先日、≪もうひとりの自称・弥勒菩薩≫という記事にURL非公開のコメントが届けられた。
ニックネームのところには【見てて飽きたよ】と書かれており、それだけで中傷コメントであることは明らかだった。ちなみにAさんと呼ぶことにする。
が、『見てて飽きたよ』という言葉は完全に嘘だ。コメントは読まずに削除したが、タイトル部分に長い文章が書かれていたので、コメントのほうも非常に長い文章であることが推測できるからだ。
見てて飽きたような記事に、貴重な時間をさいて長い文章のコメントを入れるはずなどない。よってAさんは私のブログに絶えず強烈な関心を示し続けているというわけなのだ。
だいいち、人間とはいつしか“飽きの感情”に襲われる生き物だ。私も死ぬほど好きな≪鉄拳6≫も2、3時間もやっていればさすがに飽きてくる。しかし翌日になると再びやりたくなってくるのだ。人間とはそういうものである。
Aさんは先日は飽きの感情に襲われたのかもしれないが、ぜったいにこの記事も読みにきているはずである。
そういえば私のとある読者の人が、読者登録の際の一言メッセージにこのようなことを書いていた。
『1度読み出したらどんどん読んでしまう中毒性のあるブログですね』
……Aさんもおそらく“メシアジャンキー”のひとりとして濃密な日々をおくっているにちがいない。