「そういうもんだ」という自分の主観だったりすることに気づくことがあるのではないかと思う。
それと同じように、物事も人も、自分自身についても、客観的な視点を持った時に、全く違う景色が見えてくるということに、遅蒔きながら
初めて気づけたように思う。
今までの自分の経験は、自分にとって必要な経験だったから、それがあったのであって、
そこにとらわれ続けて、なぜそんなことが起きるのか理由を考えるのは、いつまでも過去に生きているということ。
人と比べて、自分を過小評価したり、不幸を嘆いたところで、過去を変えることはできない。
ウィリアムレーネンの言葉を借りるなら
「人生の目的は、魂がバランスと成長を実現するために必要な経験をする」ということなのであれば、今までのことも、これからも、どんなことが人生の中で起きても、その時は泣いたり落ち込んだりしながらも、それを受け入れていけるかもしれない。
過去を振り返って後悔するより、今を大切に生きて、自分の人生は自分で舵を取れる人になりたい!と、やっとその頃思えるようになった。
そこから、何か現実が大きく変わったかと言えば、そんなに大きな変化があるわけでもない。
でも、「本当の自分を生きる」ことに前向きになれたことで、「幸せ」を感じることができる心の余裕もできたな~と思うこの頃。
この、「すべての経験は魂のバランスと成長の為におきている」ということを、事実はどうかは別にして、もし他の人もそうかもしれないという視点に立つと、無関心という意味ではなく、客観性を持つことができる。
例えば、自分の価値観では受け入れられないことを誰かがしたとしても、「その人にとっては必要な経験」として見ることができる。
そうすると、あまりネガティブな感情に振り回されることも少ないかもしれない。
.....が、こんな風にいつも思えたら良いけど、それが難しいこともある。
特に、それが自分に向けられたものだったり、
または自分の経験からつい余計な、求められてもいないアドバイスをしたくなったときとか....。
それが今回ハッとしたことだった。
その時、「それもその人には必要な経験なんじゃないかな」と教えてくれた人がいて、ちょうどその同じ日に、たまたまウィリアムレーネンの本を読み返していたということがあった。
ウィリアムレーネンの本の中に
その他者への向き合い方のヒントもあった。
以下一部抜粋************
客観的であるということは
「良い、悪い」と裁くことなく、誰に対しても、どんな経験・出来事に対しても「そのままを受け入れる」あり方であり、
これは「無条件の愛」の実践でもあります。
たとえば、あなたがだれかを不快に感じたとしても、その人を変えようとしないで下さい。
すべての人に平等に与えられた権利とは「ありのままの自分でいる」ことなのです。
すべての人は、自分にとって
必要な出来事を選択して、それらを経験していくのです。
あなたが、「こうすればいいのに/しなければいいのに」
と思っても、彼らが選んだ「経験」を阻害する権利はないのです。
それぞれが異なるユニークな存在だからこそ、異なる生き方を選択しているだけなのです。
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この考え方も、私は受け入れられたけど、そうは思わない人もいるかもしれない。
それも、またよし!ということなのかな。
そして、この先またいろんな経験をしていく中で、また違う考え方に出会い、その時の
私は違う価値観を生きているのかもしれない。
そんな風に考えると、
人生が面白く思えてくるから不思議!
そんな風に軽やかに生きていきたいな~と思うこの頃。
※これはあくまでも、私が読んだ本の感想文であり、備忘録です。