非常識だけど、そこがすばらしい
ロイドジョーンズ博士はイギリスのバッキンガム宮殿に仕える医師でした。その医療活動の中で博士が確信したのは、患者の多くが必要としているのは通常の医学医療ではなく、イエス・キリストの福音でした。彼はやがて常識外れにも大胆に医師を止め、牧師となり福音を伝えることによって人々を救いに導いたのです。主はあなたを必要としています。あなたを用います。だから聖霊の火を受けて常識を超えた大胆な愛の行動をとって下さい。
1800年代半ば、アメリカにこういう男がいました。
9歳 母親が死亡
22歳 田舎で苦労して酒店を出したが、経営不振で会社が倒産
23歳 州議会議員選挙落選
24歳 器材を買って測量技師の仕事を始めたが、会社が倒産で借金が残った。
軍隊に志願。隊長に任命されたが、すぐに兵卒に降格となり除隊処分。
26歳 婚約者が死亡
27歳 神経衰弱を患う
苦労のすえ独学で弁護士になったが、開店休業状態。
29歳 州議会議長選挙落選
31歳 大統領選挙人選挙落選
34歳 下院議員選挙落選
40歳 次男死亡
46歳 上院議員選挙落選
47歳 副大統領選挙落選
49歳 上院議員選挙落選53歳 三男死亡
生涯で2人の息子を失い、合計7回の選挙落選をしました。
彼は、アメリカ合衆国大統領に選ばれる、奴隷解放の立役者となったアブラハム・リンカーンです。
失敗の中にこそ「成功の種」があることを知るべきです。彼は言いました。
「私が南北戦争に成功したのは、否定的な考え方を遠ざけ、肯定的な人々と親しくし、肯定的に考えたので戦争に勝った」と言いました。南北戦争の最中、自分の家族や側近者たちがこぞって南部の人たちを非難し、悪しざまに言うのを聞いて、常識的に敵を批判せず「あまり悪く言うのはよしなさい。われわれだって立場を変えれば、きっと南部の人たちのようになるのだから。」
やがて、大統領選に立候補したとき、政敵ステントーンはリンカーンをひっきりなしに中傷し、ありもしないことまでねつ造して、悪口雑言しました。
あるときにはステントーンはリンカーンを「あのサルのような顔をしたやつ!」と呼びました。結果、リンカーンは念願かなって大統領に当選しましたが、その後、驚いたことに非常識にもリンカーンはステントーンを陸軍大臣に任命しました。側近たちの猛反発の中、リンカーンは大抜擢の理由を説明しました。
「彼は私の強敵です。ですから、より強い愛を送らなければなりません。今は、南北戦争中です。私たちに必要なことは、ステントーンのような有能な人材です。国家・民族のためには、個人的な敵であるとの感情は克服しなければなりません」
後日、陸軍大臣ステントーンは誰よりも忠実な大臣となり、アメリカとリンカーンの働きの発展に大きく貢献しました。やがてリンカーンが死去したとき。誰よりもリンカーンの死を悼み悲しみ、棺の前で「この世の中で、もっとも偉大な星が去ってしまった」と、号泣したのはステントーンでした。
西洋のことわざです。「善に対して悪で仕返しするのは、悪魔の仕業である。悪を悪で報いるのは、人のすることである。悪を善で返すのは神様と同じ行為である」
ベートーベンは言いました。「憎しみはその心を抱く者の上にはね返ってくる」