美能幸三『極道ひとり旅 ~続・仁義なき戦い~』(73年/サンケイ新聞社出版局)のまえがき全文をそのまま書き起こしてみた。カッコ内の文字はルビが振ってあったもの。






【まえがき】

『仁義なき戦い』のもとになった私の手記に対して、「なぜあんなものを書いたのか」とか、「手記全文を読ませろ」とか、不文律(やくざ)社会の一部から強い反響が寄せられた。

映画化にあたっては、広島抗争事件の渦中の人物の一人から、「一千万円出すけん、やめてもらえまいか」という申し入れもあった。

手記を書いた動機は、マスコミの一部を通じて流された「事件の張本人は美能幸三である」という“真相”に対する必死の抗議であった。

私らの行為そのものは後世に批判されるものばかりで、いまさら訂正できる筋のものでもない。だがミソもクソも一緒にされてはたまらない。「牛のクソにも段々がある」のである。私は、私なりの“仁義を求めて”戦ってきたつもりであった。

だからといって、私一人がええ格好で終わるわけにはいかない。私は不文律社会に身を投じて凶状持ちとなり、初めは優越感を味わい、つぎに孤独感に陥り、そして最後に虚無感に叩きこまれた。

不文律社会に生きてきた人間の、こういった正味の実態を書き残しておきたいと思って、私はあえて再び筆をとることにした。

昭和四十八年十一月

美能幸三(みのこうぞう)




※最後の美能幸三の文字に振ってあったルビだが、『極道ひとり旅』では「みのこうぞう」となっていたが「みのうこうぞう」の間違いだろう。