私のしてきた仕事…
パン大好き、パンや3で働きたい→
パン屋さんでバイト

居心地良くて代が4年間過ごす。
絵本つくるのに関わりたい!
→子供の絵本の出版部門があったアパレル系の会社、なぜなら簡単に就職できた→子供服販売→店長へ、結局絵本が作れず、ブラック企業で激務で心身ともに壊れて辞める
借金返さないと!
→週で収入得られる(フルコミ)英会話学校の営業の広告目に入る→やっちゃおうかな→旦那さんと出会う 契約取るの大変なのと電話営業時間が苦痛になり、また心身ともに不調復活し辞める
営業辛い、収入思うように入らない→ドラッグストアでバイト+朝にパン屋さんでバイト
→結婚するのに辞める
サンドイッチ屋さんでパート
→子供生まれて辞める

保険屋さんと知り合う→少しお金が必要、家にいても子育ての辛い→説明会、講習会行けばお金もらえる→結局働く
→3年位いたけど、子育ての辛さと契約取れなくなってくる辛さで辞める
その間に保険の同僚に誘われて、ネットワークビジネス始める。仲間意識に憧れた…。
けど、そこも子育ての辛さとお金にならない
辛さでフェイドアウト。
そして、何となく子供のことが落ち着いて、保育園に通っていたこともあり、互助会で働き始める。時間が良かった。→契約取らないとというのと、子どものことでまた悩み辞める。辞める。
あー、そう言えばその間にアメリカの宗教団体が母体となってる学校に少し行ってたら(自分自身を変化させたかった)、スタッフにならないかと言われ、そのための勉強をしてた時もあった。でもその勉強が意味あるのかと思い始めて、ここもフェイドアウト。
内職してた時もあった。稼ぎと経費と労働が割に合わなかった…。
日雇いバイトもした。その時はサプリの工場で1日ひたすら同じ作業を黙々とこなす仕事。修行のようだったな…。
そして、最近では去年初めて、派遣に登録しコールセンターで少し働いた。なんか普通のOLさんぽくて、仕事もそんな大変ではなくて、ちょっと新鮮だった。
なんか、こう書いてみると私がする仕事って、実は私が苦手な事だったりする。
元々人と話してこなかった私。
自分から話しかけるなんてできなかった私。
大学生になって、やっと話せるようにはなってたけど、それだって特定の人とだけ。
話す量としては少なかったと思う。
そんな私が販売やら、営業やらをしてるって、どうよ

良くやってたな…と思う。
そもそも何の人生設計もなく、何の目標もなくら働く事の意味もわかってなかった。
だから行き当たりばったりの仕事の選択。
自分でも何で
と思うほど。

でもね、それぞれバラバラでみたら、仕事の苦しかったね、さらに子育てもからんでくるからどんどん苦しくなる自分をつくるためにやっていたとしか思えない。
けれど、これを線でみるとね、実は全てが自分のミッションに出会うためだった。
私にとっての究極の限界~仕事にしても子育てにしても人間関係にしても~そもそも夢見る夢子ちゃんの私は現実に生きてなかったから、働くことで現実に直面し、どうしようもならなくなったのだけど、その限界がなければミッションに出会えなかった。
この一連の流れの中で、nTechという認識技術と出会い、その開発者であるノさんと出会い、この現実を知り、その現実をつくりだす真実を知り、その仕組みを知った。
それによって、本当に私がつくりたかった、ら「関係性」へのミッションと出会った

人と話せない、関係性がきずけない。
そう思っていたけど、本当は関係性を築きたくてしょうがなかった。
それも、条件、状況によって変わる関係性ではなくて、常に安心と気づきと感動が生まれる関係性。
それを築くには観点の問題を理解し、その問題をクリアし、観点から自由になること。
さらに、その自由なところから現実をつくりだすこと、というとっても楽しく面白い究極のクリエイターになる必要がある。
なので、私の今の仕事は関係つくり感動クリエイター。
今、つくった(笑)
でも胸を張って言える。
自分で言うのもなんだけど、すっごい変化。
あなたの嫌い、苦手と思ってることを突き詰めたら、そこに大きなミッションが隠れてるかもね。
一人では何も変わらなくてもどかしさもあるけれど、観点から自由になった関係性からは新しい何かが動き出す。
あなたの中でうずうずしてる思いを引っばり出してあげよう!
苦手なことをあえて仕事にしたら、
あなたの中で動きたくてたまらない、あなたのミッションが目覚めるよ。
本気の人生生きてみよう

ぜんけ けい
尊厳ファミリーリライズ協会設立準備委員会代表
リライズ協会HP
nTech開発者 ノ・ジェスオフィシャルブログ 「令和という新元号に寄せてシリーズ」大好き
です。
