私は、この方の考えに共感しました。
まったくの正論だと思います。

皆様、ご一考を。

ナザレンコ・アンドリーと申します。 
私は5年前にウクライナから参りしまして、おそらく憲法改正の議論が最も活発な時期に日本で過ごしました。 
なので「平和」と「戦争」という言葉を何度も耳にしました。 
数年前ロシアに侵略され、一部の領土を奪われ、今なお交戦が続いているせいで毎日毎日新しい犠牲者が出てるウクライナの出身者だからこそ、どうしてもその議論に関心が向きます。 
護憲派の方々が軽々しく脅し文句として使っている「戦争」という言葉は私の祖国の現状だからです。 
そして、その改憲に反対してる方々主張は、ウクライナが犯した過ちと非常に似ているので、強い危機感を覚えました。 
簡単に言えば、自称「平和主義者」は何と言っていますかというと、それは「軍隊を無くして隣国にとって脅威にならなければ攻められないと。どんな争いでも平和を訴え、話し合いさえすれば解決できると。そして集団的自衛権を認めたら他国の争いに巻き込まれるから危険だと」 

では、ウクライナは侵略される前までずっと取ってきた政策と比較してみましょう。 
1991年にソ連から独立した時にウクライナには沢山の核兵器と100万人の軍隊がありました。 
しかし、維持費がかかるし、隣国に警戒されてしまうし、危険なのでウクライナは全ての核兵器を譲りました。 
代わりに「ブダペスト協定書」という国際条約を結び自国の防衛を他国に委ねてしまいました。 
そして、100万人の軍隊を20万人に。 
つまり、5分の1まで軍縮しました。 
しかも、大国の対立に巻き込まれないようにNATOのような軍事同盟にも一切加盟しませんでした。 
日本共産党の考える平和主義は、まさにこれではないでしょうか。 
こんな政策は素晴らしいと考えている方を是非、今、ウクライナの前線に連れて行きたいです。 

戦禍で燃え尽きた村の廃墟、ミサイルが落ちている中で学校の地下に隠れている子供、20歳までさえ生きられなかった戦没者のお墓を見せて聞きたいです。 
「あなたが望んでいる日本の未来はこれなのか?戦争は言葉によって止められるものなら、その言葉を教えてくださいよ。安全な日本にいる時だけでは戦争のことばかり話しているのに、どうして実際の戦地に一度も平和の精神とやらを伝えに行ったことが無いのですか?」 
そう聞きたいです。 

私に言わせれば、抑止力を無くして平和を得た国は無いでしょう。 
そして、抑止力というのは物理的なのだけではありません。 
もし国民投票の際、何千万人の日本人が投票所に来て、改憲賛成に票を入れたら、それはどういう意味しますかというと、「我々は外国によって強制的に押し付けられた法律を認めない。自分の国を自分で守る」という意味になります。 
そういう強い意志を示すことこそが最大の抑止力になると、私は思います。 

一方て、憲法改正されていな状況を隣国はどう受け止めるのでしょうか。 
「日本人って武力を持って攻撃したら、いつまでも押し付けられたルールに大人しく従うんだ。日本の領土を奪っても国民を拉致してもミサイルを飛ばしても国際条約を破っても何度も領土侵犯しても全く動こうとしないんだと。日本の国会に決断力がなくて、どんなに危機に直面しても行動を取らずに中身の薄い議論を続けるばかりなんだと」 
こういうふうに思われてしまうことこそは、戦争を招かざる得ない事態だと私は思います。 
そんなお被害妄想だと考え、隣国に侵略さっることは非現実的だと考える方もいらっしゃるでしょうが、実はウクライナ人だって2014年まで皆そういうふうに考えてきた訳なんです。 
しかし、今、平和ボケしてた時期を振り返ってみると、戦争が一切起こらないと考えさせることも、敵の戦術の一つだったと私は分かりました。 

ところで、日本国憲法の前文に「平和を愛する諸国民」とできますが、私もどんな国でも一般市民の大半は、平和を愛すると信じたいです。 
しかし、日本の隣国の中で権力者が国民の願いを聞いてくれる国なんてあるのでしょうか。 
北朝鮮にしても中国にしてもロシアにしても独裁国家ばかりなのではないでしょうか。 
その国々の国民はいくら平和を愛したって権力者が「戦争しろ!」と命令したら「NO!」と言えないのです。 
で、日本の野党の方々は、同じ日本語をしゃべって、同じ日本人である有権者でさえ説得できないのに、どうして全く違う国民性を持った外国人の指導者を戦争しないように説得できるのか私は分かりません。 

そして、議論が必要と何度も言いながらも議論から逃げる姿勢も不思議でなりません。 
国際情勢が深刻化する中で、国家の生存に関わる憲法改正問題をこれ以上先送りしていられないと思います。 
日本には今歴史的なチャンスがあります。 
そのチャンスをつかむか、台無しにしてしまうかによって子孫は良くも悪くもどのように今の日本人を評価するのか決まります。 
「令和」と名付けられた新しい時代に日本はやっと大和精神に基づく法令によって統治されるようになると信じたいです。 
そして、日本は、自立し、国際社会と対等な一員となることは日本のためにも世界のためにもなるはずです。 
ご静聴ありがとうございました。