動機と現実のギャップを目の当たりにして | 夏風の吹く広場〜JW.orgに載らないある暑苦しい男の思い〜

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本当は爽やかな春風になりたいけれどなれない、暑苦しい夏風のブログです。

9月に入り、朝晩少しだけ涼しさを感じて、秋が近づいていることを感じさせます。今年は、9月の頭からそういう気候なのでわかりやすいですが、またしばらくしたら逆戻りするんでしょうね。


さて、もう20年以上も前のことです。


ある時の巡回大会で、同世代の兄弟と知り合いになったのですが、彼は難関の教員採用試験を突破して小学校の教員になっていたのですが、それを辞めて開拓奉仕をしていたのです。


私が
「何ともったいないことを…」と思いながら、
「どうして、教員をやめてまで開拓奉仕をしようという気持ちになったのですか?」
とお聞きしました。


すると、彼はにこやかな笑顔で、
「ある年の巡回訪問で、『エホバはその人が奉仕においてベストを尽くしているかを常にご覧になる。』という話を聞いて、教員をしていた私は良心の呵責を感じたんです。自分はエホバからそのような観点で見られた時、エホバに申し開きができるとは思えなくなりました。それで、教員を辞めて開拓奉仕を始める決意をしたんです。」
と答えました。


私はその時、どうしてそこまで思い詰める必要があるのか、と思いました。そして、私自身も今の仕事に就いた時に、会衆外のある兄弟から
「早く仕事を調整して、開拓奉仕を始めた方がいいですよ。」
と言われ、そんなアドバイスを真面目に聞く気はなかったものの、複雑な気持ちになったことを思い出しました。


そして、その同世代の開拓者の兄弟と話した後、そばにいた別の開拓者の兄弟が彼に、
「ねえ、兄弟。今月もう時間は入った?」
と聞いて来たのです。彼は、
「いや、まだ入ってない。残り1週間がんばらないと。」
と答えました。


「何だよ!  高潔な動機で始めたはずの開拓奉仕なのに、やっぱり最後は時間入れに追われるんだ!」
と、その時強く思ったのでした。何か、動機と現実のギャップがあまりにもありすぎて、力が抜けてしまうような感じでした。


あれから20年以上経って、組織の実態が次第にネットで明らかになる今、彼はどこでどうやって生きているんでしょう? 最近、ふと気になっています。組織を後にしたとしても、強く生きていてほしい、と願うばかりです。