こんにちは、広報担当です。次の土曜日、2/22はバッハ・オルガン作品演奏会 アンコール Vol.2 小糸 恵です。
いずみホールに再登場してほしいオルガニスト投票で1位に輝いた奏者がオールバッハ・プログラムを披露します。
今やスイスを拠点に各国で活躍する世界的オルガニスト、その小糸さんの学生時代のエピソードなどについて、興味深いコラムを発見しました。
2012年に発行したいずみホール音楽情報誌「Jupiter」Vol.137に掲載されました「オルガニスト小糸恵」を再掲出いたします。筆者は馬淵久夫氏(日本オルガニスト協会元会長)です。
ご一読ください。
※文中の経歴等は執筆当時のものとなります。
オルガニスト小糸恵
著:馬淵久夫 日本オルガニスト協会元会長
■出会い■
いまから43年前、早春の日曜日。礼拝オルガニストの務めを終えて一息ついていると、一人の女子学生がやってきた。
「小糸恵子と申します。芸大のオルガン科にいます。この教会に新しいオルガンが入るそうですが、オルガニストにしてください」。実に直截な申し入れだった。
新しいオルガンとは、東京の大森めぐみ教会が1970年6月に設置したストラスブールのシュヴェンケデル社製の楽器のことである。当時、全国にパイプオルガンを備える音楽ホールは一か所もなく、ミッションスクールも教会も、多くがリードオルガンあるいは電子オルガンで済ませていた。オルガンを勉強するものにとって、本物のパイプオルガンは感性を磨くための必需品である。意欲的な小糸さんの申し入れは、もっともなものだった。しかし、副オルガニストがすでに決まっていたので、この申し入れはお断りせざるをえなかった。
■バッハ連続演奏会■
同年7月、披露演奏会を終えたのち、わたしはフランスオルガンの本邦第1号になるこの楽器で連続演奏会を企画しようと思った。2段手鍵盤18ストップという今からみれば小規模ながら、ストップ配置をバッハとフランス古典曲に対応できるように工夫してある。幸い、教会が主催してくれることになった。
連続演奏会は8年間にわたり約50回開かれたが、そのなかで忘れられないのは、1971年から1974年の間に実行したリレー方式のバッハ連続演奏会である。同じ曲を2度ひかないで、偽作を除く全曲を演奏するのは、アレンジが難しい。しかし、友人・知人の全面的な協力をえて、約200曲を全15回でまとめることができた。いずみホールの全14回はBACHに因んだ素敵な数だが、40年前には思いつかなかった。当時は、のちにヴォルフ博士などがエール大学所蔵手稿譜から発見したノイマイスター曲集が世に出ていなかったため、曲数は今回の全228曲より少なかった。
1972年の早春、芸大の秋元道雄先生から、オルガン科の卒業試験へのお招きがあった。恒例のことだが、大学院修了も含めて4、5名ほどが、狭いレッスン室の大オルガンで、張りつめた雰囲気のなか、一人一時間ほど暗譜で演奏する。演奏者リストに小糸恵子の名があった。彼女の演奏は素晴らしかった。わたしは即座にバッハシリーズでの演奏を依頼しようと決めた。
このシリーズは演奏順に、草間美也子、鴛渕紹子、古田めぐみ、吉田實、廣野嗣雄、佐藤ミサ子、ファインツ・ファルヘル、酒井多賀志、土岐恵子、小糸恵子、河野和雄、アルノー・シェーンステット、高橋秀、馬淵久夫、木田みな子で完結した。小糸さんのリサイタルは第10回で、1973年5月13日に開かれた。いうまでもなく最年少だったが、前奏曲とフーガ(BWV547)、トリオソナタ(527)、協奏曲(596)、コラールなどを選び、日本人のバッハ演奏に新しい風が吹き始めたことを感じさせる素晴らしい出来栄えだった。
■スイスに飛ぶ■
数年後、小糸さんはスイスに渡り、ジュネーヴ高等音楽院のピエール・スゴン(1913~2000)に師事した。スゴン教授は若いときパリ高等音楽院でマルセル・デュプレに師事し、ジャン・アランと同輩であり、当時、スイスを代表する演奏家・教育者だった。だれも先輩のいない時代、小糸さんが自分で切り開いた道だった。
恵(けい)という名で世界に知られるようになったその後の小糸さんの経歴はここにあるプロフィールに詳しい。一般に、音楽演奏には理性・感性・運動性のバランスが必要だが、ドイツ・イタリア・フランスの地方色を統合し、対位法と和声法という異なる作曲技法を調和させ、ルネサンス期の古様式からバロック・ロココ・ギャラントの諸様式までを「自己同一」的に使い分けるバッハの多彩なオルガン音楽には、理性と感性が大きな役割を果たす。それは音色豊かなケーニヒ・オルガンのパイプをどのように使い分けるかに現れるに違いない。むかしの小糸恵子より一回りも二回りも大きくなった「小糸恵の音楽」が展開されることだろう。
本シリーズ芸術監督の礒山雅氏はその著書「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」(講談社、2010年)のなかで、1970年代以降が、20世紀におけるバッハ演奏の第4段階で、オリジナル主義勃興の時代としている。わたしは、この編年がオルガンの世界にも正確に当てはまることを実感してきた(JAPAN ORGANIST 37号、2010年参照)。小糸恵さんのプロフィールに「歴史的資料の研究に基づいた楽器の選択および演奏法で独自な演奏活動を展開」とあるのは、まさにこの時代、つまり現代の代表者であることを意味している。
■奇しき縁■
上野学園大学教授・東京芸術劇場オルガニストの小林英之さんは、小学生のころ、家が京都の桂で小糸家と隣同士。小学6年生の恵子さんが、小学1年生の英之さんの家にピアノを弾きに来ていた。長じて、英之さんは、芸大を受験するとき、すでに芸大生だった恵子さんにガイダンスを受けた。小林さんから聞いた話だが、なんとも微笑ましい縁である。
馬淵久夫 Hisao MABUCHI
1953年東京大学理学部化学科卒業。宇宙・地球化学、考古科学の研究と並行して、オルガンを奥田耕天、ジョルジュ・ロベール、ミシェル・シャピュイに学ぶ。演奏・教育活動とともに、大森めぐみ教会ほか全国各地のホールのオルガン設置委員を務めた。
(独)国立文化財機構・東京文化財研究所名誉研究員、くらしき作陽大学名誉教授。日本オルガニスト協会元会長(2012年執筆当時)
《いずみホール音楽情報誌Jupiter Vol.137(2012年12月発行)掲載》
チケットはいずみホールチケットセンター06-6944-1188(10:00~17:30、日祝休)やオンライン・チケットサービスでご入手いただけます。
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