日中戦争の最大の悲劇の一つとされているのが黄河決壊事件です。これは日本軍の
仕業だと中国は盛んに宣伝しましたが、それは大嘘で中国軍の仕業でした。

1938年6月7日、河南省中牟付近の黄河の堤防が爆破されて、さらに鄭州付近の
堤防が砲撃され、水が滔々と流れ出しました。

氾濫は河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54,000平方kmの領域に及び、11の都市と4000の村が水没しました。水死者は100万人、被害者は600万人と言われます。

当時、中国国民党軍は日本軍に対して連戦連敗を続けていました。黄河決壊事件の直
前には、河南省の中心地である開封市が日本軍に占領され、鄭州市が攻略される状況
でした。

鄭州は交通の要所であり、ここが日本軍に占領されると国民党政府の主要都市である
武漢が危機に陥ることは明白でした。

日本軍を水攻めにして進撃を阻止するために黄河決壊を実行したわけですが、数か月
後には日本軍は武漢攻略に成功しています。結果として無意味な作戦でおわり、住民
に害を及ぼしただけでした。日本軍の人的被害も皆無でした。

黄河決壊事件は民衆無視の中国軍の本質をよく表しています。中国軍(国民党軍・共
産党軍双方)は略奪・暴行・強姦は兵士の当然の権利だという概念が染み込んだ鬼畜
のような軍隊です。

実際、中国軍は第二次上海事件で日本軍に大敗した際も、撤退する際に堅壁清野と呼
ばれる焦土作戦を行い、掠奪・破壊・放火等の好き勝手な行動をしています。街道筋
を焦土にして日本軍の進撃を困難にするのが目的でした。

そんな中国軍ですから、平然と黄河の堤防を決壊させる水没作戦を行うことができる
のです。民衆がどれだけ犠牲になっても知ったことではないのです。

黄河決壊作戦を許可した蔣介石は、国民党の通信社である中央社電を使って「日本の
空爆で黄河決壊」という偽情報を世界に発信しました。

ですが、日本軍がそんなことをする理由がありませんでした。自分で自分の進路を絶
つような水没作戦などするわけがないからです。

逆に日本軍は堤防の修復作業を行うとともに、住民の救助作業や防疫作業を行いまし
た。筏船百数十艘を出して救助活動を行い、氾濫した水を中牟付近から別の地域に誘
導するために堤防と河道を築きました。

日本軍に救助された避難民は開封方面1万人、朱仙鎮、通許方面5万人、尉氏方面2万人、その他数万人にも及びました。

その日本軍の作業を妨害したのが中国国民党軍でした。現場に近づく日本軍に攻撃を
加えたほか、日本軍が住民と共同で行っていた防水作業を妨害しました。

しかも、日本軍の航空機も麻袋をパラシュートにより投下して防水作業を支援しましたが、対岸にいた中国軍遊撃隊が激しい射撃を加えたこともあったというのです。

日中戦争は日本が権益拡大のため、一方的に中国を侵略したと学校では教えられていますが、それは日本を侵略国と位置づける戦勝国の押しつけであり、自虐史観による刷り込みです。

しかも、日本軍は中国軍の悪逆非道な振る舞いから多くの中国民衆を救い、歓迎
されているのです。どちらが歴史から断罪されるべきかは一目瞭然であると思います。

日本は中国に対して加害者意識が染み付いていますが、中国に対して卑屈になる必要
など全くないのです。日本人は今こそ自虐史観から脱し、誇りを取り戻すべきです。
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