3人姉妹の母の一番上のお姉さん。
うちの母、真ん中の伯母の順に妹たちを亡くし
震災で夫も亡くし、高齢の彼女は
昔を懐かしむ毎日のようだ。
私にとっても、祖父母や両親の思い出話を
聴ける唯一の存在になってしまった。
何不自由なく資産家の家に育ち、家業を継いで
婿をとり、子供たちは(従兄弟たち)はみんな優秀で、恵まれているように思えていた伯母が、
JWになり自分の好きな道を生ききった私の母を羨ましかったと話てくれた。
「ゴンちゃんのお母さんは、末っ子で
みんなから愛されて育って、素敵な旦那さんを選んで、宗教の友達みんなに囲まれて、あんたの家はいつも宗教の友達でいっぱいだったでしょ?私は羨ましかったんだよ。」と言う。
伯母から見えていた母の姿が意外だった。
というよりも、すべてに恵まれていると思っていた伯母の意外な一面を知ったというところか。
それを言うなら、伯母へ勝手なイメージを私が持っていただけなのかな?
余談はさておいて....
今回両親の思い出話がたくさん出来て
とても心が癒される思いになった。
今年は姉の海外移転にともなう写真整理や
両親の遺したものとの再会など、
生まれ育った家族のあたたかい思い出と
対面する事が多かった。
たくさんの思い出の中で、脳裏に蘇るのは
人をもてなすのが大好きだった両親の
笑顔かもしれない。
ふたりとも同じような境遇で育ち、人がいつも家の中にわいわいといるような環境で育ったからなのか、特に母は、とにかく「人」が、お客さんが大好きな人だった。
母がJWになったからなのか、我が家に集まるのは、JWが多かったけど、毎週のように誰かが
我が家で食事をしたり、時には泊まっていたような記憶がある。
食事のあと、誰かがピアノやギターを弾いて、みんなで賛美の歌を歌ったり、
父のコレクションだった映画音楽のLP(時代がバレるね)をかけて、デザートを食べながら
話をしたり、ゲームをしたり...。
お酒好きの兄弟たちがくると、お酒を飲んだり...
我が家のお酒は、JWの兄弟たちが消費してくれていたんだよなWWW
JWではなかったのに、父もよくそんな「交わり」(笑)を楽しんでいた記憶がある。
我が家にダイニングテーブルがきたのも
外国からの宣教者の兄弟たちの為だったし
常時オートミールがあったのも、そんな宣教者の巡回監督たちのためだった。
オートミール苦手だったけどね(;^_^A
鞭の記憶や、学校でのイジメや、色々な辛い記憶もあるけど、そういう楽しい思い出を両親は
たくさん残してくれたんだな~と感じて、改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。
JWを辞めたあと、そんな環境を失ったと感じた事が、何より寂しかった。
実家に帰ると、誰かがいつも遊びに来てたけど、なんとなく自分の実家なのに、部外者のような気持ちになったのは、きっと私自身の側の距離感だったんだろう。
それから長い年月が過ぎたけど、
なかなか環境的に今は難しいけど、
やっぱり人が集まる雰囲気が好きなのは、
やっぱりそこが「原点」だったんだと思う。
オフ会を初めて開こうと思った時に、あの昔の
みんなが集まる雰囲気を思い出して、本当にワクワクして、前の日の夜眠れなかった記憶がある。
←遠足前夜の小学生みたい(;^_^A
だからオフ会をしたいのも、そんなワクワクが忘れられないからという感じ....(*´ω`*)
それが自分の夢にも繋がっていたんだ!と
わかって、なんか腑に落ちた今日だった。
という訳ででもないけど
芋煮会の参加募集途中経過ですが、今現在約30名参加予定です。
20名で一つのサイトになるので、今のところ
二つのサイトを借りる予定です。
まだ余裕がありますので、参加希望の方いらっしゃいましたら、ご連絡下さいませm(_ _)m
こちらでは台風の雨風が強くなってきました。
皆さん、通勤通学には十分気をつけて。
あっお休みの人が多いのかな?
だといいけど.....。