『日本国紀』読書ノート(6) | こはにわ歴史堂のブログ

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6】日本の8人10代の女性の天皇は、父親が全員、天皇というわけではない。

 

P33の記述に「日本には過去八人(十代)の女性の天皇がいたが、全員が男系である。つまり父親が天皇である。」とあります。これは明確な誤りが含まれています。

さすがにこれは訂正される(あるいは訂正済)でしょう。

でも、これ、なんとなくこんな風に書いちゃったの、わかるんです。

別に百田氏を擁護するつもりはないのですが、女性天皇はみんな男系だ!て、言いたくて、子、父、その父、そのまた父…

子から父にのぼって行ったら、どっかで必ず「父親が天皇」になる、て頭の中に思っちゃっているのが文字になったのかな、て。

 

ただ、私がここを明らかにしておきたいのは、別に理由があります。実は、生徒の一人が、

 

「先生、元正天皇のお父さんって、草壁皇子ですよね?」

「え? そうやで。」

「この本、女性の天皇の父親がみんな天皇って書いてあって…」

 

と、なんと『日本国紀』のP33のコラムを見せてくれたんです。よく気づいたな、と、思ったんですが、私、授業でこの時代を説明するときは、皇極天皇から聖武天皇まで、黒板に天皇の系図を書いて、「男系天皇」の意味を必ず紹介しています。

草壁皇子が天皇にならなかったことこそ、この時代をつくり出したといっても過言ではありません。

持統-文武-元明-元正-聖武までの皇位継承の流れは、系図をかけば長屋王の変の背景もよくわかります。

(女性の天皇は、単なる「中継ぎ」ではなく、それなりの意思を持ってふるまっておられた、皇位継承に重要な役割を果たしていた、と思っています。)

 

この「十代」とは推古・皇極・斉明・持統・元明・元正・孝謙・称徳・明正・後桜町天皇のことで、このうち、皇極天皇と斉明天皇、孝謙天皇と称徳天皇が同一人物なので「8人」が天皇の位についていることになります。

同じ天皇が再び天皇となることを「重祚」といいます。

で、この8人の天皇の父親は、全員が天皇ではありません。皇極天皇の父は茅渟王、元正天皇の父は草壁皇子です。

 

そして、茅渟王の父は、押坂彦人大兄皇子。天皇ではありません。

押坂彦人大兄皇子の父は、敏達天皇。

皇極天皇の父(茅渟王)の父(押坂彦人大兄皇子)の「父親が天皇」となるわけです。

 

以下は蛇足です。

 

8人の女性天皇のうち、お二方、明正天皇と後桜町天皇は、江戸時代の天皇です。

明正天皇は第109代の天皇で、母親は、なんと2代将軍徳川秀忠の娘、和子。

称徳天皇以来、859年ぶりの女性の天皇。

父親はもちろん天皇で、後水尾天皇です。

 

さて、諡号の「明正」ですが、一説には「元明天皇」と「元正天皇」の「明」「正」の一字ずつを得た、と言われています。

 

元明天皇は天智天皇の娘。元正天皇は文武天皇の姉。

 

明正天皇は後水尾天皇の娘。そして後光明天皇の姉。

天皇の娘にして、天皇の姉。元明、元正、お二人からお名前一字をいただいておられても、おかしくはありません。

ただ、後水尾天皇は、明正天皇に譲位し、さらに明正天皇の異母弟が成人した後、位を譲らせています(後光明天皇)。

徳川の血を天皇家に入れないぞ、という御意志があったのかもしれません。