アジア・アフリカ会議(アジア・アフリカかいぎ、Asian-African Conference、AA会議またはバンドン会議)
第二次世界大戦後に独立したインドのジャワハルラール・ネルー首相、インドネシア大統領スカルノ、中華人民共和国首相周恩来、エジプト大統領ガマール・アブドゥル=ナーセルが中心となって開催を目指した会議の総称。
1955年にインドネシアのバンドンで第1回が開催されたが、第2回は開催されなかった。
【概要】
特にその第1回会議をバンドン会議(Bandung Conference)、または第1回アジア・アフリカ会議と呼ぶ。
参加国はその多くが第二次世界大戦後に、イギリスやフランス、アメリカやオランダなどの帝国主義を標榜する欧米諸国の植民地支配から独立したアジアとアフリカの29ヶ国で当時の世界人口の54%を占めていた。
バンドン会議は中印の平和五原則を拡張した平和十原則を定め、継続的に開催される予定であったが、中印国境紛争やナセルのアラブ連合形成の失敗、スカルノの失脚などにより、各国の指導者間の統一が乱れ、1964年に予定されていた第2回会議とそれ以降は開催されなかった。
しかし、その精神は1961年9月に開催された第1回非同盟諸国首脳会議に引き継がれたと言える。
その後、2005年にバンドン会議50周年記念会議が開催され、今後の定例化が決定された。
【バンドン会議における意義】
1)反帝国主義、反植民主義、民族自決の精神。
2)アメリカ(西側諸国)、ソビエト連邦(東側諸国)のいずれにも属さない第3の立場を貫こうとする基本的指向。
これによりいわゆる第三世界の存在を確立。
3)アメリカ、ソ連の対立を緩和する立場(バランシング・ブロック)を作る契機となった。
4)会議において「世界平和と協力の推進に関する宣言」を採択した。
【平和十原則】
正式名称は世界平和と協力の推進に関する宣言。
バンドン十原則(ダサ・シラ・バントン)とも呼ばれる。
1)基本的人権と国連憲章の趣旨と原則を尊重
2)全ての国の主権と領土保全を尊重
3)全ての人類の平等と大小全ての国の平等を承認する
4)他国の内政に干渉しない
5)国連憲章による単独または集団的な自国防衛権を尊重
6)集団的防衛を大国の特定の利益のために利用しない。また他国に圧力を加えない。
7)侵略または侵略の脅威・武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立をおかさない。
8)国際紛争は平和的手段によって解決
9)相互の利益と協力を促進する
10)正義と国際義務を尊重
【日本からの出席】
日本は高碕達之助経済審議庁長官を代表として加瀬俊一外務相参与(後に国連大使となる)など外務大臣代理で出席した十数名が参加したが、他国は中華人民共和国の周恩来、インドのネール、エジプトのナセル等いずれも元首、首相級が出席し、政府レベルの国際会議となった。
招待状をもらった日本では政府内では見送り論も出るほど不安を抱えながらの参加であった。
その参加の模様を、加瀬俊一が1994年7月京都外国語大学で講演で以下のように述べた。
「(各国代表からは)『日本が、大東亜宣言というものを出して、アジア民族の解放を戦争目的とした、その宣言がなかったら、あるいは日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったら、我々は依然として、イギリスの植民地、オランダの植民地、フランスの植民地のままだった。
日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある』ということだった。
我々が今日こうやって独立しました、といって『アジア・アフリカ民族独立を祝う会』というのがA・A会議の本来の目的だった。
こんな会議が開けるのも、日本のお陰ですと、『やぁー、こっちへ来て下さい』、『いやぁ、今度は私のところへ来て下さい』といってね、大変なもて方だった。
『やっぱり来てよかったなぁ』とそう思いました。
その翌年、日本は晴れて国連に加盟して、私は初代国連大使になりました。
アジア・アフリカ(A・A)グループが終始熱心に日本の加盟を支持した事実を強調したい。
A・A諸国から大きな信頼と期待を寄せられて、戦後我が国は今日の繁栄を築いて来たのです」
大東亜戦争は日本が仕掛けたものではない。
侵略戦争でもない。
意味さえ理解できれば納得して頂けると思う。
これを日本国では教育さえされない。
取りも直さず立法府・文科省および日教組・全教の責任である。
また特亜三国は反日・捏造教育を行い、子供たちは洗脳される。
日本はアジア諸国の代表として西洋諸国からアジア支配解放のために戦ったのが「大東亜戦争」で戦死者を出した。
しかし日本の奮戦虚しく、輸入を止められ物量に勝る米国に敗戦したが、決してアジア諸国は日本が悪いとは微塵も思っていない。
証拠は第一回バンドン会議(アジア・アフリカ会議)です。
バンドン会議は1955年にインドネシアで開かれました。
バンドン会議とは、大東亜戦争後に、イギリス・フランス・オランダなどの植民地支配から独立したアジアとアフリカの29ヶ国が集まった平和会議です。
この会議に日本もオブザーバーとして招待された。
>会議が開かれると、日本政府代表団に対して、アフリカもアジアの各国も
『よく来てくれた』
『日本のおかげだ』
ーーと大歓迎を受けた記録も残っている。
御存じの通り、日本が多数の犠牲を払って戦わなかったら、我々は未だイギリス・フランス・オランダの植民地だったかも知れない。
また公開した『大東亜共同宣言』がよかった。
大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出した。
『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』
ーーと、大変なおもてなしを受けたのである。
後に日本が国連に加盟できたのも、アジア・アフリカ諸国の熱烈な応援があったからこそ再加盟できたのである。
インドを含むアジア諸国は、日本が起こした大東亜戦争を「侵略戦争」だったとは思ってもいない。
それどころか、日本に感謝しています。
しかし、日本国から賠償金を詐取している特亜だけが、我が国を戦犯国と批判している。
言うまでもなく南北朝鮮と支那共産党であり、反日捏造教育を行っている。
我が国は、アジア解放の為に戦い、多くの犠牲を払い、そして解放したアジア諸国には、日本の血税を使いインフラ整備などを施し豊かにしたのです。
アジアの国には難民はいません。
反対に白人が支配した殖民地では、国の資源を搾取され植民地の国は衰退。
その後、独立しても発展途上国にもなれず、後進国のまま欧米の植民地支配された国民・民族は難民となった。
日本のアジア統治と白人たちの植民地統治では全く意味が違うのです。
その後も支那共産党は勝手な言いがかりばかりを続け、捏造南京大虐殺ほか侵略・侵攻を今も行っている。
そして言うまでもなく、朝鮮半島は侵略されたと歴史歪曲し捏造を繰り返し、日本から金を貪り取る南鮮!
日本が行った大東亜戦争と、のちに行ったベトナム戦争に参戦した南鮮軍では月とスッポンで、全く対比するものではないのである。
南鮮は何時になったらライダイハン問題に耳を傾けるのであろうか疑問である。
日本軍人は侵略する為に戦った訳ではなく、婦女子を辱める行為はしない。
当時の軍人規範手帳をです。
当然、この規範を破れば処罰されます。
本来は文部科学省の仕事ではあるが、自虐史観と弱腰外交の官僚には頼れない!
この事実を我々民族派保守は普遍的に訴えていきたいだけなのである。
将来の日本国と日本国民の思いを託し、残念にも散っていった命の重さに守られた日本国。
その大切な先人たちの思いを裏切らない為にも、これからが本当の闘いである事を肝に銘じたいものである!
▽最後はこの動画で締めくくりたいと思います。