未来を見つめ、今日も進む
歩行器で歩く――視線入力にも挑戦

 

皆で付け合いながら進む古池さん一家。明日もまた、朗らかな一歩を誓う

(左から反時計回りに、古池さん、長女・玲乃愛さん、次男・藍羅さん、夫・仁さん、長男・汰成さん)


 

 


 【滋賀県彦根市】「れのあちゃーん、がんばってー!」。四輪の歩行器を支えに一人の少女が、ゴールテープを目指し、一歩一歩、足を踏み出している。特別支援学校小学部の運動会。母親の古池敦子(ふるいけあつこ)さん(49)=稲枝支部、白ゆり長=の目に、涙が光った。重度の脳性まひの娘が一人で歩くことなど、想像もしていなかったからだ。テープを切ったのは、長女・玲乃愛(れのあ)さん(13)=中学2年。あれから2年、わが子の笑顔は、さらに輝きを増している。

◆ 思いつめる日々
 膨らんだおなかをさすり、優しく声を掛ける。「大きくなったら、お母さんと一緒にお花を作ろうね」。古池さんは34歳の時、第3子を妊娠した。
 おなかの子が女の子だと知って、心が弾む。2度の流産や早産を経験してきただけに、細心の注意を払ってきた。
 8カ月目となった2004年(平成16年)6月、目が覚めると、腰の回りが、ぐっしょりとぬれていた。“まさか……”。破水(はすい)だった。救急病院で出産。1044グラムのわが子は、直ちに保育器に入れられた。
 すやすやと眠る娘は、次男が生まれた時よりも大きかった。次男の藍羅(あいら)さん(19)=男子部員=は796グラムで誕生。心配は尽きなかったが、周囲が目を見張るほど健やかに育っていた。
 「藍羅と同じように、元気に成長するよね」。夫の仁(ひとし)さん=(47)=壮年部員=を見つめた。
 仁さんも自らに言い聞かせるように、「大丈夫だよ、きっと」。
 だが3カ月後、医師から「脳性まひ」と告げられた。しかも、話すことも座ることもできない重度の分類に入るという。思い描いていた未来が、音を立てて崩れ始めた。
 それまで自宅で営んでいたフラワーアレンジメントの仕事を、ぴたりと辞めた。
 携帯電話の着信音がいつまでも部屋に鳴り響く。電話に出る気力もない。家族が出払った薄暗い部屋で玲乃愛さんと過ごす。着る服は黒いものばかり。
 たまに外出すると、ベビーカーに乗せた玲乃愛さんを見て、近所の人から「首が曲がってるで。なおしてあげ」と言われた。
 わが子を服で隠し、人目を避けるようになった。自分を責め続け、“いっそのこと……”と思いつめるようになった。
 「結局、娘の障がいを受け入れられなかったんですね」。古池さんは、当時をそう振り返る。

◆ 初めて話した
 婦人部の先輩が会合に誘ってくれた。会館に入ると、いつものように同志が温かく迎えてくれた。
 「よく来たね。玲乃愛ちゃん? かわいいわね」「子どもは毛穴から信心が染み込んでいくのよ」「私の娘もね……」
 幾多の苦難を乗り越えてきた先輩たちの励まし。次第に、古池さんに笑顔が戻ってくる。
 ある日、友人から言われた。「玲乃愛ちゃん、笑うようになったのね」。はっとした。玲乃愛は障がいがあるから笑わない、と思い込んでいたのだ。
 その頃から、義母の冬子さん(75)=岐阜県郡上市、圏副婦人部長=が常々語っていた、「この子は使命をもって生まれてきたのよ」という言葉の意味を、深く受け止められるようになった。
 2度目の流産で落ち込んでいた時、信心を勧めてくれたのも、冬子さんだった(1996年入会)。
 古池さんは数々の励ましを胸に、学会活動に打ち込んでいく。赤裸々に自身の体験を語り、弘教(ぐきょう)も実らせた。
 5年ほど前、玲乃愛さんを連れて、ある大学の教授が主催するセミナーに参加した。
 そこでは、玲乃愛さんのように全介助(ぜんかいじょ)を必要とする重度障がい者と、コミュニケーションを図るための試みが紹介されていた。
 回を重ねるうち、玲乃愛さんは自分の指を動かすように。大学教授が、そのわずかな動きを読み取って言葉にした。「れ・の・あ」。指筆談(ゆびひつだん)と呼ばれる手法である。
 別のセミナーでは、視線だけで画面上の風船を割るゲームを体感。頑張る玲乃愛さんの姿は、何度かマスコミに取り上げられた。
 ある日、家族で天気予報の番組を見ていると、玲乃愛さんが声を発した。「ハウ、ハウ」。同じ場面が何日か繰り返された時、はっきりと聞き取れた。「はれ、はれ」
 皆で顔を見合わせた。「玲乃愛、『晴れ』って言ってるの?」。玲乃愛さんは笑い声を上げた。今では、「おはよう」「ごはん」と言えるまでになっている。

◆ 家族が一つに
 2年前、友人を介して、福祉用具を製造販売している作業療法士から、特殊な歩行器を紹介された。その歩行器は、体の重みを預けながら、前もたれになって足を動かす四輪タイプ。
 「障がいで歩けないのだったら、歩かせる必要はないではないか」。そう言われたこともあった。だが、古池さんは胸に秘めていた。“自分の意思で生きさせてあげたい”と。
 昨年、小学部の卒業式では、自分の足で歩き、卒業証書を受け取った。
 その後、玲乃愛さんはイルカとも泳いだ。古池さんは、学習やプール活動等を通して障がい者の可能性を引き出し、積極的な社会参加を目指す「インクルーシブ教育」に取り組みたいと意気込む。
 今、玲乃愛さんを中心に、家族の思いは一つになっている。
 長男の汰成(たいせい)さん(20)=奈良県生駒市、男子部員=は現在、京都のフランス料理店で副料理長として腕を磨く。「障がい者やその家族が気軽に来店できる店を開きたい」と夢を膨らませる。
 藍羅さんは、「障がい者を隔てる壁をなくしたい」と高校の介護福祉科を卒業後、介護福祉士として、高齢者施設に勤務している。
 古池さんは、フラワーアレンジメントなど八つの免許を持つ。各地でイベント講師としても活躍。アクセサリーなどのほか、最近は車いすなどの福祉用具の装飾も手掛ける。
 仁さんは、2度の倒産を乗り越え、建設現場で働く。
 皆が障がい者の目線に立った人生を歩んでいる。困難に立ち向かう勇気、人への思いやり、団結、大きな夢――玲乃愛さんと生きる中で得たものは、かけがえのない“心の財”だった。(関西支社編集部発)

 

「歩行器を使うと、いつもニコニコ顔なんです」と古池さん。
傍らで玲乃愛さんがゆっくりと足を踏み出す

 

白ゆり長の古池さん(右から2人目)を長年支えてきた同志と共に。
「暖かな励ましがあったから、悲哀を乗り越えることができました」と


 (2018年4月11日付 聖教新聞)より



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『玲乃愛のすがお』を読んで