はじめに。
今日は、相当にシビアな話をしますので、閲覧注意です。
タイトルのようなお話、ブログ内外を問わずよく耳にします。
そして、いつも思います。
一生困らない音楽の基礎を身につけるって、そんなに甘いもんじゃないですよと。
音大生は、何のために厳しいレッスンを受け、青春の全てを捧げて、練習に打ち込むのでしょうか。
音大受験生とその保護者の方は、何のために、1回1万円以上の高額なレッスン料を支払いながら音大教授のレッスンに毎週のように通い、難関のコンクール制覇に向けて邁進し、これまた全ての青春と子育ての貴重な時間をピアノのために費やすのでしょうか。
それが最善の教育である、とかは思いません。
ただ、他のいろんな楽しいことを全て諦めて、それに人生をかけている人たちが居て、その中から、はじめて将来有望な演奏家や指導者の卵ができるという現実があります。
下手なところがあれば否定しかされない、「前より出来るようになりましたね」とか一切褒めてなど貰えない、上手く弾けるのが当たり前という価値観の、厳しい厳しいレッスン。
普通科の学校の中では並外れた存在であっても、有名コンクールでは脚光を浴びる一部の超人達の影で、自分の才能の無さに絶望し、凡人であることを思い知る日々。
それが専門の道です。
音大に進んでも、『基礎がなってない!』と、『積み重ねが足りないから人生やり直しなさい!』と、ボロカスに言われて、それでもへこたれずに、しがみついて勉強を続けて、大人になって根本からもう一度学び直して、ようやっとそこそこ不自由なく音楽を楽しめる。
それが、今の自分だったりします。
これから教える子供たちに、そんな辛い想いは、なるたけして欲しくはありません。
しかし、仮に自分の生徒が、専門の道にどうしても進みたいというのならば、良いところを見つけて褒めるより、抱えている課題の指摘と解決を最優先する、心を鬼にした厳しいレッスンをせざるを得まい、と思っています。
今より、もっと厳しい世界が待っているから。
中途半端じゃ、生きていけないから。
たかだか、近所のヤマハのジュニア専門コースにちょっと行ったくらいで、専門生と同じレベルでピアノの道を極められると思ったら大間違いです。
甘ちゃんにも程があります。
専門生には、幼少期から、もっと密度の濃い学習や、血の滲むような練習をしているお子さんがたくさんいます。
あるいは、楽しみながらも、驚異的な学習能力をもって成長し、小学生にしてプロの音楽家より遥かに優れた音楽能力と演奏技術を既に手にしている、才能あふれるお子さんもいます。
経済的なお話をするなら、
日本の音大に行くとしたら、私立なら4年間の学費でまずは1000万、受験するための個人レッスンでトータル数百万、さらに安くない楽譜代や楽器のメンテナンス代がかかってきます。
しかも、卒業しても、大抵はキャリアの保証はどこにもありません。
一生のうちに保護者の方が支払ってきたお金を回収することなんて、到底不可能です。
ですから・・・
私のような凡人の夢のために、夜も寝ずに必死で仕事をして稼いで、こんな割に合わない贅沢な教育を受けさせてくれた、我が両親には、感謝しかありません。
今は、誰かにレッスンを受けずとも、大抵の曲で読譜に困ることもなく、常軌を逸するような超難曲でない限り、合理的なテクニックを用いて自分の解釈で音楽を表現でき、これから学ぶ人達に、音楽の基礎を教えるだけの見識と教養は備えているつもりです。
ただ、それらの能力を持っているからと言って、自分が特別に優れている、と思ったことは一度もありません。
なぜなら、これは“音楽を楽しむのには、一生困らないだけの基礎”であり、自分よりもずっと優れた音楽家は世の中にたくさんいることを知っているからです。
そして、忘れて頂きたくないのが、
現在の僕の状態は、両親に精一杯の環境と教育を準備してもらって、自分でも子供の頃からの人生を可能な限り費やして、20代後半頃から現在にかけて、やっと得たものだということです。
その上で、これまで学んだことを維持・向上させるためには、これからも基礎の訓練を一生絶やさず続けていく必要があります。
もちろん、そうやって学ぶからこそ、はじめて分かる、芸術としての音楽の価値があり、それが何物にも代えがたい人生の宝なのですが😌
ここまで、一生困らない音楽の基礎を身につけることについて、随分と厳しいお話をしました。
個人的には、趣味として音楽を楽しむなら、子供のうちにと考えるのではなく、もっと長い目で見ていったほうが、楽しめるんじゃないかなと思います。
楽器の練習は、山登りに似ていると思います。
例えば、美しい山脈の景色は、ただ遠くから眺めても美しいですが、実際に険しい山道を登った者だけが、山から見る絶景を味わい、名山の本当の素晴らしさを実感できます。
名曲もまた、地道な練習を経て、自分の手で演奏できるようになって始めて分かる魅力があります。
ただし、急勾配を登ろうとすれば厳しい茨の道が待っています。
同じ高みを目指すのでも、緩やかな斜面を歩んで行くのもありです。
時間は相当にかかるけれども、その分、ゆっくり楽しめます。
急勾配は、専門の道。
緩やかな斜面は、生涯学習。
音楽を教えるとは、そのどちらの道をも少しでも楽に登れるよう、導いていくことだと思っています。
【追記】
一部、表現によりヤマハの関係者の方々に、ご不快な思いをさせてしまったこと、心からお詫びいたします。
私としては、ヤマハの専門コースに行くことだけが、音大への道ではないと思っていますし、むしろ音大の受験業界では、ヤマハでない専門教育の方がスタンダードであるということを示したかったまでです。
今、一生懸命がんばっているお子さん達を否定する意図は無いことを、改めて述べておきたいと思います。