これは万人に共通する問題で、誰にも大なり小なり在る物である。
前回の記事で暴力のカルマという言葉を出したので、具体的に経験も
含めて記す。
最初にその言葉を耳にしたのは、私のブログの最初期の頃に書いた心理占星術の先生からだ。
ここから少し自分語りになるが、私の経験と、貴方の人生を重ねて似た物が有れば、よく再考して欲しいのだ。
自分で見て考え、内面の感情や言葉の騒音と言う物を見つめ続けて(内観する行為)何とか苦しみを生み出す貴方の中の原因を刈り取る努力を続けて欲しい。
前回までの運気をこれ以上下げない為の事を実行しつつ、以下の記事を貴方の問題を軽減する為の役に立てて欲しいのだ。
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私は介護士の専門校に入る前まで製造業だった。私の職歴で一番長いのだが、正社員として数年働き、交代勤務で班の班長補佐になると、ただの現場製造担当として流れ作業をするだけでなく、マシンのメンテナンスや班長が休んだ時の代行、ホイストクレーンを使用しての大型機械パーツの交換や一般作業員の手助け等責任や業務内容が増え、蚤の心臓の私には大変なストレスになった。
ブツブツ不満や愚痴を言いながら、毎日流れ作業をして月日を過ごしてそれなりの金をもらっている一般作業者(派遣従業員含む)の立場のままが楽だった。
ネトウヨ反自民の毒まんじゅう率いるビジネス保守政党の支持者共も大半がそんな程度の奴らだがね。もちろん反国家反政府・反皇室の糞チョンやゴミカス日本人も含むが。面倒な事から逃げてただその日をやり過ごして、無意味な飲食やバカ騒ぎや賭け事や快楽で徳を食いつぶし、無為に年を取り続ける奴らの事だ。
札幌から実家に戻った時は貯金をはたいていたから、色々買いそろえつつ、親に毎月お金を渡しつつ、飲食を慎み必死に貯蓄して、バイクも含めて全て一括で購入し、貯えがそれなりになると・・・・。
目的を失い、緊張感や生きている意味さえ希薄になり始めていた。
出会いが有ればまた違っただろうが、私は札幌に居た当時に交際していた女性とはしばらくは遠距離で続いていた物の、夏季休暇の時札幌に行って再会してから一年後に破綻していた。結婚に進むことは出来なかったし、それ以上の女性にも出会えなかった。私の運命だろうと感情を飲み込むしかなかった。
高校生の時、同級生から「空手バカ一代」のコミック全巻を貰って以来(高校時代は、気前の良い同級生に恵まれていたな‥(´⌒`;))
極真空手にずっと憧れていた。胸に「極真会」の文字が刺繍された道着を着たかった。
大山総裁は既に他界して組織は分裂していたが、分裂の事を知ったのは入会する直前だった。
私が県外で長く過ごす間に、実家の在る田舎にも支部が出来ていて、
精神的に行き詰っていた私は、残りの人生、全力で何かに人生を掛けたいと、その気持ちを極真空手に向けたのだった。
仕事のストレス・行き詰まった全て・目標に向かって燃え尽きて人生を終わらせたいという刹那的な感覚。淡々と生きていくのは私には耐えられない。
高校時代に沖縄系の伝統派空手を一年程度やった経験しか無く、(自衛隊で徒手格闘は少ししか学べなかった)格闘武術に対する渇望がずっと在った。
それは、「暴力への渇望」でもある。
暴力性には、
・直接物理的に他者へ行う行為
・言動による行為
・態度による物
・心の中で排除しようとする行為・・・見ない様に、関わらないように
やる行為全て。
飲み会で、或いは人事で、誰かを外すとか、色んな事例が際限なく想定出来る。
それらも全て人の持つ暴力性その物である。女だからと言って
も大きく存在するものである。
上から順に悪業カルマデータの重さは軽くなるが、生きている人間でこの暴力性が無い者はほぼ存在しない。
カルマについては下記の過去記事に簡略に纏めているので再読を。
過去記事にも書いたが、カルマ・・という物は単なる宇宙でのシステムに過ぎず、カルマという物自体に善悪は無い。
だから、良いカルマと悪いカルマが存在する。善業と悪業の事である。
高校の時から極真への片思いをし続けた訳だが、元々はテレビでブルース・リーの映画を見て、それまで嫌いだった格闘や武術の魅力に憑りつかれた・・・という所だが、そもそも強い暴力性が無ければそんな映画を見ても嫌悪しか感じないものである。
燃えよドラゴンという映画は、ブルース・リーの渾身の、命まで削った魂の叫びであり、怒りという暴力性の頂点の作品だ。
彼の映画全作に共通するキーワードだ。
私はその全てに全身で共感した。
魂の底から震える感動と湧き上がる怒りと暴力・復讐心その物になった。
それは、私が子供の頃から・・・というより、魂が何世代にも渡り生まれ変わる度に積み重ねた暴力のカルマの発現でも有った。
貴方には、何か切欠が無かっただろうか。
今まで打たれ続けて耐えて悲しみから口惜しさ→怒り→憎しみに変化し、ついに、その感情エネルギーが反転、外側に向かって爆発した事が。
それは喧嘩とは限らない。
私は空手を始め、帯に色が着くと、組手に参加する様になり、当然痛いし、きついし、攻撃を受ける恐怖と苦手な人が居るわの四重苦を味わう。
わざわざお金を払って苦痛を味わいに行っているだけの様な感じさえするが・・・・。
ある事を感覚的に悟るのである。
職場でも嫌いなパートのババア達が居て、たまに関わるのがとてつもない苦痛と精神の消耗だったのが、空手の練習日の翌日には職場が楽で
(体力は消耗しているが)ある種の爽快感で帰宅出来る様になっていたのだ。
しかし、練習で痛い思いをしない時、前日に練習が無い時は、職場で嫌な思いを味わう事になった。それが随分と多かったので、これは偶然では無いな、と感じていた。
私は介護士の学校に行く為に退職し、同時に空手も止めたのだが、
介護士の学校でブスに嫌な思いをさせられる様になった時、その時
会員だった心理占星術の先生に、過去の空手を習っていた時の経験を話した。
先生の答えはこうだった。
「その通り、苦痛を味わう悪業カルマの投影される時期」に、苦痛を分配し一つ一つの苦痛は軽くする事が出来る。
学校以外で肉体的痛みを味わえば、学校ではその分痛みが軽くなる。
という事なのだが、理解して頂けるだろうか。
次回の記事で、その辺りを他の人の例を挙げて説明させて頂く。