日本テレビの伝説の人気番組に、とんねるず司会の≪生でダラダラいかせて≫(略して生ダラ)というものがある。
なぜ突然生ダラの話をするのかというと、まだ地デジ化になっていない数ヶ月前のとあるテレビ番組で、生ダラの準レギュラーだったにしきのあきらが生ダラの思い出を語るシーンがあったからだ。
そしてにしきのあきらが生ダラの思い出を語っていたとき、ふと画面に次のようなテロップが出たのである。
【生でダラダラいかせて 1992~2001】
2001年━━といえば、あの日韓ワールドカップが開催された年の前年である。
私は生ダラを放送が開始されてから2、3年間しか見なかったので、『まさかそんな最近まで生ダラが放送されていたとは!』と驚愕に襲われてしまった。
そんな生ダラからは数多くのスターが生まれた。その代表が前述したにしきのあきらである。
もはや━━『スターにしきのなくして生ダラなく、生ダラなくしてスターにしきのなし』━━といっても過言でないほど生ダラとにしきのあきらは切っても切れない関係になっていた。生ダラによってにしきのあきらを知った若い世代の人は多くいるはずであり、ガウン姿にワイングラス片手のスターにしきのの姿はいまだに脳裏に焼きついている。
生ダラから人気者になった人といえば、相撲レスラーの輪島さんもそうだろう。
輪島さんは口数は少ないのだがひとつひとつの返答がおもしろく、石橋貴明とジャストミート福沢がなんらかの質問をしたとき、輪島さんはこのような返答をしたのだ。
「いいとも~!」
その瞬間、石橋貴明は膝から崩れ落ち、ジャストミート福沢は『番組がちがうような……』とつぶやいた。
また、自殺した直木賞作家・景山民夫も出演したことがあり、それから秋元康の手がける番組ということでおニャン娘クラブならぬ“ねずみっ娘クラブ”なるアイドルグループが結成されたりもした。元ねずみっ娘クラブのメンバーの娘たちは、今頃どこでなにをしているのだろうか……?
それから今考えるとぞっとすることなのだが、たしかオウム真理教の麻原彰晃も出演したことがあったような記憶がある。それからわずか数年後、その麻原彰晃が地下鉄サリン事件を巻き起こすことになるなどとは、とんねるずのふたりも生ダラのスタッフたちも誰も夢にも思っていなかったにちがいない。
また、そんな生ダラのあぶない企画として、自殺願望者を募集するというものがあった。結局この企画はどうなったのかよくわからない。全国の自殺願望者たちをスタジオに呼んで、とんねるずらとなんらかの会話をかわしたりしたのだろうか……?
また、レギュラーのジャストミート福沢が、古館伊知郎と初の対面を果たしたのが生ダラのスタジオだったと記憶している。
新日本プロレスのカリスマ実況アナの古館伊知郎と、全日本プロレスのカリスマ実況アナのジャストミート福沢━━ジャストミート福沢にとっては古館伊知郎は雲の上の人であり、古館伊知郎の登場に言葉をなくして立ちつくすジャストミート福沢の姿が今も印象に残っている。
ところで、そんな生ダラの無数にある思い出の中でわたくしメシアが最も衝撃を受けたのが、とんねるずと古くからの友達であるロックバンド、アルフィーのリーダー高見沢さんが出演した回である。
それはスペインロケのときのことで、石橋貴明らが闘牛士に挑戦するコーナーでのことだった。どこからかエレクトリックギターを弾きながらひとりの人物が姿をあらわしたのである。それが高見沢さんだったのだ。
では、なぜそれが最大に衝撃的だったのか?当時、まだ子供だった私にとってアルフィーの高見沢さんというのは一種の“伝説上の存在”であり、まさか生ダラのようなアホ番組に出るような人ではないと思っていたのだ。
というか、現実の世界に実在するのかどうかもあやふやな次元の存在だったのである。それほどに高見沢さんは壮大な神秘のオーラに包まれた人だった。
それから高見沢さんはとんねるずと番組で卓球勝負などをするようになり、徐々に伝説上、神話の中の存在だった高見沢さんをリアルに感じることができるようになっていった。
日本テレビの伝説の番組、生ダラ━━どんな最終回をむかえたのかは知らないが、麻原彰晃のような危険人物をゲストに招いたり、自殺願望者を募集したりする生ダラのようなあぶない番組を、ガウン姿とワイングラス片手にもう1度見てみたいと思ってやまない今日この頃なのであった。
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