新日本専門リーグとは日本野球連盟(日本プロ野球)と、もう一つの組織的な団体があった。
1936年の1年のみ活動。日本野球連盟と同じ時期だった。
参加していた球団
●セントラルシチー中京(愛知県名古屋市に本拠地を置く球団)
●岐阜イースタン(岐阜県岐阜市に本拠地を置く球団)
●東京ユニオン(東京都に本拠地を置くセミプロ球団)
セントラルシチー中京は中京野球クラブに改称するも解散。関係者は後に結城ブレーブスに関与。
岐阜イースタンは途中からセントラルシチー中京からの離脱者を受け入れイースタン東海に改称。後に関西コーモラント改称後解散。
関西コーモラントは神戸野球倶楽部を引き入れ活動を継続するつもりだったとされる。
退団した元巨人の田部武雄も勧誘するともあったが消えていた。
新日本専門リーグからプロ野球に入った選手がいた。野原五郎(元宝塚協会)、筒井隆雄(大東京)、石井秋雄(イーグルス)。
資料が乏しい為、はっきりしない。
テーマ:野球
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