナーに親権がなくて困ることは17年間一度もありませんでした。養育費を支払う義務は、現在も定められていますので、共同親権導入の根拠にはなりません。現在の共同親権推進派が描く「共同親権」像は、DV被害者にとって非常に恐怖が大きい・・・。そういうことをお伝えしていきます。
お読み下さって、ありがとうございました。