2023年10月14日
昼過ぎ。今日は土曜日。午前中に長い散歩をした。毎日、少なくとも1回は必ず外に出て、陽の光を浴びる。脳の健康や体内時計をリセットするために、とても大事なことなのだ。
網膜に光が当たると、セロトニン(いわゆる「幸せ物質」)が、分泌されることも分っている。
さて、前回のブログで、草津町の国立ハンセン病療養施設「栗生楽泉園」を訪問したことを取り上げた。実のところ、楽泉園は、子供の頃から身近な存在だった。
草津町で生まれ育ち、地元の町議会議員、県議、参議院議員を務めた亡父 山本富雄が、楽泉園の出身者を、地元(吾妻郡担当)の秘書として雇っていたからだ。
すでに亡くなっているこの人は、名前を中野源治(げんじ)さんと言った。確か、名前はこの漢字だったと思う。
随分、長い間、亡父の秘書として活躍してくれた中野さんのことは、今も鮮明に憶えている。多分、自分が小学校高学年の頃から近くにいた気がするが、正確なことは調べてみないと分からない。亡父が国会議員に当選した後も、かなり長い期間、秘書として親父さんを支えてくれていた。
そう言えば、亡父が農水大臣を終え、参院自民党の幹事長として中央政界で存在感を発揮していた頃、知事選への立候補をめぐって、当時の小寺副知事(後の知事)と激しくせめぎ合ったことがあった。亡父にとって、「群馬県知事になる」ことは、生涯の目標だった。
そんな時期、自宅に中野秘書を呼び寄せた亡父が、こんな指示をするのを目撃した。
「中野さん、吾妻郡では、ぜひ、こんな話を広めて欲しい!万一、小寺副知事と山本富雄が選挙で戦うことになったとしたら、こちらが絶対に勝つ!!大勢の人にそう伝えてください!!」
振り返ってみると、SNSなんてない時代だ。いわゆる「クチコミ作戦」というヤツだな。(笑)マスコミに関して言うと、新聞の影響力も、今とは格段に違っていた。
え?結局、亡父は知事選への立候補を断念した。詳しくは言わないが、決断を阻んだ2つの理由があった。
が、それでも、この時の教訓は、(当時、自分が政治家になるとは全く考えていなかった)山本一太という息子(=後継者)の知事選での戦略に大きな影響を与えた。結果として「無駄にはならなかった!」ということだ。
話は戻るが、中野さんは、温和で真面目な人柄。いわゆる人格者だった。とにかく博学で、文章も上手だった。昨日の入所者代表の方々との歓談の中で、実はこの人が「楽泉園の自治会長まで務めていた」ことを(初めて)知った。
加えて、晩年は、園内での教育活動にも携わっていたらしい。中野さん、やっぱり信望のある人だったんだ、な。(納得)
「一太君、お父さんはね、本当に素晴らしい政治家なんだよ!私が惚れ込んで、こんなに長く、この仕事をやってるくらいなんだから!!出来れば、県知事になって欲しいんだけどなあ!!」よく、そう話していたのを思い出す。
政治家 山本一太は、草津町の出身。草津の雄大な自然と温泉の中で育った。しかも、亡父の時代から、楽泉園とは様々な繋がりがあった。にもかかわらず、これまでこの場所に足を運んだことがなかった。
もちろん、自民党の参議院議員を務めていた時代には、歴代の楽泉園の代表者の皆さんと(国会への要望活動の際に)何度もお目にかかっている。が、もっと早くこの施設を訪問すべきだった。昨日の歓談の冒頭、先ずそのことを、入所者代表の皆さんにお詫びした。
が、今回、知事として施設を見学出来たことは、本当に良かったと思う。国立の施設ではあるが、引き続き、町長と協力しつつ、県として可能なサポートを続けていきたいと考えている。
そう言えば、今日は、他の仕事の準備もある。そちらを済ませてから、シリーズ連載の続編を書くことにしよう!!
<入所者代表を含む楽泉園関係者との歓談>
<施設内にある納骨堂と慰霊碑>