去年からなのでしょうけれど
個人レベルの自己破壊 着々と進行しているようです。
人への忖度とは 違う。
人への配慮とも ちょっと違うような気がする。
配慮という言葉よりも 思いやり という言い方がいいのかしら。
あるいは 人に寄り添う気持ち。
そういうものを持たない人は 新しい世界には馴染めないから
あちこちに不具合が起きているようです。
身の回りの事象とか 体の不調とか
私はそれを 絶対的自分本意と呼ぶ。
自分を大切にすることとは違う。
常に自分の利益や得のみを計算し
他人に共感できない人のこと。
人の痛みや悲しみに寄り添う能力の無い人。
初めからその能力が欠如している人もいるようですが
経験からも何も学ばないと
どんなに 資本主義的に成功したように見える人でも
プライベートが悲しいことになる。
今までもその傾向はあったけど
これからは もっと 分かりやすくなるのでしょうね。
超絶資本主義の世界だと
そういう人ほど出世する。
何故なら 平気で人を踏み台にするし 人の不幸の上に自分の幸せを築けるから。
サイコパスな上司や 配偶者がいたとしたら
早いとこ手を切った方がいいかもしれない。
一緒にいると 周波数が狂うでしょう?
気持ちを落ち込ませる人とは 距離を置いた方がいいです。
できれば 縁を切れたら一番いいかも。
今まで躊躇していた世界に 思い切って飛び込んだとしても
今なら きっとうまくいく。
凄い風が吹いている気がしているし。 (何しろ勘がすべてなので)
軽やかなひとほど 高く飛べるはずだもの。
鎖を外したひとほど 飛び切りの次元操作の達人になるのではないでしょうか。