=饒速日命=物部氏
神の宝
「『それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民に優ってわたしの宝となるであろう。』(出エジプト記19章5節)」
「まことに、主はヤコブを選び、ご自分のものとされ、イスラエルを選んで、ご自分の宝とされた。(詩篇135の4)
シオン(日本)
「主はシオンを選び、これをご自分の住処として望まれた。『これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしはそれを望んだから。わたしは豊かにシオンの食物を祝福し、その貧しい者をパンで満ちたらせよう。その祭司らに救いを着せよう。その聖徒らは大いに喜び歌おう。そこにわたしはダビデのために一つの角を生えさせよう。わたしは、わたしの油注いだ者(ダビデ)のために、一つのともしびを備えている。わたしは彼(ダビデ)の敵に恥を着せる。しかし、彼の上には、彼の冠が光り輝くであろう。(詩篇132の13~18)
十種の神宝(とくさのかんだから)は、
広辞苑に「饒速日命がこの国に降ったとき、天神が授けたという10種の宝。・・・・・」と説明されています。神の宝は、聖書からイスラエルの民、ヤコブの子孫と分かります。饒速日命はイスラエルの嫡子ヨセフの家の嫡流です。ヨセフの嫡子の名を「エフライム」といい、その兄弟を「マナセ」といいます。この二人は祖父であるイスラエル(ヤコブ)の子とされて、それぞれ部族を形成します。創世記48章5節参照。
10部族とは、エフライムとマナセそしてシメオン、ナフタリ、アセル、ガド、ルベン、ダン、イッサカル、ゼブルンの兄弟をそれぞれの始祖とする血筋の子孫をいいます。
エフライムとマナセは実父ヨセフの祝福(運命)を受け継ぎ、相違は量的なものです。他の兄弟にはそれぞれ異なった質の運命があります。「十種の神宝」とは、この十人のそれぞれの祝福、運命を象徴的に表現している物と思われます。
饒速日命が天神から十種の神宝を授かってこの国に降りたという表現は、ヨセフの嫡子エフライムをリーダとした10部族が神の導きで神の住処として選ばれたシオン(徳之島そして日本列島)に来たという事実と思います。
十種の神宝と十部族の対応
十部族の祝福、運命は創世記の49章から考えます。
瀛都鏡(おきつかがみ)ーエフライム
辺都鏡(へつかがみ) -マナセ
八握剣(やつかのつるぎ)ーシメオン
生玉(いくたま) -ナフタリ
足玉(たるたま) -アセル
死反玉(まかるかえしのたま-ガド
道反玉(ちがえしのたま)-ルベン
蛇比礼(へびのひれ) -ダン
蜂比礼(はちのひれ) -イッサカル
品物比礼(くさもののひれ)-ゼブルン
対応の解説
エフライムとマナセは父ヨセフの兄弟です。ヨセフを鏡とします。「おきつ」と「へつ」は「沖」と「(海)辺」のことです。対の関係にあります。二つの鏡は兄と弟の象徴と考えます。
シメオンについて「シメオンとレビは兄弟。彼らの剣は暴虐の武器。・・・・彼らは怒りに任せて人を殺し、ほしいままに雄牛の足の筋を切った。」と記されています。八握剣はシメオンの象徴と感じます。
ナフタリについて「ナフタリは放たれた雌じか、彼は美しい子じかを生むであろう。」とあります。「玉」は美しいものにいいます。美しい子じかを生むナフタリは「生玉」と考えます。
アセルについて「アセルはその食物が豊かで玉の美味をいたすであろう。」とあります。すばらしく美味の物をいただくと人は満ち足ります。アセルは「足玉」と考えます。
ガドについて「ガドには略奪者が迫る。しかし、彼はかえって敵のかかとに迫るであろう。」とあります。「略奪者」=「死」、「かえって」=「反」です。死反玉=ガドと考えます。
ルベンについて「あなたは父の床に上って汚した。ああ、あなたはわが(父イスラエル)寝床に上った。」とあります。ルベンは道に反することをやっています。「ルベンは長子であったが、父の床を汚したので、長子の権はヨセフの子らに与えられた。」と歴代誌上5章1節に記されています。ルベンは道反玉です。
ダンは「道のかたわらの蛇、道のほとりのマムシ。」とありますから、蛇比礼はダンと考えます。
イッサカルについては「イッサカルはたくましいろば、・・・・・・・・彼はその肩を下げて担い奴隷となって追い使われる。」とあることから、働き蜂のイメージとつながって、蜂比礼にしました。
ゼブルンについては「海辺に住み、・・・・」とあることから、海の幸を品物(くさもの)と考え、品物比礼をゼブルンと考えます。
検証
饒速日命の十種の神宝をイスラエル十部族の象徴と考えた例は、今までに無いと思います。よくよく、ご検証ください。
起こされたダビデの子孫
平安天皇ヨシュア